キラキラ

 一週間ほどの出張に行くことが決まったと錆兎から告げられた際、義勇は普段通り「わかった」と返事をしたものの、錆兎が出張へ向かう三日前には無性に寂しくなっていた。
 かれこれ、遡ること大学生時代。決して広くはない部屋から、二人の生活は始まった。それから何度かの引越しや生活スタイルの変化がありつつも、働き盛りの社会人となった今では共に中古マンションの購入を決断し、穏やかで平和な日々をのんびりと過ごしてきている。ここまで聞くとなんとも順風満帆で、なに一つ問題がなかった同棲生活のようにも聞こえるが、実際には現在に至るまでに色んなことがあった。二人が住んでいたアパートが隣家の火事に巻き込まれたことや、会社員時代の義勇が過労とストレスによって肺に穴を開けてしまったこと、錆兎のバイクが盗まれたことなど、大きいものから小さいものまで。
 それでも二人であったからこそ、なんとか乗り越えてこられた。
 特に病気で働けなくなった期間がある義勇は、錆兎がいなければ今頃どうなっていたのだろうと思うことが多々ある。当時の義勇は錆兎に対して謝ってばかりで、一秒でも早く会社に戻らなければと焦り、傷病手当をもらっているとは言え錆兎に金銭的な負担をかけてしまうと自分自身を責め、彼に迷惑がかかる前に離れた方がいいのではないかと殻に籠るようになった。なにも原因不明の不治の病にかかったわけでもないというのに、あの頃の義勇は精神的にも非常に追い詰められていたのである。
 そして義勇にさらなる追い討ちをかけたのは、当初は義勇が主導で進行中だったプロジェクトが、自分ではなく別の者が担当することになったという報告だった。己が動けない以上、後任が決まるのは当然のことだと言うのに。
 社会にも必要とされていないような、言い表せない謎の孤独感。恋人に迷惑をかけているという己への呆れ、焦燥感、虚脱感、エトセトラ。これまで積み重ねてきたものが、一気に粉々になっていくような感覚。振り返ってみれば「そこまで思い詰めなくても」と義勇も我ながら思う部分はあるが、元より真面目で責任感が強く、なにより今より若かった義勇にとっては大きすぎる挫折であったのだ。
 そんなときだ。黙って支えてきてくれた錆兎から「オレは義勇が義勇らしく笑って元気だったら、どんなことよりもそれが一番いいよ。義勇が好きなことだけ頑張ってほしい、どんな選択をしても絶対にオレが支えてやるから。無理だと思ったら全力でオレのとこに逃げて来てくれればいい」と言われたのは。多くを抱え込み、すでに両手からこぼれ落ちそうになっていた義勇はついに決壊し、錆兎にしがみつきながらおいおい泣いた。
 その後なんとか復職は果たしたが、結局のところ翌年には退職。しかしこの退職に際しては、やっぱり無理かもと思った時点で錆兎に相談し、再び身体を壊す前に退職を決めることが出来たのだ。以降は準備期間も経て会社員時代に培った知識と人脈、錆兎の支えもあり、フリーランスとして仕事を始めて、今では生活に困らないほどの金額は手元に残るようにもなった。
 錆兎がいなければ、自分はどうなっていたのか。否、錆兎のいない人生など、義勇には今や想像も出来やしない。
 幼馴染として共に成長し、高校生の頃に思いを通わせ、今では義勇にとって錆兎とはパートナー以上に、人生そのものとなっているのだから。
 このような二人だが、思い返してみると社会人となってからは、数週間も離れて過ごしたことがないことに気付く。義勇が入院していた際も錆兎は可能な限り見舞いに来てくれており、これまで錆兎に出張があったとしても長くて二泊三日程度、プライベートで遠出をするときは二人で行くことが基本であった。
 それが、一週間。
 たかが一週間、されど一週間。
 大の男が恋人と一週間離れる程度で心細さを感じるのは如何なものかと自分でも思うのだが、前述したとおり義勇にとって錆兎はもはや全てなのだ。
 けれど、この寂しさを素直に口に出すのは、憚られる。恥じらいもあるが、それよりも錆兎に余計な心配をかけさせたくなかった。これが例えば高校生、大学生の頃なら言えたのだろう。行かないで欲しいわけじゃあなく、ただ寂しいと。生きた年数として重ねただけの数字年齢ではなく、社会的な立場や責任の量から本当の意味で大人になりつつある今──義勇には言えなくなった言葉が、年々増えてきたように感じていた。
 錆兎はこれまでもこれからも、義勇にはずっと穏やかで優しいだろう。だから、彼が義勇の発言に眉を顰めたり、呆れたり、茶化したりするなんてことは絶対にないと義勇が一番分かっている。
 ただ、義勇が漠然と「もっと、ちゃんとしないと」と自分に対して思っている節があった。
 これまで、たくさん心配をかけてきたのだ。錆兎は順調にキャリアを積んで、仕事にもやり甲斐を感じている。そこに、少しでも己が水を差すようなことがあってはならない。だからこそ、ここで義勇がすべきなのは、行ってらっしゃいといつも通りに見送って、たった一週間程度この家を守ればいいだけだ。
 何十年も錆兎がどこかに行ってしまうわけでもない。何事も自分は大袈裟なのだと、錆兎が出張の際にいつも持っていくキャリーケースをパソコンデスク越しに眺めながら、義勇は神妙な面持ちで生ぬるいほうじ茶を啜った。
 そしてマグカップを持ったまま亡霊のように立ち上がると、昼間の自分以外は誰もいないリビングを徘徊する。履き潰されたスリッパが、フローリングを滑る音。それはカレンダーの前で止まり、錆兎が出張に向かう三日後につけられた赤い丸印を重たげな瞳が捉えた。その隣には、彼の字で『土産買ってくるからな〜』というメッセージと共に、気まぐれで描いたのであろう微妙に可愛いくないウサギのイラストが添えられてある。
 思わず、義勇の口元が緩んだ。先程まであんなに陰鬱なオーラを漂わせていたのに、これである。このメッセージとウサギのイラストは後日丁重に切り抜いて、いつも使っている手帳に貼り付け、いつでも見られるようにせねばと考えたのも束の間。いいや、いまはそんなことを考えている場合ではないと己に言い聞かせながら、義勇は壁に頭を押し付けた。
 今もずっと、こんなに錆兎が大好きで、自分は大丈夫なのかと謎の不安すらぎる。
 出会った頃から錆兎には貰ってばかりで、なにひとつ返せていないまま。自分のような男に、出来ることはなんなのかが分からない。本当に彼は自分を好きでいてくれるのかと愛する彼を疑うことはないにしろ、いつまでも幼稚で未熟な自分が彼と釣り合えているのかと懐疑的になってしまうことはある。
 重々しいため息のあとに完全に冷めた茶を一口。義勇は錆兎がいない一週間を仕事以外でどう過ごすかを考え、夕飯ついでにレイトショーでなにか観に行ったりしようかと、味気ない予定を立ててみるなどをして気を紛らわせた。

 ◇

「ただいまー」
 玄関から聞こえた錆兎の声に、キッチンの義勇がハッと顔を上げて「おかえりー」と返す、いつものやりとり。錆兎が毎週作り置きしてくれてある数品を二人分の取り皿にわけてレンジにかけ、白菜がたっぷりの豚汁を温め終えると義勇はコンロの火を消した。
 テーブルにはすでに箸やグラス類がきちんと行儀良く並べられており、こういうところからも義勇の几帳面さが窺える。
 洗面台では、錆兎が手を洗う音。この、平凡な生活音も来週はまるまる聞けないのかと思うと不意に寂しさが込み上がるが、せめて錆兎の前ではいつも通りに振る舞うべきだと己を叱責する。大丈夫、なんてことない、一週間くらい、と己を落ち着かせる呪文の数々。
 義勇は表情をキュッと引き締めて、出来立ての豚汁をよそった。錆兎には、もちろん豚バラを多めに。ふう、と錆兎が見ていないところで大きめのため息をつき、夕飯の支度を終えた義勇がエプロンを脱いでいると、スーツ姿の錆兎が満を持してリビングに顔を出す。
 その顔は、義勇とは正反対になぜか楽しげに笑みを描いていた。
「……ど、どうした?」
 戸惑い気味に、小首を傾げる義勇。直後、差し出された箱に目を丸くする。
「ケーキ買って来た。なんか職場の近くに新しいケーキ屋出来ててさ、甘すぎなくて美味かったって後輩から聞いたもんだから」
 義勇と食べたいなと思って、と錆兎が言う。
「ほら、三つずつ買ってきたんだよ。オレはモンブランだろ、義勇はイチゴいっぱいのやつ。あとはなんかうまそーなの適当に買ってきたからさ、あとで一緒に選ぼうな」
 祝いの席でもないのに、一人三つずつは多すぎるだろう──思いはするが錆兎が機嫌良さそうにスーツも脱がず、まだ夕飯も食べ終えていないテーブルの上に保冷剤が巻かれた箱を置いて、宝物でも見つけたように中のケーキを義勇に見せたから。
 義勇は、なにも言えなかった。
 促されるまま小さな箱の中を覗き込めば、ナパージュを纏ったフルーツがキラキラと宝石のように輝き、色とりどりの愛らしいケーキたちが崩れることなく鎮座している。
 彼はこのケーキが崩れないようにと、仕事終わりで疲れているだろうに慎重に抱えて持って帰って来てくれたのだ。今日は車通勤の日ではないから混み合う電車の中で、最寄駅に着くまでの数十分間を、大事に。それも、よく見れば錆兎が選んできてくれたケーキが義勇が好みそうなものばかりであり、これが偶然でもなんでもないことを、義勇は知っている。
 いつだって、錆兎はそうだったから。
 錆兎がこのように、土産を買って来てくれることはなにも珍しい話ではない。本人は甘いものがそこまで好物というわけでもないくせに、義勇が喜ぶだろうと新商品のコンビニスイーツを片手に帰ってくるのだって、一度や二度のことではなかった。
 いつかの錆兎が、義勇を喜ばせるのがオレの使命だから、お前は気を遣わなくていいんだなどと言っていたことを思い出す。あの時はなにを言っているんだかと笑ってしまったが、彼はあの時からずっと、休まずに恋人である自分を喜ばせようとしてくれていたのだと義勇はしみじみと噛み締めた。
 男なら惚れた相手にはいつも笑っていて欲しいもんだろうと、当然のように話す彼に出来ることはなんなのだろう──何度も、繰り返し考えてきたこと。けれど、答えはいつも錆兎が言ってくれていた。
 義勇が、義勇らしくいてくれることが、オレは一番嬉しいのだと。
 彼はずっと、ずっとそればかりを言ってくれていたのに。
 義勇は畳んだエプロンを片手に正解を見つけて、隣の錆兎にひしと抱きつく。
「……えっ、そんなにケーキ嬉しかったか?」
 想定していたリアクションでなかったにしろ帰宅早々に愛する恋人に引っ付かれ、錆兎は多少驚きつつもその手はすぐに義勇の腰を抱き、声色は弾んでいた。彼の厚い胸に顔を押し付けながら、義勇は目を瞑って小さく頷く。
「うん、嬉しい。……ありがとう」
 錆兎が、己を思い浮かべながらケーキを選んでくれたこと。それを、崩さないように大事に抱えて帰って来てくれたこと。夕食の後、どれを食べるかを一緒に選べること。
 食べきれない量のケーキを、また明日も一緒に食べられること。
 全部が嬉しくて愛おしくて、義勇の表情は徐々に柔らかなものになっていく。
「……俺、錆兎に……一週間も会えなくなるのが、本当はすごく寂しい」
 やがて口を衝いて出たのは、言わないでおこうと思っていた本心であった。
「出張、行くなって言ってるわけじゃなくて……ごめん、いい歳の大人が情けないって、思ってはいるんだが……」
 他でもない彼が、そのままでいいと言ってくれている。本音を隠して年相応に振る舞おうとするよりも、いつも寄り添ってくれる錆兎が、義勇らしくあることを望んでくれていた。
 思い返せば、嬉しいことや愛していること、感謝の言葉は毎日数え切れないくらい昔から変わらず伝え続けているが、いつしか歳を重ねるうちに寂しさやワガママはみっともないと呑み込んできたように思う。
 これまでたくさん迷惑をかけたのだからと過去の後ろめたさばかりが先走り、錆兎がずっと伝えてくれていた言葉すらも忘れそうになっていたのだ。
 今さら多少取り繕ったところで、錆兎には如何に義勇が寂しがり屋の甘えたで、錆兎がいないとダメダメで、どうしようもないくらい錆兎が大好きであることもバレているだろう。それを今になってみっともないだなんて、恥じらうにはあまりに遅すぎる。もっと恥ずかしいところを見せてきて、錆兎には都度尻拭いをさせて来たというのに。
 その度に、彼は言ってくれていたではないか。
 気にするな、お前にかけられる面倒なんか大したことはない、と。
 錆兎にとって義勇の寂しさもワガママも全てがお見通しで、そのどれもが重荷なんかではないのだ。たとえ重荷であったとしても、それごとお前を愛しているよと恥ずかしげもなく胸を張って言って見せるのが、この世で義勇が一番大好きな人だった。
「出張、頑張って。俺も、仕事頑張る。どうか気をつけて行って来てほしい。それで、あの……なるべくでいいから、出来る限りでいいから、早く帰って来て欲しい」
 義勇は錆兎の広い背中に、腕を回す。
「……この家で待ってるから」
 寂しいと一言を伝えるのに、こんなにも遠回りをする必要があるなど。大人というものは、つくづく難儀な生き物だ。
 抱え込んでいたものを吐き出したことで義勇の胸は軽くなり、強張っていた肩の力も抜けていく。変に気を張ったり、強がるのは自分には向いていないようだと義勇は自省し、錆兎に伝えたいことはしっかり言葉にしようと己に誓った。
 一方で、義勇からの言葉を受けた錆兎は義勇を腕に閉じ込めたままフリーズしてしまい、なかなか動かない。
 確かに、近頃は義勇の様子がおかしいとは思っていたのだ。変化は錆兎が出張に行くことを伝えてからであったので、おおよそ義勇が寂しさを覚えつつもなんとか堪えようとしているのであろうというところまでは察していた。だが、いくら恋人が寂しがっているからと言えど、そこで出張を取りやめるほどいい加減な姿勢で錆兎も働いているわけでもない。義勇がなにかを訴えて来た時には全力で受け止めようと決め、あとは干渉しすぎず、様子を見て、声掛けと少しのケア程度に留めていた。
 今日ケーキを買って来たのだって、義勇の気分が少しでも明るくなればいいなと思った上での行動であった。錆兎も義勇と一週間も離れることが全く平気なわけでもないが、同じくらい仕事を蔑ろにしたくないのも事実で、だからこそ残された今夜と土日には出来うる限りのことを義勇にしてやろうと決めて帰って来たのだが。
 すこし大人になった義勇があまりに可愛かったために、今や錆兎の方が離れ難くなっている。
 どうしてこうも、この男はなにからなにまで愛おしいのか。
 寂しい、行かないで、やだと駄々を捏ねていた小・中学生時代の義勇も。小さな声で、だって寂しいもん、と拗ねたように伝えて来ていた高校、大学生時代の義勇も。
 その全てが漏れなく可愛かったが、大人になってからも〝可愛い〟を更新するのはもはや才能である。
「……今から新幹線の席とって義勇も一緒に出張先行く?」
「なんでそうなる」
 錆兎なりに真剣な申し出であったのだが、さすがに義勇がそう易々とついて来るわけもない。仕事の邪魔だけにはなりたくないと、日頃から義勇は言っているだけあって、その意思は存外頑なである。
 まんまと振られてしまった錆兎は「ですよね」と納得しつつも、義勇を抱きしめる腕には力を込めた。愛する人の身体が軋まないよう、あくまでも包み込むように。
「ああ……オレも義勇の「おかえり」がない無機質なホテルで一週間正気でいられるかが不安になってきた……」
「錆兎は強いから大丈夫だ」
「……そうだな、オレは強いしな……」
 このやりとりだけを聞くと、なんとも雑に言い包められているようにも見えるが、義勇の謎の信頼は昔からブレないので本心からそう思ってくれているに違いない。その証左として、錆兎は強いからと語る義勇の瞳は、眩しいくらいに輝いていた。
 何を根拠に強いと言っているのか、錆兎の知るところではない。けれど義勇のこの瞳があるからこそ、錆兎はこれまでもこれからも、義勇の中で一番かっこよくあろうと思えてきたのだ。
 義勇が言えずに胸に秘めていることも、抑え切れない思いも、絶えず伝えてくれる気持ちも、すべてこの瞳を見れば分かる。出会った頃から変わらない、錆兎が一番幸せにしたいと思える人。義勇の白い頬を撫でて、錆兎の方から軽く唇を重ねた。
「とりあえずオレも義勇も寂しくならないように、今夜あたり充電しておこう。土曜と日曜も」
「……スケベな顔になってる」
「オレはスケベだが」
「誇らしげに言うことじゃない」
 こんなに魅力的な恋人がいれば、そりゃスケベにもなる。
 錆兎は男らしく開き直り、何度身体を重ねても飽きない恋人の隅々までをも愛したくて、もう一度キスをした。額を引っ付けあって見つめ合い、同時にクスクスと二人の笑い声が上がる。
「さて、とりあえずケーキはしまって飯にしよう。美味そうな義勇お手製豚汁が冷めちまう。来週分の作り置きは、義勇の好物ばっかにしておいてやるからな」
「い、いい。そんな……俺一人分だし、夕飯くらい自分で用意する」
「ん。まあ、そうだな。たまには外で好きなもののんびり食いに行ったりするのも、良い気分転換になるか」
 外食自体は二人で月に何度か、それこそデートがてらにランチへ行ったりはしょっちゅうするが義勇も一人のときくらいは家庭の味ばかりではなく、外で好きなものを飲んだり食べたりしたいだろう。錆兎もどうせなら、義勇には楽しい一人時間を過ごして欲しいという気持ちがあった。
 しかし、錆兎のささやかな気遣いを前にして、義勇は首を大きく横に振ると必死の形相で「ちがう」と訴える。
「そっ、外で食べるより錆兎のごはんを噛み締めておきたい、けど……! 俺が言いたいのはな、一人分だけ作るのって……結構、手間……だから……」
 義勇としては一人でどこかの飲食店へ出かけるより、錆兎の手料理を自宅でまったりと楽しみたいのが本音である。どんなに美味しい店の料理だろうと、美味しさを分かち合える錆兎が隣にいなければ、味がしないのも同然であった。
 彼が自分のために腕によりをかけて作ってくれようとしているのは、素直に嬉しい。けれどそれと同じくらい、せっかく出張前の貴重な休みなのだから、錆兎にはゆっくり過ごして欲しくもあるのだ。
 などと、義勇がなんとも歯切れ悪く、あれやこれやと言っている姿を錆兎はしばらく眺めていた。手のつけようのない甘えん坊のくせに、一丁前に気を遣っている姿がいっそ可愛い。周囲からはポーカーフェイスだなんだのと言われがちな義勇だが、錆兎の前ではこんなにも分かりやすかった。
 錆兎からすると、いつまでも義勇が恋人離れ出来ない事実は、敢えて言葉を選ばずに言うとこれ以上にない幸せなのだ。義勇の方からもこうして己に対する愛着を向けてくれるのは、面倒どころか男冥利に尽きるとも。
 これがあまり健全でない感情なのも重々承知で、一向に薄まることのない己の独占欲が義勇を縛ってしまわないかと一応は心配するのだが、むしろ義勇の方から縛ってくれと言わんばかりにやって来るので、錆兎の方が困惑することが多かったりもする。
 義勇のためを思って、恋人離れをさせる機会も過去に何度かは与えてはきた。それなのに義勇の方から走って懐へと帰って来るのだから、今では錆兎も「まあ、いいか」と思っている。これもまた、愛なのだろうと。
 どうしようもないのは、なにも義勇だけではない。自分も大概だと自嘲して、錆兎の目が次第に優しく細められていく。
「……なに食いたい? オレ、なんでも作るよ」
 義勇の長所でもあるが、彼はいつも頑張りすぎるところがある。控えめで穏やかで、自分の気持ちは二の次。錆兎には甘えて何かしらを要求することはあるが、そのどれもが些細なことだった。
 好きな子には、ワガママを言って欲しいもの。錆兎は自分なら義勇の全てを受けとめて、応えてやれる自信があった。
 手間が掛かろうとなんだろうと、それで義勇が幸せそうにしてくれるならどれも安いものだ。錆兎が恋人の可愛らしい跳ねた癖っ毛を撫でて問えば、観念したように義勇は少し唇を尖らせて、申し訳なさそうな、期待するような口振りで呟く。
「……しゃけだいこん……」
 それは幼い頃からの、義勇の大好物である。
「了解」
 義勇の要望に、錆兎はこの世で誰よりも幸せそうに笑って頷いた。
 いつまでも抱き合っている二人の姿を、錆兎用の茶碗に並々注がれたお肉いっぱいの豚汁と、美しいケーキたちがテーブルの上から微笑ましげに見守っている。