ひみつごと

 娯楽が少ない島での寄宿生活。
 これまで異性よりもデュエルに没頭してきた遊城十代ではあるが、健全な肉体と健全な精神を宿す少年らしく、性欲と呼ばれるものは当然ながら存在した。
 隼人や翔がレッド寮を出たこともあり、晴れて一人部屋になってからは必要であれば処理だってしてきた。
 つまるところ自慰である。
 一部の男子生徒間ではオカズとなる映像データだの写真集などが出回っているそうではあったが、十代の場合は勃てば扱き、たまに妄想はしつつも取り敢えず出すという味気のないものであり、特定の誰かを思い浮かべたりもしなければ、オカズといったものをわざわざ用意することもなかった。
 とは言え異性を少しは意識する程度に思春期である。
 中学生の頃などはそれなりに目立っていたこともあり、何も純粋なまま過ごしてきたわけでもない。
 だが、アカデミアの女子生徒は異性と言うよりも仲間やライバルの一人という目で見てしまうため、そこから恋愛感情に発展するかと問われれば難しい部分もある。
 そもそも、執着できるほど誰か一人を猛烈に恋い焦がれるといった経験が、今までも一度もなかったのだ。
 初恋は、まだである。それでも恋愛感情と性欲の区別くらいはついた。
 そもそも、そんな暇があるならデッキ調整をしておきたい、と考えるのが遊城十代の思考回路であり、それは今でもさほど変わっていない。
 中でも射精後の倦怠感、集中力の欠如はデュエリストである十代にとってはなにより煩わしいもので、筆記はともかく実技などで日々デュエルを行うことの多い生活をする以上、なるべくベストの精神状態で挑みたいと思うのが十代の本心であった。
 従って、十代にとっての自慰とは、アカデミアに入学したことによりいっそう娯楽からは程遠く、言わば作業の一つに過ぎないものとなっていたのである。
 他の寮生に見つからないようにコソコソと、隠れて寝ている間に汚れた下着を洗うのは、さすがの十代であっても羞恥を伴うものであった。
 だから、勃ったらちゃんと出す。
 ただ、それだけのこと。
「十代ってオナニーとかどうしてんの」
 親友の、この一言を聞くまでは。
 初めて会った気がしないほど、出会ってその日から意気投合した留学生、ヨハン・アンデルセン。
 同じく精霊が見える者同士、共通の話題も少なくなく、おまけにデュエルに対する価値観や情熱も似ているところが多かった。
 歩くと揺れるふわふわの柔らかい癖毛と、笑うとなくなる丸い目。十代よりも恵まれた体躯であるが、声が透き通るような高さで、そしてあどけなさを残している。
 見た目は紛れもなく爽やかな好青年であったものの、一緒に悪ふざけをしてくれるノリの良さを持ち、その反面、十代のぶっ飛んだ思考回路には容赦なくツッコミを真顔で入れてくる。
 そんな彼は今まで十代が親しくなった友人にも中々いないタイプであり、仲良くなるのに時間など必要なかった。
 変な意味ではなく、単刀直入に言うと十代はヨハンを存外、好いていたのだ。
 だから、この時間も楽しいデュエルの話題で盛り上がり、ヨハンに教えてもらいながら嫌々課題も終えて、一緒にレッド寮の大浴場で風呂に入り、十代の部屋で寝落ちるまで話しながら共に──ブルー寮に部屋を用意されているというのに、堅苦しいからとヨハンは十代の部屋で寝起きを共にすることが多かった──今日という一日を終える、はずであった。
「と……突然なんだよ」
 思いもしなかった話題を振られ、じゃっかん声がひっくり返る。カッコ悪かったかもと思い、十代はすぐに咳払いをした。
「や。いつ部屋行ってもさ、あんのはカードばっかだし。もしかしてそういうのに興味ねーのかなって」
 一方でヨハンは顔色も変えず、淡々と抱いたままの疑問を口にして、先ほどから十代の散らかったストレージを変わりに整理してくれている。
 お前、せめて魔法とモンスターくらいは別けろよなー、などと言いながら。
 ──ヨハンは豪快だが、どこか凛とした他にはない気品のようなものを纏っていた。
 通常、同世代の禁欲的な生活を強いられている、親しい男子生徒の間で交わされる話題とは、六割がデュエルに関することで、一割は晩飯のメニューについて、では残りの三割はと言うと、お察しの通りくだらない下ネタであったりする。
 万丈目などの潔癖な部分がある者は毛嫌いするだろうが、少なくとも他のレッド寮の生徒たちとそう言った話題で盛り上がり、馬鹿馬鹿しさに大笑いした経験は十代にだってある。
 けれどヨハンの口からは、それらの話題を聞いたことも、振られている場面も一度だって見たことがなかった。
 ヨハン相手ともなると野蛮なアカデミアの連中も少しは気を遣う、の良い例なのかも知れない。
 故に、興味がないのはお前の方じゃないのかよ──と思いながら、十代はなんと答えるべきか一瞬迷ったものの、別に照れたり隠したりすることでもないだろうと正直に答えることにした。
 変に恥ずかしがることで、ヨハンが十代の反応を面白がるのがなんとなく分かったからである。
「べーつに。フツーにシてるけど、パンツ汚すのダリーから定期的にしてるたけみてーな感じ」
「へー。てか十代ってドーテー?」
 床に座ったまま後ろに転びそうになる十代。
「……んだよ! さっきから!」
「やー、なんか十代のそういうの想像できなくてさ」
「そーゆーのは半笑いで聞くことじゃねーだろ」
 十代の指摘に「悪い悪い」と反省の欠片もなくケタケタと笑い、綺麗に片付いたストレージの蓋を閉じるとヨハンは顔を上げ、十代の方を見た。
 柔らかな光を帯びる瞳は宝石のようであり、無垢な色をしていて、ヨハンから吹っかけてきた話題であるのに妙な罪悪感さえ覚える。
 けれど、こうも圧されてばかりでは気が済まない。
「……ヨハンは? すんの?」
「なに?」
「……お……おなにー……」
 言い終わってから、自分はなにを聞いているのだろうという恥ずかしさで声が小さくなる。
 思わず床を見た。
 一方で、ヨハンは「んー最近はしてないな」と特に動揺する素振りを微塵も見せず淡々と話すので、なんでオレばっかりという拗ねたいような気持ちにすらなる。
 ヨハンは十代が抱く複雑な感情に気づいているのかいないのか。
 立ち上がると元あった場所にストレージの箱を丁寧にしまい、再び十代の前に座り直すのが床に写る影で分かった。
「……あ、あ〜……なんかそういう雑誌とか欲しかったらさ、持ち込んでる奴とかいるし、オレ借りてきて」
 やろうか、と。
 ヨハンの視線を感じ、慌てて顔を上げて普段通りを演じるように笑みを浮かべたが、ヨハンの顔が思ったよりも近くにあったため、十代は最後まで言えずに口を閉じる。
 学校指定のジャージを寝巻きにしている十代に対し、アークティックに在籍している頃からそうなのであろう、少し大きめな薄手のシャツと伸縮性のあるハーフパンツを纏うヨハン。
 そこには色気など微塵もないのだが、ただ、大きく開いた胸元からヨハンの肌が見えたので、なんとなく見てはいけないものを見てしまったような気になる。
 床に手をつき、十代の顔をまじまじと眺めるように顔を近づけてきたヨハンに、十代は吐息がかかることすらなぜか億劫で、鼻から静かに息を吐いた。
 その鼻息が、おかしなくらい熱い。 
「最近は十代と寝てるし、するタイミングないからな」 
「じゃあ寮戻ったらいいじゃん」
「一緒に寝ようって引き止めるのは十代だろ?」
「そ、それは……ヨハンと話してたら夜中になるし……こっからブルー寮って言うと距離あるし……」
 などと十代が言い淀めば、意地悪しすぎたかとヨハンは目を細め、十代の可愛らしい小さな鼻の先を指でツンと押す。
 十代は、可愛い。
 幼いようでいて、妙なところで年相応の恥じらいがあるのが可愛かった。すこしからかって、なんちゃってと二人で笑って、布団の潜り込んで寝るつもりだったのを、少しの好奇心が邪魔をする。
 目の前では、ちょん、と鼻を指で触れられた十代がやや寄り目になって、ヨハンの指先をキョトンと見ていた。
「二人でしてみる?」
「な、にを?」
「オナニー」
 あぐらを掻いていた十代が、結局そのまま後ろに派手に転んだのを見て、ヨハンの快活な笑い声が夜のレッド寮に響いたのは言うまでもなく。
 床に転がった十代の体ににじり寄って覆いかぶさりつつ、どのタイミングで「冗談だって」と言ってやろうかと考えつつも、しばらくは戸惑ったように目を泳がせる十代を眺めていたかった。