出会いは、中学の入学式。
講堂前で新入生たちが何列かに並ばされている中、近くにいた同じ小学校出身の者で固まって教師の指示を待っていると、グッと腕を引っ張られたのが最初。
突然のことに驚きながら振り向くと、そこには知らない黒髪の少年が一人。
胸元にある造花の飾りを見る限り、彼も同じく新入生であることは確かなのだが、これと言って見覚えのない子であった。
ついこの間まで通っていた小学校でも彼のような生徒は見たことはなかったので、恐らく別の校区から来たのだろう。人違いかと首を傾げて言葉を待っていると、少年の大きな瞳がウルウルと潤み始めたので、思わずギョッと目を見開く。
「……錆兎? 錆兎だよな?」
名乗ってもいないのに名前を言い当てられ、いよいよ人違いではないようであった。まさか剣道の繋がりだろうかと、過去に出場した大会や交流のある団体を一つ一つ思い出してはみるが、知り合いに該当する人物はやはりいない。
そもそも、こんなにも目鼻立ちの整った、まさしく美少年と呼ぶに相応しい知人がいれば錆兎の記憶に顔だけでも残っているはず。それなのに微塵も覚えていないのだから、変な汗が背中に滲み始めた。
人の顔と名前を覚えるのは、どちらかと言うと得意な方であると自負しているのだが。
なんだか相手側から、そこはかとなく感動の再会というような気迫が漂ってくるので、余計に「誰?」と聞きづらい。
「錆兎、その子知り合い?」
先ほどまで話していた小学校の同級生たちが不思議そうに訊ね、錆兎は首を横に振る前に、目の前の少年を改めて見つめる。
錆兎が口を開こうとすると、黒髪の少年は懐っこそうな、愛らしい笑みを浮かべて言葉を待っていた。
「……えっと。本当に申し訳ないんだが、その……君は誰だろう?」
誤魔化さず、正直に言おう。
傷つけるだろうなと思いながら慎重に言葉を選んで錆兎が問うと、腕を掴んでいた少年の大きな目が見開かれた。
案の定、あからさまにショックを受けている顔に、罪悪感で良心が痛む。
「……ぎ、義勇だ。冨岡……義勇」
声変わりをしたばかりの掠れた声で、義勇を名乗る少年。
「……とみおか、義勇?」
やや焦ったような口調で訴えかけられるが、やはり聞き馴染みは──ない、はず。それなのに、胸が騒ついた。
知らないのに、妙に懐かしい。記憶にはないのだが、口にするとなぜだかしっくり来る違和感。その奇妙な感覚が気味悪く、錆兎は困惑を隠せず苦笑を漏らした。
「──すまない、やっぱり分からない。オレは君とどこで知り合ったんだろうか」
錆兎が言うと、春の強い風が地面に散っている桜の花びらを追い立てる。
義勇を名乗る少年の、真っ黒な髪が風に揺れた。
それと同時に腕を掴んでいた手が離れたことに「あ」と名残惜しむような声が錆兎の口から漏れ、すかさず離れて行った手を掴みそうになったことに、錆兎は我ながら困惑する。
どこで出会ったのか、それだけでも聞かせてほしい。
それを聞けば、もしかすれば思い出せるかも知れないのに。
だが、義勇は泣きそうな顔をしたのを一転。無理やり笑みを浮かべ、首を横に振った。
「……いきなりごめんね、気にしないで」
なぜ──どこで会ったのかすら、教えてくれないのだろう。
引き止めるよりも先に、義勇が背を向けて人混みの中へと消えていく。
小さな背中を、錆兎は呆然とするばかりで追いかけることも出来なかった。
◇中略◇
なんだか懐かしい夢を見ていた気がするのに、ちっとも内容を覚えていない。
中学生になってから、そのようなことが増えたような気がする。やはり実感がないだけで、多少は環境の変化に対するストレスとやらを感じているのかも知れないが、こう言う時こそ身体を動かすのが一番であった。
顔を洗ったあと、朝食の準備をしつつ冷蔵庫から取り出した牛乳パックを掴んでコップに注ぎ、ふと何気なくカレンダーへと視線を移す。
そう言えば、今日は月末の社会科見学の班決めがあると担任が言っていた。
入学式からしばらく経って、何度目かの学校行事。
クラスでもそろそろグループが生まれつつあり、幼い頃から特に意識せずとも周囲に人が集まって来る錆兎にも、既に何人かの新しい友人くらいは出来ていた。
社会科見学も、おおよそ彼らと回ることになるだろう。一杯の牛乳を飲み干し、グラスをシンクに置いてから、自分のことよりも、とある人物が錆兎の脳裏に浮かぶ。
(……あいつ、一緒の班になる奴とかいんのかな)
あいつ、というのは他でもない。
入学式に突然錆兎の名を呼び、腕を掴んで来た謎多き少年。同じクラスで出席番号十七番の、冨岡義勇である。
初対面でいきなり名前を呼ばれたあの出来事以降、何か縁があるような気はしていたが偶然にも同じクラスであった。義勇の方から、あれからも錆兎に対して何度か話し掛けて来たことはあったものの、錆兎がずっと疑問に思っていること──自分たちはどこで出会い、そしてどこで名前を知ったのかと言うことについては、義勇は今でも教えてはくれない。
錆兎が躍起になって聞き出そうとしても、彼はそれらの質問の時だけは曖昧に笑って、のらりくらりと誤魔化すばかり。
思い出したい気持ちは、当然ながら錆兎にだってある。なにより、義勇が初めて錆兎の名前を呼んだ時の喜びを噛み締めたような表情と、去り際の泣きそうな顔を見る限り、自分たちには絶対に何かがあった。
でも、義勇は教えてくれない。
それどころか、最初こそ錆兎の方へ寄って来ることも多かった義勇は、いつしか錆兎の周りに他の友人たちが集まるようになってからは、休み時間に近寄って来ることすらなくなった。
最近では自分の席でひたすらに本を読み耽って、誰かと親しげにする様子も見られない。まるで、錆兎が他者と行う交流を邪魔しないようにしているかのようで、離れたところから見守っている、というのが妙にしっくりくる距離感に義勇はいた。
錆兎はこれまでも何度か、友人に義勇を紹介しようとしたこともあった。だが、そのタイミングで彼はフラッとその場から離れて、どこかへ行ってしまう。
当然ながら義勇はクラスでは浮いているのだが、本人は全く気にも留めていない様子で、今も錆兎にだけ律儀に「おはよう」と挨拶をしに来ていた。
なお、冨岡と呼ぶと悲しそうな顔をして「義勇がいい」と言われるため、あまり素性も知らないのに錆兎は義勇と呼ばされている。
そんな義勇が、社会科見学において一緒の班になる人がいるとはとてもじゃあないが思えない。
別に、彼一人くらい放っておいても錆兎にとっては損にも得にもならないはずだ。勝手に懐かれて、勝手に知られているだけなのだから。
だが、放っておけない。
理由なんてものは、妙に情が移ったからとしか言いようがなかった。
他にも何か理由を挙げるとするならば、義勇は体育の授業でも見学をしていることが多いので、おおよそ身体は強い方ではないだろうという点にある。
今回の社会科見学はバスでの移動となっており、行き先は結構な時間がかかる距離だとも担任は言っていた。
そこで、虚弱体質であろう義勇はきっと、移動だけでも疲れてしまうに違いない。
ならば、自分がそばにいなければならないんじゃあないかなど、多少傲慢だと自覚しつつも錆兎は思ってしまうのだ。
具合が悪くなった時、周りにいるのが他の者だと義勇は申告しづらいかも知れない。
彼は唯一、理由こそ不明だが自分には懐いているのだから、そういう時にも己がいれば言いやすいはずだと錆兎は当然のように考えた。
朝食に使用した皿を洗って、あれやこれやと、自分に言い訳を続ける少年は軽い準備運動を終えると、まだ人通りも少ない朝の街をジャージ姿で駆け出す。
今日は義勇に、自分から声を掛けてみよう。
良ければ一緒の班にならないかと。
錆兎の予想では、キョトンとしてから花が咲いたように可憐に笑って、頷く義勇の顔が浮かんでいた。
(……あいつのこと、もっと知りたいな。言ってることフワフワしてて変わってるけど)
錆兎としては、義勇が自分と仲良くなりたいんだか、距離を取りたいんだか、一人がいいんだか、なにを考えているのかがイマイチよく分からない。
でも、自分であれば彼を、義勇の気持ちも分かってやれる気がする。
彼のことを思うたびに、どこからか、根拠のない自信が湧いてくるのであった。