お兄ちゃんたちと

 竈門炭治郎、中学一年生。
 夏休みも中盤に差し掛かったある日、今日は﹅﹅﹅二歳児頃の見た目をした禰豆子をおぶって、近所のマンションへと訪れていた。
 なお、炭治郎の背中でスピスピと眠っている妹の禰豆子は日によって外見と精神年齢が異なることがあるものの、別に複雑な何かがあるだとか、病気に罹っているだとか、そういう深刻な事情は特にはない。
 兎にも角にも、彼女は日によって小さかったり大きかったりするのである。ただ、それだけのこと。
 ここでの禰豆子は、そういう不思議で可愛い生き物だと思っていて頂きたい。なにより、禰豆子がたとえ不思議で可愛い生き物であろうと、この話の進行には一切支障はないのである。
 さて、場面は戻り、今日は二歳児の不思議で可愛い禰豆子をおぶった炭治郎が共用エントランスを過ぎて、乗り込んだエレベーターで三階へと向かった。
 エレベーターが到着し、向かう先は行き慣れた部屋。
 すでにエントランスのインターホンで炭治郎が来ることが分かっていた部屋は家主によって鍵も開けられており、炭治郎はいつものように「お邪魔します」と声を掛けてから部屋へと足を踏み入れた。
「炭治郎、禰豆子おはよう。すまないが、少し待っててもらえるか。あとちょっとで洗濯機が止まって、それを干したら家を出るから」
 炭治郎の声にひょこっとサニタリールームから顔を出したのは、落ち着いた雰囲気の青年。
 気温が高くなると予報がされている今日は、長い黒髪をやや高い位置で団子にして纏めており、普段よりもなんだかさっぱりして見えた。
「おはようございます、義勇さん。俺も干すのを手伝いましょうか? あとこれ、母ちゃんからです」
 義勇と呼ばれた青年は洗面所に置いてある、清潔で柔らかなタオルを一つ手に取って玄関まで兄妹を出迎えたところ、炭治郎が母から持たされた土産を前にして「そんな、いいのに」と申し訳なさそうに微笑む。
「干すのはすぐ終わるし大丈夫だ。土産もありがとうな、お母様にも伝えておいてくれ」
「いえいえ」
 土産を受け取り、そのままでは靴も脱げないだろうと義勇は兄の代わりに、今も兄の背で寝ている幼い妹をヒョイと抱き上げる。
 小さな靴を脱がせてやりながら今日は二歳くらいか、と本日の禰豆子を見て義勇が呟いた。一昨日にスーパーで禰豆子と母を見かけた時は、確か八歳くらいであったのだ。
「義勇さんや錆兎と会うときは甘えんぼになるのか、いつも小さくなっちゃって……学校の時や善逸と伊之助の前だとちゃんと年相応なんですけど」
「ふふ……そうなのか。俺は構わない、錆兎だってきっと同じことを言う」
 腕の中で身じろぎつつも、そのまま再び寝息を立て始めた小さな禰豆子に義勇は優しく微笑む。
 そして、たくさん汗の粒が浮かんだ炭治郎の丸い額を、手にしていたタオルで撫でるように拭いた。
 その手つきは、なんだか少しだけ母に似ている。
「錆兎は車を借りに行ってるから。それまで二人はリビングで涼んでるといい」
 子供特有の高めな体温である妹をおぶって、ここまで歩いて来た炭治郎は首元まで汗を掻いており、義勇は額を拭いてやった後はタオルを広げて炭治郎の首へと掛けてやる。
 洗濯機を回した後だろうに、洗い物を増やして申し訳ないなと思いつつも炭治郎は「ありがとうございます」と言って、素直に厚意に甘えることにした。
 少し前の自分なら、ありがとうよりも先に、すみませんと言っていたかも知れない。
 程よくクーラーの効いたリビングに通され、義勇は禰豆子を起こさないようにソファへ寝かすと、頂いた土産を冷蔵庫へしまうついでに、炭治郎に麦茶を注いで冷凍庫から好きなアイスを選ばせた。
 もしも禰豆子が起きて欲しがったら、ここから取って渡してやってくれと言い残し、そのまま家事の残りをしに義勇がリビングを後にする。
 炭治郎は寝ている禰豆子の隣へと座り、冷たい麦茶を一口。選んだチョコレートアイスを齧ってぼんやりと、天気予報がついたままのテレビを眺めた。
 今日は錆兎と義勇に連れられて、四人で水族館に行く日。
 発端は、前に禰豆子がクラゲが見たいと言い出して、じゃあ夏休みに水族館に行こうかと錆兎と義勇が言った。それからトントン拍子で話が進み、今日である。
 錆兎と義勇はいわゆる、恋人同士の関係にあった。
 けれどこれらは本人たちから直接聞いたものではなく、やりとりから感じられる親しさや、二人から香る感情の数々がおしどり夫婦のそれと非常に良く似ていたので、炭治郎が察しているに過ぎない。
 兄妹と二人の出会いは、数年前。
 まだ炭治郎が小学生だった当時、妹と下校途中に自転車に乗ったひったくり犯と出くわした。
 炭治郎が咄嗟に追いかけて、なんとか犯人に追い付いたは良いものの大人の力で突き飛ばされてしまい、危うく車が行き交う交差点に放り出されそうになったのだ。
 その時、背中を掴んで抱きとめてくれたのが、当時はまだ高校生だった義勇で、逃走を続けようとするひったくり犯の背中を思い切り蹴り飛ばして捕まえてくれたのが、錆兎であった。
 どうやら、走り去った兄に慌てた禰豆子が偶然通り掛かった二人に「おにいちゃんが危ない」と知らせ、それでわざわざ炭治郎を追いかけて来てくれたらしい。
 兄貴が妹に心配掛けちゃダメだろう、と錆兎は炭治郎に言ったが、それだけ。あとは「でも、誰かを助けるための勇気があるのはいい事だ」と頭を撫でてくれた時の口調は優しかった。
 一方、置いて来てしまった禰豆子の手を引いて連れて来てくれた義勇は炭治郎に怪我はないかと聞き、小さな擦り傷を見つけると自ら屈んで、絆創膏まで貼ってくれたのである。
 あとは二人が警察を呼び、盗られた荷物も被害者に返却され、最後は署まで付き添ってくれた。兄妹を迎えに来た母が平謝りをする中でも「お気になさらず」と爽やかに言い、いつまでを手を振る兄妹に二人が笑顔で手を振り返してくれたのを、炭治郎はずっと覚えていた。
 そんな別れから、おおよそ二年後。
 近所のスーパーで再び出くわし、大学進学を機に一緒に住むようになった彼らとはご近所さんであることが判明。
 以降、錆兎と義勇は竈門家の子供たちをキャンプに誘ってくれたり、今日のように兄妹を水族館に連れて行ったり、時には運動会に顔を出して、母の代わりにカメラを回してくれたりなどと交流が続いている。
 最近は容態も随分落ち着いているとは言えど、入退院を繰り返す父の代わりに長男として弟妹たちの世話をし、優しい母を支えてきた炭治郎にとっては錆兎と義勇はまるで突然出来た兄のようだった。
 幼い頃はともかく成長と共に徐々に甘え方を忘れ、無意識に遠慮ばかりをしてしまう炭治郎に対して二人はあれやこれやと先回りして可愛がっては、もはや遠慮する隙も与えてくれない。
 なんだか少し擽ったいが、決して嫌ではなかった。
 炭治郎は優しい二人の兄が大好きである。
「む……」
「あ、禰豆子。起きたか」
 丸くなっていた妹が目を擦り、身体を起こしてキョロキョロと部屋を見渡すとここが錆兎と義勇の住まいであることを理解した様子。
「……しゃびと錆兎ぎゆ義勇?」
「うん、そうだよ。水族館、昨日楽しみにしてたろ?」
 炭治郎が言うと、頷いた禰豆子は甘えるように兄の膝の上へと寝そべった。しゃび、ぎゆ、とブツブツ呟く妹の柔らかい頬を突っついて「嬉しいねぇ」と声を掛けると、禰豆子は炭治郎を見上げて満面の笑みを浮かべる。
 炭治郎がそうであるように、禰豆子も二人の兄には心から懐いていた。
「禰豆子、アイス食べるか? 義勇さんが食べていいよって」
 こく、と頷く禰豆子。
「イチゴとバニラとチョコがあったぞ。どれがいい?」
「い〜ご」
「イチゴな、わかった。義勇さんに、後でありがとう言おうな」
 舌足らずな言葉の解読にも慣れている。妹を座らせてからソファを降りると、ご所望であるイチゴアイスを冷凍庫から取り出した。
 すると、洗濯機が止まったことを知らせる間抜けな音楽と同時に玄関のドアが開いた音がして、少しの話し声。
 匂いで錆兎が帰って来たのだなと察した炭治郎が禰豆子にアイスを食べさせてやっていると、リビングのドアが開いた。
「二人ともいらっしゃい」
 洗濯物が入ったカゴを持った錆兎が、兄妹に笑いかけて義勇と共に入って来る。
 錆兎は背後の義勇に「干そうか?」と聞いて、義勇は「ありがとう、俺やるから休んどいて」とカゴを受け取り、晴れ間の広がるベランダへと出た。
 今日は一日、快晴とのこと。
「お邪魔してます。ほら禰豆子、ご挨拶は?」
「しゃび、おまままいます」
「はいどうも。ちょっとまが多いな」
 錆兎は仲良く並んで座る兄妹に微笑み、まずは炭治郎の頭を大きな手で撫でくりまわしてから、行儀良くアイスを食べている禰豆子には「お、禰豆子いいの食ってんなー」と話しかけ、口元についているのをティッシュで拭いてやっていた。
「炭治郎、ちゃんと宿題やったか?」
「うん、自由研究以外は終わったよ。錆兎は?」
「大学生に宿題はないんだなぁ、これが。義勇と一緒に炭治郎の自由研究に付き合って勉強した気になっかな」
 話しつつ、炭治郎の隣に腰掛ける錆兎。
 すかさず禰豆子がにじり寄ると錆兎の膝に乗っかって、大きい錆兎の膝の間にすっぽりと収まると機嫌良さそうにアイスを頬張る。
 それも全て、錆兎は好きなようにさせていた。
「え、本当? じゃあ錆兎たちも一緒に星を見ようよ。惑星の動きをさ、観察しようって玄弥って友達の子と言ってたんだ」
「子供だけで行くのか? 危ないだろ」
「ううん、玄弥の兄ちゃんも来るよ。望遠鏡とか持って来てくれて、その後一緒に花火しようって。錆兎も花火しよう」
「玄弥くんのお兄ちゃんも急に出て来た知らない男共が何も手伝わずに花火だけ参加して来たら怖いだろ」
 子供だけならともかく、どうやら面倒見の良さそうな友人の兄も来てくれるようなので錆兎は安堵し、今回は参加を見送る。しかし、炭治郎は錆兎や義勇も一緒に来て欲しかったのか「大丈夫だよ〜」と言っては錆兎の服の裾を引っ張っていた。
「ごちました」
 その後も錆兎と炭治郎が他愛もない会話を続けていると、アイスを食べ終えた禰豆子が両手を合わせて呟く。
 炭治郎が妹の手元にあったゴミを預かると少女は錆兎の膝から降り、洗濯物を干し終えベランダから戻って来た義勇の元へ「ぎゆー」と呼んで突撃する。
「あいす、あいあと」
「美味かったか」
「んぃ」
 脚に抱きつく禰豆子の頭を撫で、ふと義勇は長い黒髪を手に取って首を傾げる。
「禰豆子、これ髪結ってやろうか? 暑いだろ」
 自分の長い髪を結んだり、錆兎の髪をまとめてやったり。他には姉の娘にあたる姪っ子たちにねだられて髪を結んでやることも多い義勇は、意外とこの手の世話は慣れている。
 禰豆子も義勇の申し出に頷いて、「むしゅぶ」と言った。今朝、母が禰豆子の髪を結んでやろうとした時は「いーい」と首を横に振っていたくせに、と炭治郎が苦笑いする。
 子供の気分とは、夏の天気くらい変わりやすいのが常である。
「一つ結びか、二つ結びか、三つ編みか、お姉さん結びどれがいい」
「おねーさん」
 言いながら、髪ゴムとブラシが置いてある洗面所に手を繋いで向かう妻と娘(ではない)の背中を見送る錆兎が「お姉さん結びってなに?」と息子(ではない)に問うと炭治郎は自分の短い髪を摘んで、身振り手振りでハーフアップを再現する。
「たぶん、こう……ここの横だけ後ろに結ぶやつ」
「あ〜確かにお姉さんっぽいな」
 伝えたいニュアンスを理解した錆兎が、髪型に対する独特の命名に納得し、頷いた。
 そして普段となにも変わらない炭治郎の髪型を錆兎が一瞥し、良いことを思いつく。
「炭治郎もオレが髪の毛いじってやろうか」
「え、くくるのか?」
「お前の髪の毛でどこ結ぶんだよ。ちょっと待ってな」
 立ち上がり、続いて洗面所へ行った錆兎がすぐに戻って来ると、その手には何らかの容器。
「それなに?」
「ワックス」
 錆兎は再び炭治郎の隣に腰掛け、蓋を開けたスタイリング剤を両手に薄く伸ばしてから、炭治郎の後頭部へ揉み込むように馴染ませる。毛流れを意識しつつサイドの髪でボリュームを調整し、最後は手に僅かに残ったワックスで前髪を整えてやった。
「ほれ、男前」
 髪を弄ってやると普段よりも少しスッキリした少年に錆兎は満足げにして、ベタつく手を洗いに行く。
 残された炭治郎は近場にあった全身鏡で自分の髪型を恐る恐る確認しに行き、目を丸くした。なんだか一気に垢抜けた気がして「すごい!」とどこか照れ臭そうにしつつも、どのようにしたらこうなるのかとあらゆる角度から自分の髪の毛をしげしげと見つめる。
 その内、自分でも出来るようにやり方を教えて貰おうかなぁと、炭治郎はなんだか少し自分が錆兎のような大人のお兄さんになれた気がして、嬉しくなった。
「おにーちゃー」
 小さな足音の後。背中に飛びつかれ振り向くと、そこには丁寧に髪を結んで貰った禰豆子の姿があり、炭治郎は「可愛くして貰ったなぁ」と禰豆子をたかいたかい﹅﹅﹅﹅﹅﹅をしてしこたま褒める。
 そんな兄妹のやりとりを、錆兎と義勇は微笑ましそうに見守っていた。
「よし、そろそろ行くか」
 除菌シートや多めのハンドタオル、禰豆子がグズったときの菓子類も詰まった義勇の荷物を代わりに持った錆兎が言い、テレビやエアコンの電源を切った義勇が抱っこ待ちの禰豆子を抱き上げ、玄関に置かれた小さな靴は車で履かせるかと炭治郎が手に持つ。
「錆兎、ETCカード持った?」
「持った持った。財布に入れてる。禰豆子がちっこいのも見越してチャイルドシートもレンタルしてる」
「さすが」
「惚れ直しただろ」
 錆兎が冗談めかして言うと、炭治郎や禰豆子の前では少しお兄さん振りたい様子の義勇は「いいから靴履け」と照れ隠し混じりの言葉を返した。
 普段は甘えたで素直な義勇を知っているからこそ、好きな子にはちょっかいを掛けたい気分の錆兎はあえてそんなことを義勇に言う。
 今度は、炭治郎が仲睦まじい二人に対してニコニコと嬉しそうに微笑む番であった。 
「今日は昼飯に寿司でも食いに行くか」
 四人で駐車場に向かいながら錆兎が言って、禰豆子を抱いて歩く義勇が可笑しそうに「水族館帰りに?」と問う。
 以前に回転寿司のコマーシャルを見た炭治郎が、お寿司食べたいなぁと呟いた際に「今度行くか」と話したことを、錆兎はちゃんと覚えていたらしい。
 隣を歩く炭治郎の顔を錆兎が覗き込み、
「炭治郎と禰豆子も寿司、好きだもんな」
 なんて言うと、優しげに微笑む。
 炭治郎はポカンとしてから徐々に破顔して、子供らしく笑った。
「──うん!」
 今日は、お兄ちゃんはお休み。
 炭治郎の元気な返事に、錆兎と義勇も釣られて笑顔になって、観に行く予定のイルカショーも楽しみだと、あれやこれやと話して歩く。

 賑やかな声が青い空の下ではどこまでも澄んで、それは輝いているようでもあった。