愛した人は、綺麗だった。
陶器のような肌と、柔らかな癖のある濡羽色の髪が愛らしいその人。黒目がちな切れ長の目はどこまでも深くて、瞳を覗き込んだ者が落っこちないように縁取られた厚い睫毛はなにより優雅だった。
控えめで思慮深く、優しいその人を──男は──心から愛していたのに。死んで生まれ変わって、彼が海になっても、鳥になっても、星になっても、愛そうと誓っていたのに。
否、愛するだろうと、男は愚かな確信すら抱いていたのである。
「ほら、やっぱり似合ってる。いちばん綺麗だ」
纏めた黒髪に花の意匠が見事な簪を差してやりながら得意げに言えば、記憶の向こうにいる彼が少し照れてはにかんだ。
綺麗だったのだ、本当に。任務先で土産がてらに見繕った簪や髪飾りが積み重なって、溢れるくらいは。なにかで彩りたくなるのに、どんなに美しいものを添えても一番に綺麗な彼だけがキラキラと眩しい。その眩さに、男は何度も何度も恋をする。
「錆兎はいつもそればかりだ」
死んで生まれ変わっても、気付けば彼の面影ばかりを追っていた。
漠然と、記憶の底に染み付いた影ですら恋しく思う。触れた手の温もりも思い出せやしないのに、成長するにつれて前世と思しき記憶の残滓がぼやけていくのが怖かった。擦り減ったビデオテープのように、この恋心も朧げになっていくのではないかと指先が冷たくなっていく。それからというもの、男は過去へと蓋をするように、思い人のことを執拗に考えることをやめた。
己が愛した、たった一人。そんな人は、最初からどこにもいなかった。全ては夢で、そもそも前世なんてものもなく、理想と記憶の行き違いなのだと。
そのように思ったほうが、楽だったのだ。行き場のない恋慕で息ができなくなるのに、今世には待ち人などどこにもいない。男は、錆兎はあの人のことを幻だったのだと都合よく解釈するようにした。
それからは心が軽やかだった。何かが欠けているような孤独感も減った。人混みで誰かを必死に探すこともなくなり、夢から覚めて寂しさに打ちひしがれることもなくなった。己が普通になれたような気がして、そこで自分自身を特別たらしめていたのはあの馬鹿げた前世であったことを自覚した。
これでよかったのだと、己を納得させられるくらいには大人になりつつあった時のこと。
錆兎は、自分よりも八年も遅れて生まれ変わった小さな思い人に出会ったのだった。否、出会ってしまった。
あんなに思い出せやしなかった名前が嘘のように口から零れて、身体が勝手に動き、反射的に少年を抱き締めれば、今際の際であった彼と最期に交わした約束も共に蘇る。
死んで生まれ変わっても、一緒になろうと。
まるで呪いだと、今なら分かる。
無垢で幼い彼が抱いてくれる恋慕に近しい感情が、己が前世でかけた呪いにしか見えなかった。向けられる好意に対し、愚鈍な喜びよりも生々しい罪悪感や自分自身への嫌悪感が勝るのだ。
間違いなく義勇であるのに、彼であって彼でない、自分にとって都合のいい傀儡がそこにいるような違和感。
義勇は、冨岡義勇は死んだじゃあないか。痣の影響で而立も迎えない内に、姉と家族の元へ旅立ったのを見送っただろうと、贈った髪飾りを小さな骨壺と一緒に埋葬したあの日の自分に窘められる。
いつまでも、美しい人を自分のもとに縛り付けていてはいけない。愛しているから、正しい方向に導いて手放すべきなのだ。
それでも、今も、愚かな男はたった一人が好きだった。
同じ思いで生まれてきたのは、己がかけた呪いでもいいと思ってしまうほどに。
夢が叶うなら、もう一度だけ、世界でいちばん綺麗だと言いたかったのだ。