掻き集められてどうにか戻って来た幾つかの肉片を焼いた、数年前のあの日。
師に支えられながら義勇はなんとかその場に立ち会って、呆然と空に上がる煙を見上げると小さな手を伸ばした。
彼は、自分を置いてどこに行くのだろう。
あんなに高い場所に行かれたら、もう、一生届かないんじゃあないかとも義勇は思った。
いつかの山の中で少年が二人。死んだら、人はどこに行くのか。義勇が問うと、彼が言った。
土に還るのだと。
聞きたかったのは骨が土に分解される過程ではなくて、もっと抽象的なことであったのに。義勇が「そうじゃなくってさあ」と不貞腐れて言えば、少し笑った彼が背を向けたまま「そんなの、どこにでも行けるさ」と。
行きたいところに、行けるのだと。気が済んだら、役目を終えたら、次の命に場所を譲るのだと。
まるで知っているかのように話す宍色の髪を、出っ張った木の根に躓きそうになりながら義勇は必死に追う。
一方の彼は前だけを見て、足元をちっとも見ていないのに、どうして一度も躓かずに歩けるのだろうか。
見たことはないけれど、彼は足の裏にも目玉がついているに違いないと義勇は踏んでいる。そんな馬鹿げたことを、彼に出会った時からずっと、本気で考えていた。
そうでもしないと説明がつかないくらい、彼は軽やかであったから。
きっと、肉の代わりに神秘が詰まって、血の代わりに星が流れているのだ。
名前にウサギがつくのだって、その証左のようにも思えてしまう。いつか月から餅つきに勤しむウサギたちの迎えが来て、彼は月に帰ってしまうんじゃあないかと。
そしてそんな彼の正体が、かぐや姫の許嫁であったりでもしたら。
月に帰ったあと、彼がお姫様と結婚してしまうとして、その時、自分はどうすれば──義勇は気が気でなく、寝る前にこれらのことを一通り考えては、一晩中心配したりもした。
それらの空想を彼に話すと「お前は剣士じゃなくて、作家にでもなったらどうだ」と呆れられてしまい、軽く頬を抓れば仕返しに思い切り脇腹をくすぐられてしまったため、義勇はすぐに降参した。
「役目ってなに?」
質問と同時に、義勇がついに木の根に足を引っ掛けて、顔から転ぶ寸前。
「残して来た誰かの独り言を、しこたま聞くんだよ」
力強く抱き留めてくれた彼が、そう言った。
足の裏だけでなく背中にも、目がついているのかと。
義勇はここぞとばかりに、どさくさに紛れて友に思い切り抱きつき、甘えながら思ったのだった。
嗚呼。
友は死んだのではなく、月に帰ったのかもしれない。
だって、師は遺体を見せてくれなかった。帰って来た木箱はとても小さなもので、あんな箱に彼が入るわけがなかった。
ズタズタに引き裂かれた見慣れた着物が、刀を握っていなかった左側だけが残っていたのも、きっともう半分は彼が月に持って帰ったのだと。
今は、そう、思うことにする。
すると詰まりかけた呼吸が、少し落ち着いてくるからだ。
再び発作を起こしかねないので、火葬の立ち合いは控えさせた方がいい──数日前、医者の言葉に頷く師の背中を、義勇は虚な目で戸の隙間から眺めていた。
けれど師は医者が帰ったあと、義勇へ静かに問う。
半分ほどしか原型を留めていない、友の血と土の匂いが染み付いた着物を大切そうに抱き締めて横たわる、小さな義勇の頭を皺だらけの手で撫でて「お前はどうしたい」と。
己がなんと答えたのかは、曖昧である。
だが、気付くと火葬に立ち会い、空へと手を伸ばしていた。
高く、高くへ上っていく煙は、きっと月へと向かっているのだろう。
友は月へ帰った。二度と届かない月へと。
グズで卑怯で、泣いてばかりの自分を置いて、彼の相応しい神秘の詰まった世界へと帰ってしまった。
「義勇、おいで」
師に呼ばれる。
受け答えすら出来なくなった義勇が、視線だけをなんとか師へ向けると、いつまでも空に向けていた手を握られ、代わりに何かを乗せられた。
それはくすんだ白っぽい、小さな塊。
「耳の骨だ。これがこんなに綺麗に残ることは中々ない」
師が静かに続ける。
「……義勇。あの子は、お前の言葉を聞くためにこれを遺してくれたんだ」
──だから、これはお前が持っておきなさい。
その日の夜。義勇は相変わらず泥だらけの友の着物を抱き締めながら、月光に耳の骨をかざしたあと、口を開いて、己の舌へと乗せた。
脆く、力を加えればすぐにでも崩れるであろうそれを奥歯で磨り潰すと、唾液と共に嚥下する。
食事をまともにとれなくなって、数日。
久しく口にしたのは、友の遺骨であった。
こうすることで、自分の空っぽの腹に彼が宿るような気がしたのだ。
自分の声が、思いが、ずっと彼の元だけに届くだろうと。
死ぬまで一つであれるならば、もう二度と思い出さなくて済む。
幸せな思い出も、友への気持ちも。その全てを懐古する度に悲しくて何も出来なくなってしまう自分のために、義勇は記憶に重い蓋をすることにした。
縄で結んで、上に大きな岩を乗せて。
そうして残るのは、己が無力なせいで友がいなくなったという事実と、強烈な罪悪感、あとは微かな希死念慮である。
それでも、足だけは辛うじて前へと踏み出せるようになるのだった。
静かに光が失われていく少年の瞳を薄い瞼が覆って、涙がひと粒、友の羽織へ染み込む。
あの時。木の根に足を引っ掛け、転びそうになったところを抱き留められた義勇がいつまでも引っ付いて離れずにいると、彼は「重いぞ」と言ったが、それだけ。
仕方のない奴だと、笑ってくれていた。
どうか、今日もあの日のように叱らないでほしい。
仕方のない奴だと、この弱さを笑って、優しく背を撫でていつまでも抱き締めてほしかった。
「……錆兎、おやすみ」
義勇は最後の涙を流して、友が根付いた気がする己の腹を愛しげに撫でる。そして羽織に顔を埋め、身体を丸めて眠りについた。
その日。
錆兎を亡くしてから初めて、義勇は穏やかに眠れたのであった。