後日譚 02

 新たに柱が来る。
 それも、義勇やカナエと同じ年であるらしい。
 義勇は何事も顔に出づらいため、感情などを表情から読み取ることは非常に難しかったのだが、今日は心なしか嬉しそうであった。
 仲間が出来る。それに、同年代と来た。もしかすれば、友達になれるかもしれない。
 新たな風柱となる不死川という者とは、義勇は面識がなかった。名前も初めて聞いたくらいであったので、年齢は近しくとも入隊時期なども異なる隊士であろう事が窺える。
 だが、多くの隊士の治療を行ってきたカナエとは顔見知りであるそうで、彼女からは優しい人であると聞いていたのだ。
 何かを守るためなら自分が傷つくことも厭わず、真面目で心根の優しい青年だと。素直でないので時に勘違いもされやすいが、ちゃんと人の内面を見ることの出来る義勇なら、仲良く出来るはずだとカナエは微笑んだ。
 この世に存在する、澄んだ綺麗なものと暖かいものだけを集めて生まれたような、優しいカナエのお墨付きなのだ。
 まず、大前提として義勇にはカナエの言葉を疑う余地などなく、不死川実弥とは一体どのような人なのだろうと、心から楽しみに思っていたのだ、が──。
「いいご身分だなァ、おいテメェ」
 事もあろうか、お館様を相手に啖呵を切り始めた不死川に、義勇の表情筋は相変わらず一寸も動きはしなかったものの、内心はただただ困惑していた。
 義勇の右隣にいる宇髄は一言も発しはしないものの、不死川の態度に対して強い怒りを抱いているのが気配で分かる。
 普段はさっぱりとしていて明るく、淡白なようで実は面倒見の良い宇髄を知っているだけに迫力もあり、義勇はなんとなく居心地が悪い。
 そして左隣の炎柱である槇寿郎は久しぶりに招集に応えたかと思えば、不死川の無作法を年長者として宥めるわけでもなく、飽いたように一度ため息を吐いて、小さく舌打ちをしてからは無言のままであった。
 義勇は困ったりすると、固まる癖がある。
 戦闘時における脅威的な情報処理能力から緻密な分析力、判断力の早さに全てのエネルギーを割いているのかとでも言うくらい、こと私生活においては脳の処理が追いつかずにその場で固まってしまっては、口が半開きになっていたり一人で小首を傾げている姿を多々見かける。
 なお、口が半開きになることに関しては、アホみたいだからやめろと宇髄に再三口酸っぱく注意されているが、これが中々治らない。
 そして今も、義勇はやや口が開き掛けていた。
 不死川の口から「白々しい」と聞こえたくらいからは、もはや何も頭に入ってこない。周囲がそれぞれ怒ったり、悲しんだり、呆れている中で、義勇だけが真顔であった。
 側から見ればどんな場面でも冷静沈着な男として映るかもしれないが、今のこの時も義勇はずっと困っているに過ぎない。
 けれどこれが、ただの無法者がお館様を蔑むことを目的に吐いた暴言であれば、義勇も当然怒りを向けただろう。だが、不死川から感じるのは、そんな単純なものではなかったのである。
 嗚呼、きっと、彼も自分のことが許せないのだろうと義勇は思った。
 そして、そんなことはきっと他の柱も分かっている。
 不死川の過去など知らずとも、彼が己の無力さに打ちひしがれて、叫び出したいほどの怒りを自分自身に抱いていることなど。
 ここにいる者は皆、その痛みに覚えがあるのだから。
 それでも足掻いて、剣を握り続けたからこそ、不死川が柱としてここにいることも、ちゃんと分かっている。
 全て分かった上で、不死川と向き合おうとしていた。
 それ故に、それぞれの感情を抱きながら、彼の無作法を咎めようとしていたのだ。
「──ごめんね」
 空気が変わる。
 風が吹いたように、晴れ間が見えるように。
 お館様の声が降ると、不死川は毒気を抜かれたように静かになった。
 語られるのは、不死川と兄弟のように親しかったという、匡近という少年が亡くなっていたということ。
 友人が残した遺書を手渡された不死川は、生きて欲しいと言う願いに対し、言葉が詰まると何も言えなくなっていた。
 やがて震える手で、開かれた遺書に額を擦り付け、声を押し殺しながらも「なんでここに、俺しかいないんだ」と不死川が掠れた声で呟いたのが、静かな庭園ではよく聞こえたのである。
 義勇は、カナエが不死川を指して言った「優しい人」という言葉は、あながち間違いではないと、その背を見て思えた。
 才能があろうと、柱になろうと、過去にどれだけ手を伸ばしても守り切れなかった無念とは、硝子の破片のように形を変えて心に刺さり続けている。
 そんな苦しみをいつまでも抱え続けるのなら、いっそのこと感傷に浸る記憶ごと手放せたら良いのにとすら。
 だが、その苦しみこそが、折れそうな自分の背をいつも真っ先に支えてくれるのだ。
 後悔は、かつて握っていた、手の温もりの形をしていた。
 それを忘れてしまったら、きっと今度こそ何も守れなくなってしまう。
 不死川は己の足で、守れなかった者たちと後悔に支えられながらも、ちゃんとそこに立っていた。
 息をするのも苦しくて、不甲斐なくて腹立たしくて堪らなかったが、不死川の隊服には金色に輝く釦が優しい光を帯びている。
 今もすぐそこで、柱となった不死川を自分の事のように誇らしげに見つめながら「実弥を信じてよかった」と、笑ってくれている気がする匡近の名前を呟き、不死川が隊服の袖で涙を拭うのを、お館様は我が子を見つめるように優しく見守っていた。
 ゴウと一際強い風が吹き、不死川の顎を伝う涙を、空まで攫っていく。
 それは、もう俺のために泣いてくれるなと、友であり兄であった彼が言っているようでもあった。

 ◇

 一波乱あった風柱の任命式も無事に終わり、お館様が戻られたあとは残った柱たちの時間となる。
 普段の柱合会議の際はそれぞれの報告や今後の方針について話し合う時間なのだが、今は義勇と槇寿郎を除く柱たちが不死川を囲みつつ、先ほどのお館様に対する態度についてああだこうだと説教をしていた。
 不死川に事情はあったとしても、それはそれ、これはこれだ。
 義勇はチラリと、四人の背を見た。
 先ほどの威勢の良さもなく、不死川も今回ばかりは言い返しもせずに黙って三人からの言葉を聞き入れているようで、思ったよりも聞き分けが良いのだなと感心すら覚える。
 もっと聞かん坊な男なのだとばかりに。
「俺は帰る。水柱殿はどうする」
 すると隣の槇寿郎から気怠げな声がかかった。
 今日の槇寿郎からはあまり酒の匂いもせず、どことなく調子も良さそうである。
「……少し、ここにいます」
「そうか」
 古くから鬼殺隊にはどの代にも水柱と炎柱が存在し、どれだけ柱の顔触れが変わろうとこの二柱は隊を支え続けてきたとされる。
 二十年近くも柱を務めたという先代水柱の殉職後、次にその座に就いたのは息子と年齢も変わらない少年ではあったが存外伝統を重んじる気質であるらしい槇寿郎は周囲との関わりを避けるようにはなりつつも、新たに水柱を背負うこととなった義勇には縁深い柱として自ら声を掛けることがあった。
 しかし名前を呼ばれたことは、一度もない。
 義勇はいつも、水柱殿と呼ばれている。
 もしかすると亡くなった先代の水柱と槇寿郎は親しかったのではなかろうかと。義勇は時おり、そう感じることが多々あった。
 それも全て推測でしかなかったが、槇寿郎がどこか懐かしむような声色で義勇を水柱殿と呼ぶものだから。
 義勇の就任式には、来なかった理由も。
 その後初めて顔を合わせた際に、お前も髪を結っているのか、そうか、と静かに言われたことも。
 槇寿郎は懐古的な人だった。
 あの頃に戻りたいと常に願っていることが表情や言葉の節々から感じられる、残された側の苦悩と孤独を抱えて生きる男だ。
 だから義勇は敢えて槇寿郎にはなにも聞かない。
 詮索も、しない。
 なにも聞かず、ただの水柱として槇寿郎に接する。
 それで少しでも仲間を失い、妻を亡くした男の苦悩が和らぐのならそれで良いだろうと考えていた。
「……お気をつけて」
 ただ、これは冨岡義勇としての言葉である。
 ──槇寿郎、気ィ付けて帰れよ。瑠火さんと杏ちゃんに、よろしく。下の子が産まれたら、またみんなで飯に行こう──。
 高い位置で一つに結んだ長い髪と、白縹の羽織を揺らして。
 あれは、穏やかな波のように周囲の不安ごと攫ってしまう、かつての水の呼吸を背負っていたとある柱が決まって言う別れの挨拶だ。
 それを槇寿郎は義勇のたった一言で、まるで昨日にでも友と顔を合わせたかのように色鮮やかに思い出す。
 確かに肩を並べた、あの頃ののことを。
 それがもう、ここには誰もいなくなっていたとしても。
 誰かを愛し、仲間を失い、守ると誓い、大切に思えば思うほど。太陽には決して届かず、蒼穹に憧れ、地で揺れるだけのちっぽけで無力な焔である己が憎くなったのはいつからだろう。
 太陽に近付くあまりに、この身が灰になったとしてもそれすら本望だと思うのに。手を伸ばせど、足掻いて藻掻こうと指一つ太陽には届かずに、この焔はその場で燃え尽きてやがて固い地面の上で撒かれるだけの灰となる。
 ここにいる若者たちも、どれだけ剣技を極めようと決してあの天には届かない。
 太陽にはなれない。
 他の仲間たちと同じく、刻まれぬ歴史の塵となるだけの全てが無駄な命だ。
 槇寿郎は背を向けたまま義勇に何か言おうとして、一度立ち止まった。
 妻を亡くしてからは徐々に気力を失っていく槇寿郎を気に掛け、そろそろ長子に家督を譲ったらどうか、などと馬鹿げたことを言われることが増えた。
 出来るわけがない。
 無駄だと分かっている戦場に、この茶番に、誰が望んで自ら我が子を立たせると言うのか。
 あれがどれだけ罵ろうと、見捨てようと、理不尽を浴びせようと、決して刀を手放そうとしない頑固で真っ直ぐな馬鹿息子であろうと。
 あんなのは、あんなどうしようもない馬鹿息子は、何も背負わずに普通に生きて、病気もせずに普通に暮らして、笑いながら普通に歳を重ねていれば良いのである。
 そこまで思いながらも、刀を握らせまいと我が子の腕を斬り落とす勇気すら男にはなかった。
 生まれたばかりの小さな息子が、力強く槇寿郎の指を握っているのを見て「この子も、良い剣士になりますね」と妻が笑ったことを。
 槇寿郎が長期の任務から帰ると隣の母の真似て行儀良く出迎えるのに、「おいで」と父が屈んで声を掛けると満面の笑みを浮かべて子供らしく抱きついて甘えてくる温もりを忘れられなかったからである。
 もはや父としてのくだらぬ矜持と意地だけで、ここにしがみつく日々。
 男もずっと自分を許せないでいた。
 失うことを恐れる余り、無力さを呪うばかりに。
 もはや関わるだけ無駄だと自分に強く言い聞かせ、槇寿郎は結局義勇には何も言わずにヒラヒラと手を振るだけに留めた。
 隠に帰る旨を伝え、駕籠へと気怠げに乗り込もうとする。
 すると背後から「煉獄さん」と。
 玉を転がすような、優しい声が掛かった。
「──今日はお疲れさまでした。また今度」
 いつもの暖かな笑みを浮かべて、小さく手を振るカナエ。
 続いて手を上げる宇髄に、柔らかな物腰でお辞儀をする悲鳴嶼に囲まれ、きょろきょろと周囲を見渡したあと、場の雰囲気を察しておずおずと不格好な会釈をする不死川。
 その、なんてことのない光景を前に、振り向いた槇寿郎の色褪せた瞳には懐かしい色が滲む。
 いつかの、何度も振り返ってしまいそうになる槇寿郎に「進め」と言って背を押してくれた古い仲間たちが一瞬、ほんの一瞬だけ見えたような気がした。
 ──彼らの死は、彼らの決意は、彼らの歩みは、あの刃は、全て無駄な茶番だったのだろうか。
 あれは──槇寿郎が焦がれる太陽よりも、眩しいものではなかっだろうか。
 思わず呆けた顔を浮かべたが、それも一瞬のこと。
 男はすぐに前に向く。
 あとは義勇にしたように同じく、何も言わずに皆に背を向けて手だけを振ると静かに駕籠へと乗り込んでいった。
 だが、その足取りはいつもより少しだけ軽やかなものに見えたものだから。
 事情の分からない不死川は難しい顔をしたまま。カナエと宇髄と悲鳴嶼の三人は、同時に目を見合わせて少し笑った。
 義勇も柔らかな笑みを浮かべる。今度は、自分からも槇寿郎に声を掛けてみようとも考えながら。
 柱一同が、今日は少しだけ調子の良さそうであった槇寿郎を乗せた駕籠を見送ったあと。
 宇髄が「さてと」と呟き、唯一離れた場所にいた義勇の方を見た。
「おい冨岡、お前もこっち来てなんか言ってやれ! ガツンと柱の先輩として!」
 まさかのご指名に義勇は「え」と声を漏らす。
 なんのことかと改めて視線を向ければ、すっかり顔馴染みの三人と中央にいる不死川が揃って義勇を見ている。不死川に至っては、まだやんのかよ、というような顔で。
 固まる義勇。
 なぜそんな、最も説教など向いていないであろう自分に声を掛けるのか。任務中などの緊急時は口調が荒くなることもあるが、こんなに改まって人に説教などはしたことがない。
 義勇も礼儀作法自体は身に付いてはいるが、口数の少なさや声の小ささなど多くの課題を今もなお抱えていた。
 おまけに考えを言葉にするのは苦手で、いつも口より先に身体が動くからかやることなすこと突拍子もないと驚かれることが多々あるくらいだ。
 そんな己が、不死川になにを説教しろと言うのか。
 確かに、あの口の悪さには驚いたとは言え。
「……泣いていた者に、そんな追い打ちを掛けるような真似は出来ない。可哀想だ、皆もそっとしておいてやらないか」
「な……っ泣いてねェ! 可哀想でもねェ!」
 思慮深過ぎるが故に出る義勇の一周回って配慮の足りない言葉に、不死川は初めて焦ったように反論した。
 泣くことは別に恥ずべきことではないというのが、元は泣き虫だった義勇の考えだがどうやら不死川は違うらしい。
 義勇なりに不死川を庇ってやったつもりが睨みつけられ、なぜ怒鳴られたのかが分からず、何度か瞬きをしてから義勇はやはりいつものように不死川の目をジッと見た。
 なお、これはガンを付けているわけではない。
 義勇曰く、言葉を交わさずとも目を見れば相手の考えが分かるとのことだったが果たして「可哀想」と言ったことで不死川の地雷を見事に踏んでしまったことを、彼が読み取れているかは定かではない。
「泣いてただろ」
「泣いていたな」
「泣いていたわ」
「うるッせェ!」
 しかし他の柱たちからの冷静な指摘が続き、義勇との睨み合い──義勇はただ見ていただけなのだが──は中断され、不死川は頭をガシガシと掻くと諦めたように盛大にため息を吐く。
「……これからは、気ィ付ける。次会った時は、お館様に……ちゃんと謝る。……それでいいだろ」
 やはり、思ったよりも素直な男だ。
 唇を尖らせた不死川の言葉を聞いて、それが良いと頷く岩柱。優しい笑みを浮かべ、隣で見守る花柱。なんか危なっかしいガキが来たなと、思う割にどこか楽しげな顔の音柱。そして傾げていた首を、やっと定位置に戻す水柱。
「だってよぉ冨岡、コイツ許す?」
 肩を組まれて少し向こうにいたのを宇髄に引きずって来られた、されるがままの義勇を怪訝そうに不死川は目で追った。
 もしやコイツは柱ではなく、ここで飼われている犬か何かなのでは、という疑いの眼差しである。
 けれど、どうやられっきとした柱であるらしい冨岡と呼ばれた男は妙にぼんやりとしており、不死川が見る限りは周囲の空気から一歩も二歩も置いて行かれていた。
 自分と歳も変わらなさそうだが、どこか末の兄弟たちを彷彿とさせる様子が癪に障る。
 これが幼児なら勿論なんとも思わないが、相手は可愛げも何もない立端もある同世代の男なのだ。
 シャキッとしろ、と言いたくなる部類の苛立ちである。
 一方でそんなことを思われているなど気づかずに、なぜか怒らせてしまったが不死川とはどうしたら友達になれるのだろうかと、義勇はこれまた呑気なことを考えていた。
 自分はどのようにして他の柱たちと馴染めたのだったか──すると義勇の顔が僅かに、ほんの僅かだがハッとして、「これだ」と思い至ると宇髄の隊服の裾を引っ張りながら顔を見上げた。
「……宇髄」
「あ?」
「……あの……その、あの」
 ゴニョゴニョと相変わらず聞き取りづらい義勇の声が続いて、宇髄の顔が徐々に険しくなっていく。
「……だァから、ボソボソモジモジクネクネすんなつってんだろうが! 何遍言わせんだ、ちったぁド派手にハキハキ喋りやがれ! 舌引っこ抜くぞ!」
「……クネクネなんかしてない」
「うるっせぇわ何ムスッとしてんだ。口答えすんなお前が俺に、百億万年はえーんだよ」
「横暴だ……」
「もっかい言え、ハッキリと」
 宇髄は癖の強い後輩に対して強い口調でありながらも、なんだかんだと面倒みがいい。
 義勇のなんの脈絡もないようで時には本質を突くこともある言葉は、耳を傾ければこれが結構面白かったりするのである。困惑することは多々あるものの、相手をすること自体はそこまで疲れることではなかった。
 何言ってんだコイツと思いながらも発言を紐解けば、どうやら自己完結してしまったあとに発言をしているだけで、何も考えていないわけではないらしい義勇の言葉は思いのほか理に適っていたりする。
 どうしてもっと自己主張をしないのかと宇髄は以前に義勇へ問うたことがあった。
 すると、口下手故に喋ると大体の場合で誤解を生むので、極力何も言わないようにしているのだと。
 義勇から直接聞き、それから宇髄は敢えて積極的に義勇に発言させようとしていた。
 そもそも、適切な言葉を選ぶのに慣れていないから誤解を生むのだ。
 同じく口数の少ない槇寿郎はともかく、幸いにも悲鳴嶼しかり、カナエしかり、いまの柱の面々は穏やかな者ばかりである。新参者の不死川と義勇の相性は、あまり良くないだろうと現時点で既に宇髄は察してはいるが。
 大半は義勇の言葉が足らずとも、怒らずゆっくりと耳を傾けてくれる者たちだ。
 なので、これを機に義勇の口下手を矯正させようと宇髄は考えている。今後、もし柱の人員が増えて集団行動や業務に支障が出ては敵わない。
 そんな考えで接していると今のように僅かだが、義勇が自己主張することも徐々に増えてきた。
 あとは、声量と主語を付けることが目標ではあるが。
 やれやれと宇髄がいつものように義勇の聞き取りづらい言葉を待つ。
 しかし──宇髄に指摘され、やや大きめの声で頑張った義勇が発した一言は、
「だんご」
 で、あった。
 表情を一切変えぬまま、宇髄が義勇の黒目がちな目と暫し見つめ合う。
 そこで義勇がもう一度、今度は少し控えめな声量で、やはり「だんご」と言った。
 聞き間違えではないらしい。
 今回は、紐解けないかも──と思いつつも宇髄が義勇を見つめ続けていると、間をあけて、義勇は首を傾げる。
 何でコイツまともに喋らないクセに、一丁前に「ちゃんと聞いてる?」みたいな顔してんだよと宇髄の眉間に少し皺が寄った。
「あらあら。冨岡くん、お腹すいたの? 就任式の前に頂いたおむすびじゃ足りなかったかしら?」
 そして義勇よりは幾分かマシとは言え、これまた少々ズレているカナエが参戦するともう手に負えない。
 全てがめちゃくちゃとなる。誰にも止められない。
 今度こそ宇髄は遠い目になると、目頭を揉んだ。
 憐れむような目で、不死川が宇髄の背を見ている。
 悲鳴嶼は南無と手を合わせていた。
「いや……足りた。……シャケ握りだった」
「そうなの、良かったわねぇ。冨岡くんは、おシャケが好きだものね」
「うん……好きだ」
「これなんの時間?」
「今後も聞くことになると思うから言っておくが、このお花畑組の会話はあまり真剣に聞くな。脳が破壊される」
 宇髄からの初めてのアドバイスは確かに今後も活用されそうである。
 一方で伝わらなかったかと義勇の背中に汗が伝った。顔は、無表情のままだが。
 そして少し前の義勇なら、もうこの時点で諦めていただろう。結局なにも言わずにその場を後にして、寝る前に思い出しては布団の上を何度か転がるだけであった。
 義勇の人生とは大体がそんな感じである。
 だが少しずつ、小さくとも変わろうとしている今の義勇は、もう一度口を開いてみせたのだ。
「……宇髄」
 結局は、困った時の宇髄なのだが。
「あのな、なに言うか困ったらとりあえず俺を呼ぶのをやめろ、余計なことば〜っか学びやがってお前は。もう面倒見れませんさようなら、閉店です」
「いやだ開店してくれ……後生だから……」
 自分で言ってもきっと上手く言葉がまとまらない。
 人には適材適所と言うものがあると、義勇はいっそ開き直りながら口達者な同僚に頼ることをすっかり覚えてしまっていた。
「そんなこと言わないであげて。宇髄さんはなんだかんだ言って、冨岡くんの代弁が上手なんですから」
「宇髄も前は年が近いのが増えると良いなと言っていただろうに……それとも不死川が来たからもういいのか? 冨岡も念願の男の子だろう」
「いやそんな初孫みたいに言われても。俺が良いなって言ってたのは一緒に飯とか行きてぇなぁって話で、こんな主語も付けらんねぇ生まれたてホカホカを世話したいって意味じゃねぇんだわ。もう冨岡と仲良しのカナエ嬢が聞いてやれよ、面倒くせぇもんコイツ」
「ふふっ、ごめんなさいね、私にもさーっぱり!」
「清々しく諦めてんじゃねぇよ」
 誰が好き好んで二つほどしか歳も変わらない野郎の面倒をそこまで見るのだ。
 やはり世話役も兼ねて実力も申し分ない、錆兎とか言う義勇の身内を柱に擁立した方がいいと宇髄は何度目かの検討をする。
 前の就任祝いの際だって義勇には手を焼いた。
 水柱のための親睦会だと言うのに、主役であるはずの義勇は周囲に気を遣って自ら隅に座った錆兎の隣から離れず、真ん中に座れと言っても首を頑なに縦に振りやしなかったのである。
 しかし錆兎の方はどうやらまともな男らしく、義勇に対して咎めるように「お前の為に開いてくださってる集まりなんだぞ」と厳しい口調で言い聞かせるも、義勇はそんな正論に対して「何故味方をしてくれないんだ」とでも言いたげに唇を噛みながら無言で錆兎の肩を軽く小突いていた。
 こら、人を叩くなと叱られても、錆兎の腕にしがみつきながらもフンとそっぽを向く始末。
 最終的に周りに何度も頭を下げている錆兎ごと、義勇を中心に座らせるという手段を取ったのだが。
 宇髄はふと、妻の中でも末っ子の甘え上手でひっつきたがりで泣き虫な須磨が頭に過り、なんとなくだが錆兎の苦労が手に取るように分かった。
 天元様の隣がいい、それがダメならお膝がいいですウワーンと街中で泣かれたことが、宇髄にも何度かある。
 一切反省していないらしい義勇の手から団子を無理やり口に押し付けられ、本格的に頭を抱えている真人間らしい錆兎に同情と同族を見る眼差しを宇髄は向けていた。大変だよな、ウンウン分かるよと。
 そんな二人を見慣れているらしい以前から親交のある胡蝶姉妹は気にすることなく各々団子を摘み、悲鳴嶼に至っては人それぞれと言う考えの男であるため、好きにさせてあげなさいと茶を啜る。
 挙げ句の果てに常識的なことを指摘しているはずの宇髄が、なぜか「宇髄さん、冨岡さんをいじめちゃダメですよ」とカナエの妹であるしのぶに窘められ、錆兎がこれまた顔をしわくちゃにしながら「すみません、口達者な子で、本当にすみません」と宇髄に頭を下げ続けていた。
 なによその言い方、冨岡さんが強く言えない人だから代わりに言っただけじゃない、錆兎からビシッと言ってあげたら良いのにとしのぶが言い、そうだよな、義勇のためにありがとうな、でも相手は柱の方だからとゲッソリしている錆兎が宥め、その間も渦中の人物であるはずの義勇と言えば無言で錆兎の口に団子を押し付け続けていた。
 それを見た放任主義なカナエと悲鳴嶼が「賑やかでいいですねぇ」などと呑気に話し掛けて来たので、宇髄は貼り付けたような笑顔を浮かべて「ソウッスネ」と返しておいたのだが。
 あの時も主に精神的に大変な就任式だった──と、宇髄が思いを馳せたところで、不意に義勇の「だんご」という訴えが何を指すのか。
 合点がいった宇髄は突然、「あー!」と声を上げた。
 大声に、隣の義勇が一寸ほど飛び上がる。
「なるほど。あれか、お前の就任式で団子食ったからな、不死川にもってことか!」
 宇髄が言うと義勇は真顔のまま必死に何度も頷いた。どうやら正解らしい。
「さすがね、宇髄さん!」
「見事だ……」
「ふ、まぁな……」
「帰っていいか?」
 馬鹿馬鹿しいほど朗らかな場の雰囲気に流されることなく、冷静さを保ったままの不死川に「いいわけねーだろ」と宇髄が引き留める。
 柱とは鬼狩りを極めた玄人の集まりだと聞いてきた。変わり者も多いが、放たれる威圧感に場の雰囲気が変わるとも。
 確かに、戦闘においては彼らの右に出るものはいないのかもしれないが。
 少なくとも今、不死川の目の前にいるのは仲睦まじそうにキャッキャとはしゃぐ若い男女四名である。
「という訳で不死川」 
「あ?」
「団子を食いに行くぞ」
「どういう訳だよ」
 先ほどまで振り回される側であった宇髄までもが、あちら側へと行ってしまった。染まりたくない一心で不死川が心底嫌そうな表情を浮かべるも、カナエが無邪気に不死川の顔を覗き込む。
「行きましょう? 私は不死川くんの優しいところを知ってるけれど、みんなはまだ知らないわ。少しお話ししましょうよ」
 濁りのないカナエの言葉には、中々どうして不死川は強く反論が出来ない。
 うるせぇ、どうでもいいの一言くらい言えたらいいのだが、カナエが「ね」と花すら霞む可憐な微笑みを浮かべると、言葉が喉に支えて上手く出てこなくなるのだ。
「俺は別に、お前らとこうして馴れ合う為に柱になったわけじゃあ──」
 なんとか振り絞ってそれっぽい言葉を並べてみるも、不死川の言葉を最後まで待とうとするカナエの大きな瞳に耐え切れず、つい一歩後ろに下がろうとしたところで不死川は誰かにぶつかる。
 振り向くと、そこには──ボケっとした顔の義勇が、いつの間にかそこにいた。
 さっきまで宇髄の隣にいたのに、だ。
 音もなく、気配も悟られずに、この男は不死川の背後を取ったと言うのか。
 流石は柱──と言いたいところだが、それよりも近い。顔が近い。とてつもなく近い。なぜ、こんなにも近い。距離の詰め方がどうにもおかしい。
 おまけに、どう言う感情なのかが、一切表情から読み取れないのである。
 ただならぬ圧を感じ、カナエと義勇に挟まれて完全に身動きが取れなくなった不死川は硬直した。
 なんとか不死川と友達になりたい義勇は、とりあえず物理的に距離を詰めてみたのだけなのだが、それはあまりに唐突過ぎて不死川からしてみると義勇の行動力はいっそ恐怖ですらある。
 友達作りとは、なんとも難しい。
 一方で、義勇に「行け、いま誘え」とけしかけた元凶の宇髄は、口を抑えて震えながら笑うのを耐えていた。
 義勇は知見の深い宇髄の言う事であればとりあえず素直に聞くことにしているのだが、しかしその殆どは余計な入れ知恵であることが大半となっている。
 時にはさすがの義勇も妙だと勘付いて宇髄に反抗し、生意気だと言って鼻を摘まれている姿を見かけるが、どうやら今回は人付き合いの上手い宇髄に従ったようであった。
 そんな義勇の、ただならぬ圧が放たれているような、はたまたなにも考えていないような、死んだ目をしているような、生き生きとしているような、どうにも考えが読み取れない黒目がちな瞳がジッと逸らされずに不死川を見つめている。
 一体、どういう気持ちの顔なのだ、これは。
 やがて義勇は表情筋を一切動かさないまま口を開けたり閉じたりを二回ほど繰り返して、不死川がその度に何を言い出すのかと身構える。
 義勇は前髪の内側に大量の汗の粒を浮かべ、意を決するとようやく言葉にした。
「……団子を食いに行きょう」
 噛んだ。
「断る」
 そして撃沈。
 少し固まってから、義勇は不死川を指差して、言いつけるかのように表情を崩すことなく宇髄の方を見た。
 しかし視線の向こうにいた宇髄は、声には出さずに「が・ん・ば・れ」と唇を動かすばかり。
 助けてはくれないらしい。義勇は「宇髄が行けと言ったくせに」とでも言いたげな顔をして、ずぶ濡れになった犬のようにしょぼくれて俯いた。
 堪えていたつもりが義勇の間抜けな顔を見て盛大に吹き出してしまったのを咳払いで誤魔化す宇髄に、悲鳴嶼が呆れて「後輩で遊ぶのは良くない」と苦言を呈する。
「……だんご……」
「囁くな」
「団子」
「いや普通の声量で言えってことじゃあねェんだわ。なんなんだテメェ、さっきから気味悪ィな張っ倒すぞ」
「あ、そういえば紹介がまだだったわね。こちらは水柱の冨岡義勇くん。私たちと同じ歳でね、それで」
「違う! 違う違う違う! 詳しく教えろって意味じゃなくてだなァ……!」
「不死川はなに団子が好きだ?」
「もう頼むから喋るなお前は。黙っててくれ殴りそうなんだよさっきから」
「俺はすべすべのこしあん」
「はいはーい、私は鶯餡!」
 とうとう爆発しそうになった不死川はハッとして、二人が宇髄からお花畑組と言われていたのを思い出し、呑まれそうになっていることを自覚した。
 よりにもよって同年代がこの二人であることに、今更ながら先が思いやられる。
 義勇はその間もブツブツと暗示でも掛けるかのように「団子」と囁き続け、カナエに至ってはそれに対し「お抹茶も飲みたいわねぇ」と呼応していた。
 誰か助けてくれと、不死川はこの短時間で一気に老けた表情で虚空を見つめる。
「はいはい、ンじゃあ風柱説教二次会に行くぞー。蝶屋敷の方までよろしく頼むわ」
「かしこまりました」
 ああ面白かったと、一通り笑った宇髄が満足気に待機していた隠達に声を掛ける。
 結局、不死川の意見など聞き入れられるわけもなく既に団子屋へ行くことは確定事項であるらしい。
「おいっ、俺は行くなんか一言も……ッ」
 自分を置いて話が進んでいることに、不死川が異を唱えようと声を上げた。
 しかし、そこで空気を割るような悲鳴嶼の一拍が炸裂する。鼓膜が千切れそうな迫力に、さすがの不死川も無言となって、ゆっくりと悲鳴嶼の方を見た。
「……ここであまり、騒ぐんじゃあない」
 行こう、と悲鳴嶼が同年代の三人組に言うと、カナエだけが満面の笑みを浮かべて悲鳴嶼の隣へと駆け寄った。
 残された、不死川と義勇。
 不死川が妙に疲れたような重たいため息を吐くのを、義勇は横目でジッと見ている。
「……あの」
 そして先に口を開いたのは義勇の方であった。
 不死川は「なんだよ」とだけ言って渋々歩き始め、それに気づいた義勇も慌てて不死川の隣を歩こうとする。
「糖分は……苛立ちを抑えるらしいと、さび……家族が前に教えてくれた」
 余計なお世話だと、そもそも誰のせいだと、不死川は義勇に対して言いたい文句は色々あったが全て言っていたらキリがない。
 また、言ったところで義勇がそれらの言葉が通じるの相手なのかですら不死川にとっては未知数であった。
 変な男だ。フワフワして、ボケっとして、掴みどころがない。掬っても指の隙間から零れていく、まさしく水のような男だった。
 話しても無駄だろう。どうせ、そうに決まっている。
 突き放そうとしながらも、不死川は無意識に義勇のゆったりとした歩く速度に歩幅を合わせてしまっていた。
 それがお人好しな兄弟子の影響なのか、不死川が元々持っていたものなのか、その両方なのかは定かではない。ただ、すっかり冷たい男になりきれなくなった不死川はふと──匡近の、最期の言葉を思い出した。
 俺がいなくなっても──ちゃんと皆と仲良く、するんだぞ。
「不死川」
 また、風が吹いた。
 顔を上げると義勇が相変わらず感情の読み取りづらい表情でこっちを見ており、それはどこか申し訳なさそうな顔をしているような、そうでもないような。
 ──こんな、ワケわかんねェ奴とも仲良くしろって言うのかよ?
 風に、尋ねた。
 すると、背を押すような一際強い風が吹く。
 無茶を言うなと思いながら、けれど匡近がここにいたなら「悪い子じゃなさそうだ」と言って自らも積極的に義勇に声を掛けていただろう。
 そんなことを考えながら、あったかも知れないもしも﹅﹅﹅を振り切って、義勇と視線を合わせる。
 初めてこちらをちゃんと見てくれた不死川に、深い青色をした義勇の目が、今度は少し笑ったような気がした。
 それも、気のせいだったのかもしれないが。
 少なくとも不死川の目には、そう、映ったのである。
「……勝手に提案して、すまなかった。俺は……この通り話すのが下手だが、他の方々は優しくて良い人達だ。だから、その。みんなと食べたら、楽しい、かも……しれない……から」
 義勇もまた、他人を気遣える錆兎なら、どんな言葉を不死川に掛けるだろうかと考えて声に思いを乗せていた。
 話すことを苦手とする義勇が迷いつつも、なんとか話そうとする。それを、不死川は遮らずに、急かしもせずに聞いていた。
 匡近のようには、なれない。
 常に笑みを浮かべて、相手の気持ちを汲み、手を差し伸ばして他人の世話を焼きながら兄貴面をするような男には。
 今だって義勇に対してもう少し聞き取りやすくハキハキと話せないのかと、苛立ちすら抱いてしまっている始末だ。
 だが──お人好しで、お節介で、優しい兄弟子から貰ったものを──自分なりに繋ぐことなら、出来る。
 だから。
「……そうかよ」
 うるせェと言おうとして、やっぱり、やめた。
 不死川は合わせていた歩幅をいつも通りの早足にすると「団子屋行くんだろ、さっさとしろォ」と背後の義勇に告げて、ついて来たらしい嬉しげな足音に再びため息をつくと空を見上げた。
 これでいいかと、友に問うように。
 分かりづらく微笑む、不死川の傷だらけの頬を撫でるような、優しい風が二人の剣士の間でそっと吹いていた。