どうして、こうなった。
それはもう、錆兎が何百、何千回と繰り返した自問自答。
幼少期、男には〝好きな子〟と呼べる存在がいた。相手は幼稚園からの同級生で同じ小学校に通い、そして中学生となった際に錆兎の転校が決まって、それ以降は諸事情で交流も途絶えてしまった親友で幼馴染みでもある。
いつも一緒にいたあの頃は、恋慕なんてものを自覚すらしなかった。
二人は隣にいるのが当たり前で、些細なことで笑い合い、どんな時も肩を並べて時間を分かち合うのが日常。それが当たり前でなくなった中学生の頃、ようやく錆兎は恋心を理解したのだ。
自分は、あの子が好きだったのだと。
気付くにはあまりに遅すぎて、後悔すら上手く出来ず、少年の初恋は呆気なく幕を閉じる。初恋は実らないとはその通りであることを、痛いほど思い知った幼少期の苦々しい思い出。
そのはず、だった。
大学進学を機に実家を出て東京へ戻り、安い家賃だけが取り柄のボロアパートにて独り暮らしを始め、数か月が経った頃。
錆兎は、満を持して六年ぶりに初恋の君と再会することとなる。
その日の講義を終え、キャンパス内のカフェでテイクアウトしたコーヒーを飲みながら、提出予定のレポートについて考えていると何やら賑やかな黄色い声が聞こえてきたのが発端であった。その声の中心には、数人の女子生徒の視線を一身に受け、声を掛けられては気まずそうに会釈をして逃げている男子生徒が一名。
別の学部であるその人の名前や学年すら錆兎は知らなかったが、どうやら芸能人顔負けの容姿端麗ぶりから女子の間ではちょっとした有名人であるらしい。
線の細い、色白の彼は確かに遠目から見ても分かるほどの美男子っぷりで、あれは確かに目立つなあと、錆兎はそこそこ離れた距離からなんとなく彼の動向を目で追っていたのだが──ふと、目が合ったのである。
呼んだわけでもなければ、声をかけたわけでもない。
それなのに突然、煩わしそうに下を向いてその場を去ろうとしていた彼が顔を上げ、空になった紙コップを棄てている錆兎の方を見た。
視線が絡み合い、見つめ合うこと数秒。錆兎は徐々に目を見開き、そんな馬鹿なと僅かに開いた口を震わせる。
ハネた黒い癖っ毛。当時の愛らしさよりも、洗練された美しさが際立つ顔にはかつての面影もしっかりと残っており、背がどれだけ伸びていようと見間違えるはずもない。
「……え、義勇?」
錆兎が呟くと初恋の君──改め、冨岡義勇は弾き出されたように駆け出して、周囲の視線など気にもせず、勢いよく錆兎の胸へと飛び込んだ。まるで、ドラマのワンシーンにも見える光景。思わず、避けることもせずに真正面から抱き留めてしまった錆兎は目を丸くして声を掛けようとするも、自分の胸に顔を埋めて鼻を啜る義勇が泣いていることを察し、男の背中には変な汗が伝う。
なにから、解決すべきか。優先順位が分からない。久しぶりの再会と、周囲の視線と、義勇の涙。数えきれない「どうする」にキャパオーバーしそうなところも、男は生まれ持っての胆力で乗り越えた。
まず、第一として。義勇の、こんな顔を誰かに見られてはならない。
否、錆兎自身が、見られたくなかった。
優先すべきことが決まった錆兎は義勇をそのまま担ぎ上げると、遠い目をしながらその場を走り去る。幸いにも義勇は平均的な背丈と肉付きであったので、錆兎は咄嗟の判断ではあったが軽々と抱えることが出来た。伊達に十年以上も剣道を続け、日課のトレーニングを欠かさず続けている訳ではない。
走る錆兎に抱かれている間も、義勇は暴れることなく、ずっと大人しかった。腕の中でぐすぐすと鼻を鳴らす義勇に、良い歳をした男がこんなところで泣くなと叱りたくもなるが、ちっとも出来そうにない。
それよりも、義勇も一目で自分の存在に気付いてくれたことが嬉しかった。自分との再会に涙をこぼす義勇が愛しくて、可愛くて、錆兎はいまだに己の中にある義勇への気持ちが色褪せていなかったことを自覚する。
広い大学構内を少し歩いて、ようやく人目のない場所へと辿り着き、寂れたベンチへと座らせた錆兎は義勇の前へと立つと腰を屈ませて義勇の泣きべそを覗き込んだ。俯く義勇の目元は赤く色づき、さめざめと涙を流す長い睫毛には細かな涙の粒が見え、錆兎にはそれが宝石か何かのように見える。
錆兎の引っ越し当日。泣きながら見送ってくれた十三歳当時の義勇が流した涙に、それはよく似ていたのである。
「……義勇、泣くなよ。目が腫れるぞ」
泣き虫だったあの頃の義勇に、錆兎は同じ言葉を何度もかけていた。慣れたように濡れた白い頬に手を添え、指でそっと撫でて目尻の涙を拭ってやると義勇はようやく錆兎の方へ視線を向ける。
相変わらずのべっぴん──否。義勇は、どう見てもグレードアップしていた。
少年期の中性的な愛らしさが成長とともに薄まり、代わりに濃縮された無駄のない美形へと変貌を遂げている。その光景に、錆兎は奥歯を噛みしめながら目頭を押さえたくなった。
再会した幼馴染は今も変わらず美人で眩しく、錆兎の好みの中心ド真ん中にいたのである。
そりゃ、この顔がその辺を歩いていれば女子生徒の間で話題にもなるわなと、錆兎も納得しながら義勇の言葉を待った。
「……さびと」
落ち着いたのか、義勇がか細い声で錆兎を呼ぶ。少し鼻声なのが、妙にあどけなくて可愛いかった。
「ん?」
反射で、自分でも思っていた以上に甘ったるい声で返事をしてしまう。これはよくないと、錆兎が一度咳ばらいをして声のトーンを調整し直してから「どうした」と応えてやれば、義勇は目の前にいる錆兎の服の裾を掴むと言葉を続けた。
濡れた義勇の瞳と目が合い、またもや見惚れた数秒。
「……好き」
続いたのは、簡潔な二文字である。
時が止まったように、キョトンとする錆兎。何かの聞き違いかと首を傾げれば、義勇はもう一度「すき。ずっと好き」と言って俯いた。
「もう……言えないかと、思ってたから」
なにかを耐えるように話しながら、義勇は声を震わせる。
「……あの……また、友達として……仲良くしてくれたら……」
けれど、それ以上は言葉が続かない。黙り込んだあと、「いきなりごめん」と言い残し、義勇は放心状態の錆兎を残してその場から去ろうとする。
どうやら、返事を聞く気などは元からないようであった。
そもそも、それは告白などとは到底言えないもので、義勇からすれば溢れそうな胸の内を明かして楽になりたかったのだろう。ずっと伝えたかった言葉を伝え終えて満足したのか、泣いていたのを一転。
肩越しに振り向いた義勇はやり遂げたように、どこか切なげに微笑んで、呆然としたままの錆兎へ小さく手を振った。
「じゃあ」
再び混線する思考回路。六年ぶりの再会と、募らせてきた思いと、拗らせた初恋と、発覚した両想いと、より美人になっていた幼馴染とで錆兎は頭痛すら覚える。
友達として、仲良くしてくれたら嬉しいと義勇は確かに言った。好きだと言っておきながら、まるで錆兎の方は何も思っていないだろうと一方的に決めつけ、振り向いてはもらえないことを前提に。
互いの、空白の六年間。その間、義勇がどう生きてきたのかは当然ながら錆兎には分からない。
当時から変わってしまったものは多くあるであろうし、その間の義勇が何を見て来たのかも、どんなものに共感し、なにを悲しんだのかも分からない。
けれど──二人が今も互いに抱く恋慕の切実さだけは、男にはどちらも同じもののように見えたのだ。
徐々に離れていく義勇の背中を無意識に追いかけ、錆兎は力強く太い腕で抱きしめる。
言うべき言葉に迷ったが、それも一瞬のこと。
「……オレも義勇が好きだ」
これ以上に、相応しい言葉など錆兎には分からない。
とは言え、錆兎にもそれなりに情熱的な面こそあれど、普段は至って常識的な男でもある。もっと過去の思い出など振り返りつつ、ゆっくりと距離を縮めるのが妥当なのではないか、こんな大切なことを勢いで言ってしまっていいのか、流されてしまっていいのかなど。それらを考えはするものの、結局は義勇があれだけ切なげな顔をしているのに、放っておくことなど錆兎にできるわけがなかった。
思い続けていた子に好きだと言われた際の返事が、ちょっと考えさせて、一旦お互い冷静になろうなどと言うのは男が廃ると言うもの。
再会から、わずか一時間足らずで思いが通じ合うことへのスピード感に心がついていかないまま、これでいいのかという至極当然な疑問を押し殺して錆兎は覚悟を決めた。
なるようになる。そう、自分を言い聞かせて腹を括る。
錆兎の言葉を受けた義勇は恐る恐る自分を抱きしめる逞しい腕に触れると、素直に身体が密着していることへの照れなのか、顔をどんどん赤くさせて最後は耳をも真っ赤に染めていった。
「……そんな、気なんか使わなくていい。ほんと、俺が言いたかっただけで……」
聞き取りづらい、ボソボソと話す声。
相変わらず自分に自信が持てず、前向きになれない義勇が懐かしくて可愛くて、錆兎は目を細めながら抱きしめる腕により力を込めた。
ここを誰も通りかからない保証はないが、通ったら通ったらで、その時だろうと今は深く考えないようにする。
「オレがお前に一度でも嘘なんかついたことあったかよ」
錆兎が言うと、義勇はたっぷりと間をあけて首を横に振った。
近情報告だの思い出話だのは、いつだって出来る。錆兎は今の義勇が知りたくて、そして今の自分を見て欲しかった。もし義勇が今の己を見て、違うと感じる部分があるのであれば、正々堂々ともう一度惚れ直させれば良い。その逆も然りで、今の義勇を己が違うと感じる部分があるのであれば、それは自身の器の小ささから起こり得ることだ。
そうなれば、己の感性を鍛えなおすのみである。
愛とは、それもまあいいかと、時には多くを見て見ぬふりをしたり、許すことでもあると錆兎は考えていた。
錆兎は己の中にあった困惑を黙らせると、義勇の名前を呼ぶ。
そしてもう一度、改めて好きだと告げた──ここまでが、かれこれ一年ほど前のこと。
このような華々しい門出を迎えたのならば、その後もめでたしめでたしで終わるのが一般的だろう。むしろ、そうなるべきだとも。
なにせ再会を果たした後も、義勇は義勇のままだったのだ。それどころか成長とともに培われた健気さや思慮深さ、彼が元より持つ甘えたな部分は錆兎にとっても非常に魅力的に映り、男は思い出の義勇だけではなく今の義勇にも強く惹かれたのである。
また、義勇も今の錆兎を好いてくれているようであり、二人の学部は異なるものの授業が終われば錆兎をわざわざ昼食に誘いに来たりと、義勇は空いた時間もとにかく錆兎と一緒にいたがった。なにより、ことあるごとに錆兎と一緒が一番落ち着くと目を見て微笑んでくれる。
やがて休日に予定が空いていれば、欠かさず約束を交わす仲に。
思い合う者同士、時間を共有していると自然と距離も近付いていく。隣にいるだけであったのが手を握るようになり、そして唇を重ね、錆兎と義勇は同意のもと、最後は身体も重ねた。
思いを通わせ、時間を育み、体温を分かち合っては離れていた時間を埋めるように愛し合う。
現状、錆兎は満たされているはずであった。
美しく献身的で、聡明でありながらたまに抜けている愛らしさを見せる義勇とはあらゆる価値観も似ていて、錆兎にとっては間違いなくかけがえのない存在になりつつある。
それなのに、男には「幸せだ」と声を大にして言えない懸念点があった。
それが冒頭の、自問自答に繋がるわけなのだが。
錆兎の住まいである、ボロアパートの一室。
互いに授業もなく、この日は一昨年に公開されて話題にもなった、アクション映画を一緒に観ようと言う話になった。
錆兎としては、今日こそは本当に映画を観るだけ、なにもしない、そのつもりで家に誘ったはず。そして確かに最初は錆兎の計画通り、純粋に二人で映画だけを楽しんでいた。義勇はこれまでアクション映画の類をあまり観てこなかったとのことだが、反応を見る限りは楽しんでくれていることが分かり、錆兎も目を細める。
これでいい。
身体を重ねたとは言え、錆兎は何も義勇に触れたいばかりではなかった。ただ一緒にいて、好きなものや楽しいことを共有しあうだけでも十分な幸せを感じることが出来る。
なにより、いい加減ちゃんと話し合うべきだとはずっと考えていたのだ。
それなのに、そのはずであったのに。
やはり、好いた相手に迫られると錆兎は弱い。
愛した義勇を拒むと言う選択肢は、そもそも男の手札には一枚もなく──順調に見えたのも束の間。
映画を観終え、夜も遅いので義勇が泊まっていくことになり、夕食を終えて風呂だのなんだのを済ませた後だった。
どうして、こうなった。
もはや二度目となる台本通りのセリフを心の中で呟き、男は内心、首を傾げる。
当初の計画としては、映画を観て、義勇を泊まらせ、寝る前に布団の中で今後のことをゆっくり話し合う予定であった。
そのつもりで、今日は誘ったというのに。
「ん……っあ、ぁ……さび、と……っ」
なぜ、己は毎度の如く裸の義勇を組み敷いているのかと。
汗ばんだ白い皮膚は手のひらに吸い付くのが心地よく、柔らかさや丸みなどもほとんどない義勇の薄い身体は、抱きしめると錆兎をぬるい体温で包み込んで離そうとしない。背中に回された、縋るような腕の重みに自然と笑みが浮かび、錆兎は汗で張り付いた義勇の前髪を手で除け、形の良い丸みを帯びた額へキスをして目を合わせる。
「義勇、もうちょい声抑えて」
なにせ、ここは築五十年以上は経つボロアパートなのだ。幸いにも錆兎の部屋は角部屋で、おまけに隣は数か月前から空き部屋となってはいるものの、万が一がある。
けれど、実際はそれらも結局のところは建前で、単純に恥じらって声を抑えようとする義勇が見たかっただけなのだが。
案の定、義勇は錆兎の指摘に対して恥ずかしそうに、小さな口を手で抑えて我慢をして見せる。それが、どうしようもなく可愛い。
可愛くて、可愛すぎて、意地悪をしたくなるのはくだらない男の性なのだろうか。
「ぁっ、ん♡ ぅ、う……~……っ♡」
腰を引き、反応の良い奥の方を愛でるような緩やかなピストンを始めると、義勇は目を見開いて腸壁を締める。
また甘イきしたな、と錆兎はほくそ笑んだ。そのまま上から体重をかけてホールドし、正常位をより密着した体位にして抽挿を続けていると、義勇の腰から下が面白いほどに痙攣する。
後孔への刺激で迎える絶頂を幾度となく繰り返すあまり、射精どころか膨張や勃起すらせず、男としての矜持など忘れてしまった義勇のペニスからは押し出されるように無色透明の体液が滴り、布団の上に敷いたバスタオルを虚しく濡らすばかり。
錆兎が初恋を捧げたあの子は、すっかり自分の手によって雌となってしまっていた。
性のことに疎くて、純朴で、初だった義勇が。
縦割れの後孔を女性器に見立てて広げ、そこに雄を受け入れながら涙を流すほどに感じているのだ。
発情しきって降りてきている結腸は、コンドーム越しの大きく張った錆兎の亀頭へちゅぱちゅぱと吸い付き、子種を欲して肉壁が媚びるように蠕動する。
もっと、と義勇の柔らかな粘膜が雄を誘った。それに対して孕ませたいという、獣のような原初の本能に脳が支配されていくのを錆兎は感じた。
薄い腹の、臍の下。女性であれば子宮があるであろうそこへ手を伸ばし、確かめるように撫でてみる。たったそれだけの刺激でも義勇は弱いようで、錆兎の指先が動く度に中がきゅうっと締まって反応を示した。
義勇はてっきり、性的なことには一切の興味もないのだろうと、錆兎は思っていたのに。それが今やアナルセックスを覚え、愉しみ、下腹部を撫でられるだけで腰を揺らして、更なる刺激を求めてねだるように錆兎を見つめる。
魔性だ。
そう、思う。
「あっ、がッ♡」
ごちゅ、と待ち侘びていたであろう結腸に雄を叩き付け、先ほどとは打って変わって激しく最奥を抉った。
雄としてどちらが優れているのかなど、錆兎に抱かれているだけで義勇は厭というほど分からされる。
幾つも血管が走る、太さも長さも十分すぎる竿と、大きく張ったカリ高で固い亀頭はいっそ凶器そのもので、それらは義勇の理性も男としての自覚もなにもかもを削いでいくのだ。錆兎に抱かれていると、自分は彼の雌なのだと自覚させられる。
好きで、一緒にいたくて、もっと深いところで繋がりたくて始めたのが、セックスであったというだけなのに。
口を開けた結腸に射精間近の亀頭を咥えさせるように、錆兎の腰がより密着する。ぐちゅ、ぐぽっと聞くに堪えない下品な水音。同時に、摩擦や興奮によって赤く膨れた肛門の肉輪には宍色の濃い陰毛が擦れ、ずりずりと磨かれるように刺激が続くと無意識に締め付けてしまうのが止められない。
声を、我慢、しなければいけないのに。セックスをしていることが、男なのに喜んでペニスを咥えこんでいることがバレたら、恥ずかしいのに。
叫び出したいほどの強い快楽はいっそ苦痛を伴うほどで、脳が溶けていくような恐怖すら抱く。義勇の目は虚ろで、今や焦点すら合わない。
強制的に連続で絶頂を迎えることを強いられ続け、口を抑えていた手は添えられているだけとなり、意味のない嬌声は我慢できずに漏れてしまっていた。
「あ、いく、おっ、ぉ、……ぐ♡ いく、いぐ、い……~っ♡」
狼藉を働く雄を一切咎めることのない媚肉が、屈服するように蕩けて錆兎へ媚びを売る。
錆兎は満足気に微笑み、添え物となった手を掴んで顔を近づけると、唾液に濡れた義勇の口元へキスをした。厚みのある舌を甘く小さな口内へと伸ばしてやれば、すかさず義勇が吸い付いてくる。同時に唾液を流し込むと白い喉が上下して、それがまたなんとも気分が良い。
絶頂時には「イく」と言うことも、舌の吸い方も、腰の振り方、ねだり方もすべてが錆兎に躾けられた通り、義勇は染まりきっている。
心の底から、そんな義勇が可愛かった。
自分だけに淫らで従順で健気で、義勇を抱いていると錆兎はまるで男が見る単純で馬鹿馬鹿しい夢の中にでもいるような錯覚に陥る。
舌を絡めて唾液を混ぜ合い、口を離すとうっとりとした義勇が錆兎を見つめていた。
突き上げられるたびに、「ふ、ぅ」と声を漏らして、錆兎をジッと見つめる顔には笑みが浮かぶ。
「……さびと、だいすき」
甘えた、舌足らずな声で告げられる言葉は錆兎の理性を蹴り飛ばすには十分すぎるほどの威力で、男は義勇の腰を掴みなおすと射精へと向けた激しいピストンを再開した。
肌が激しくぶつかる音と、興奮した錆兎の荒い呼吸。
こうなると声を抑える余裕など微塵もなくなってしまった義勇に、錆兎の方から噛みつくようなキスをしてやる。小さな口も、ペニスによって可哀そうなほど大きく広げられてしまった後孔も、すべてを自分で埋めてやりたいと言う気になってしまうのだ。
下腹部が濡れた気がして、義勇がまたも粗相をするように大量の潮を吹いてしまったことを察するが、腰は止めない。明日も、布団をコインランドリーに持って行かねばと意識の片隅でぼんやりと考えた。
そうしている間にもペニスの太い裏筋はドクドクと脈打ち、張った睾丸から精子が登ってくるような感覚がする。
射精の直前。舌を吸ってから顔を少し離し、錆兎はぐしゃぐしゃになってもなお綺麗な義勇の顔を見下ろしながら、目を細める。
「義勇、好きだ」
告げて、抱き寄せつつ腰を押し付けるとコンドーム越しに熱を吐き出した。
薄い膜越しでも孕みそうな熱さに義勇は身悶えて藻掻くが、錆兎に身体を抑えつけられているため受け入れるほかない。
二人の吐息だけが聞こえる、ボロアパートの一室。
ぶるっと一度身震いし、吐精後に深く息を吐いた錆兎が密着させていた身体を起こすと、腕の中でクタクタになっている義勇を確認して啄むようなキスを繰り返した。そうすると意識を遠くにやってしまっていた義勇の目にも仄かに光が戻って来て、「さびと」と掠れた声で名前を呼ぶ。
「無理させたか?」
「ううん、だいじょうぶ……」
きもちよかった、そう言って脚を絡めて来る義勇に再度勃たせてしまいそうになるものの、抜かずというのはさすがにまずい。如何せん、量が量なのだ。ゴムがずれてしまうであろうことは確実で、もう一度するにしても己の子種で膨らんだゴムは替えなければならない。
指先を動かすにも億劫なほど脱力した義勇を労わるように錆兎は汗で濡れた頭皮を撫でて、溶けた瞼にキスをしてからゆっくりと腰を引く。
義勇の直腸が行かないでと言いたげに締め付けてくるのを前に、エロい身体に育ったなあと錆兎は他人事のように感心していた。自身が手塩にかけて育んできた、自分好みのいやらしさだというのに。
たっぷりと時間をかけて縋り付くような粘膜からペニスを抜いた錆兎がその辺に放り投げていた自身の下着を気怠げに履くと、黙々と使用済みのコンドームや義勇の体液で濡れたバスタオルなども纏めて片付ける。
その背中を、今も寝そべったままの義勇は恋しそうに目で追って、あれだけ可愛がってもらった腹の奥が再び熱くなるのを感じた。
義勇は少し関節が軋む両膝を擦り合わして手を伸ばし、届く距離にあった錆兎の背中を指先でつつく。
「ん?」
微笑み、振り向く錆兎が眩しい。
セックスのときは少しだけ意地悪な部分はあるが、そんなところにもドキドキしてしまうのは普段が誰よりも優しくて、求めてくれる姿がかっこいいからである。
「……錆兎、あの……布団汚してごめんなさい」
気まずそうに、恥じらい混じりに言うと錆兎は目を細め、義勇の頭を撫でた。
「いーよ、代えのもあるし布団も洗えば済む。別にいつものことだからな」
明け透けな言葉に義勇もついにはムクれて、いつものこと、は余計だと言わんばかりに背中を何度もつつく。だが、これも全て照れ隠しだとわかっている錆兎は「ごめんごめん」と笑い、寝たままの義勇に身体を向け直すと機嫌を取るように頬へと手を添えてキスをした。
それは触れるだけの、優しい口付け。
義勇の長い睫毛に触れるほどの距離で何も言わずに数秒ほど見つめ合ったあと、錆兎は歯止めの効かない本心を口にする。
「義勇、好きだ。……愛してる」
「……俺も。さびとが好き」
切実な言葉を真正面から受け、それでもなお義勇は幸せそうに微笑んだ。
これらは全て、疑いようもなく本心である。
思い合っているのも、好きでいることも、触れたい、一緒にいたいと願っていることも。
錆兎は聞き慣れた義勇の返答を改めて新鮮な気持ちで受け止め、今日こそはと意を決して口を開いた。
「……じゃあ、付き合う?」
──そう。
この二人、正真正銘の両思いでありながら実は交際関係に至っていない。
それが、それこそが錆兎の、「幸せだ」と声を大にして言えない懸念点であった。
「それは無理」
そして数秒も待たずに繰り出される、申し訳なさなど微塵も感じられない義勇の、これまた聞き慣れた返答。
通算、何十回、下手をすれば百回近くの撃沈。なにせ三十回を超えたあたりから、錆兎は耐えきれず数えることをやめた。
お互い好きで大好きで、それなのに義勇は錆兎からの交際の申し出に対して頑なに首を縦に振らない。色とりどりのイルミネーションが眩い、ムードも十分なクリスマスの夜に告白をされた日だって義勇は一貫して「付き合えない」と言い切り、答えは変わらなかったのだから手強いどころの騒ぎではないのかも知れないが。そんな関係を、もう一年以上続けていることに錆兎はそろそろ限界を迎えつつある。
とりあえずセックスをせずに、普通に話し合わなければ。
そう思うのに、なぜかいつも流されるがまま、気がつくと義勇を抱いてしまっている。
今日も、そうだった。抱くつもりはなかったのに、またもや真剣に話し合う機会を失ってしまった後である。
「あ、錆兎。あとでコンビニで一緒にアイス買いに行きたい」
男の葛藤など知らないまま、義勇は素っ裸のまま錆兎の膝に頭を乗せて、息を呑むほど愛らしく提案する。
いい加減、いい加減言わなければ。
こんな曖昧な関係のままなら、もうセックスをすることは控えようと。
義勇を愛しているからこそ、真剣に関係について考えていきたいのだと。
言わねば。そう思って、錆兎は口を開き──。
「──……うん、行こう。アイス買いに行こう」
男とは、男という生き物は、心から惚れた相手にはトコトン弱いものである。
錆兎は情けなさから自分の頬を引っ叩きたくなるのを内頬を噛むことで耐えながら、人知れず肩を震わせていたのだった。