山中などに点在する鬼殺隊の仮設屯所は鬼による襲撃への対策として、短い周期で頻繁に場所が変わることで知られている。
その都度、隊員は現在地から最も近い屯所までの道のりを鴉の誘導を受けて向かうこととなっており、屯所では備品の交換から周知事項の共有、隊服の補修受付など、時には班員との合流地点として様々な用途で活用されていた。
駐在する隠たちによって軽食なども用意されているそこは、日々忙しなく任務へと向かう隊員同士の数少ない交流の場であり、憩いの場でもある。
近情報告をし合う隊員たちや、任務に赴く小隊で忙しなく人が入れ替わる賑やかな屯所内。
外に幾つか並べられた休憩用の腰掛けでは任務前である錆兎が右腕の袖を捲り上げ、蝶屋敷で処方された薬を貼っていた。
(……うちの水柱様は、上手くやってるかねぇ)
確か、今日は新たな柱の就任式があると鴉が届けてくれた便りにあった。ここ数日は義勇も警邏任務で各地を回っており、錆兎は連日の単独任務で立て込んでいる。
その結果、一ヶ月は義勇とも顔を合わせておらず、代わりに文通で互いの近情を把握している日が続いていた。
今までも同じ任務に就くことの方が稀であり、中々会えない状況には二人とも慣れてはいるのだが。
それでも柔らかい癖っ毛を撫で、こちらを甘えた目で見上げて微笑む義勇を錆兎は今すぐにでも思い切り抱きしめたかった。
他の柱の方々と馴染めているだろうか、口下手が祟って可愛げのないことを言ってしまい、勘違いをされていないだろうか。以前であれば、そんな心配事が尽きなかっただろう。
だが、実際の柱の面々はそんな義勇のことを受け入れ、集団ではどうしても浮きがちな彼に対して親切にしてくれているらしく錆兎と親しいカナエからも「冨岡くんが素直だから、みんな親切にしたくなるのよ」と聞いていた。
手のかかる男には変わりないが、義勇は少しずつ変わっていっている。
対人関係よりも今ではちゃんと飯を食っているだろうか、食べこぼしで口の周りを米粒まみれにしていないかと、そんなことが主な心配事となっていた。
とは言え、義勇に完全な錆兎離れをされても寂しいのは事実で、ほどほどで良いぞと思ってしまうのはワガママなのかもしれない。
しかし実際の義勇と言うと錆兎離れなど未来永劫、到底できそうにないのが実情である。
義勇にどれだけ依存されているのかを中々自覚していない錆兎は、柱の中でもなんだかんだと義勇の世話をしてくれている宇髄が幾度となく「今すぐ錆兎呼んでこい」と存外意固地な義勇に苛立って怒鳴り散らかしていることなど、知る由もなかった。
義勇が柱になってから宇髄とは任務で一度顔を合わせており、その際に顔を見るなり「お前あいつの躾ちゃんとしとけよ、監督不行届だろ、あといつ柱になんだよ」とチクチク脅さ──言われた。
甘やかしているのがバレているらしい。平謝りをするものの、実際に義勇を前にしてしまうとどうしても錆兎には厳しくなど出来そうになかった。
それとなく柱の方々に迷惑をかけていないかと錆兎が聞くと、義勇は自信満々に「かけてない」と言うので、もう何も言えまい。
「あ! 錆兎さんだ!」
「おつかれさまですっ」
自分に甘えて来る義勇に思いを馳せている最中、不意に名前を呼ばれて顔を上げると、そこには以前に任務で手を貸した幼い後輩たちが錆兎を見つけて駆け寄って来る姿があった。
入隊したばかりの十二か十三歳頃の幼い後輩たちの姿は見かけるだけで、ああ、良かった生きていたかと、それだけで嬉しくなってしまい錆兎は優しげに目を細めて目の前までやって来た二人の頭をグリグリと撫でる。
「元気にしてたか」
「はいっ、元気です!」
「錆兎さんくらい大きくなるために、二人でご飯いっぱい食べてます」
「あっはっは。そうか、そうかそうか」
任務の際は厳しい口調になる錆兎を最初は怖い人なのだろうかと幼い隊員たちは恐れていた。けれどそれは死んで欲しくないという願いから来ていることをすぐに理解し、今ではこうして錆兎に懐き、屯所などで見かけるたびに二人揃って錆兎に頭を撫でくりまわされに来ている。
成長期ゆえに隊服の丈がいつも微妙に合っていない、小さな隊員たちに錆兎はどうか強くなって欲しいと思う。
誰かを守るために、というよりも。
幼い剣士たちに、錆兎は死んで欲しくなかったのだ。
これから先輩と調査任務へ行くのだと話す後輩たちを、錆兎はわざわざ席を立って見送り、何度も振り返ってはいつまでもこちらに手を振ってくる二人に目を細めて錆兎も手を振り続けた。
小さな背中が見えなくなった頃。ふと屯所の方に向けた視線の先で、久方振りな背中を見つける。
錆兎は自らその背に近付き、肩を叩いた。
「よお、村田。久しぶり」
「あれっ! 錆兎!」
他では中々見ない、妙に艶のある髪はやはり村田のものであった。
村田は背後の錆兎に「ひっさびさだなぁ」と言おうとしたが少し前に会った時と比べ、また一段と錆兎の背が伸びていることに気づき、この男はどこまで健やかなのかと一瞬言葉に詰まる。
急に黙った村田に笑顔のまま首を傾げる錆兎は選別で初めて会った時に感じた印象と、何一つ変わってはいないのだが。
「どうかしたか?」
「いや、錆兎お前……まだ身長伸びてんのなって……」
「そろそろ止まると思うけどなぁ、さすがに。隊服の採寸が面倒で敵わん、今年に入って靴と服でそれぞれ二度も測らされた」
「でも、そろそろ止まるって、それ前も言ってたんだよなあ」
そうだったかと笑う錆兎を見上げつつ、元気そうで何よりだと村田もつられて笑みを浮かべる。
村田も最終選別では、錆兎に救われた者の一人であった。
鬼に襲われ、瞬時に構えたはいいが振りかぶると同時に刀が手からすっぽ抜けてしまい、遥か遠くまで飛んで行った日輪刀を目で追いながら、あの時の村田は己の死を覚悟した。
空腹で自我すら失った鬼が牙を剥き出しにしながら、丸腰の自分を目掛けて襲いかかって来る──その瞬間、どこからともなく月光を背負って飛び出して来たのが、錆兎であったのだ。
顔を覆う狐の面。地面を一度蹴り上げただけで信じられない高さまで跳躍したその姿に、新手の鬼かと勘違いした村田は情けない悲鳴を禁じ得なかったが、気付けば目の前まで迫って来ていた鬼の頸が斬られていたのである。
腰が抜けてへたり込んだ村田を、錆兎が帯刀しながら一瞥。
面が持ち上げられて初めて見えたその顔は、自分と歳も変わらない少年のものだったため村田はポカンとした。
錆兎は「無事か」の一言のみ。
なんとか頷き、身体を起こしてもらいながら礼を言ったところで誰かが息を切らして近付いてくる。
そうして「錆兎、急に走らないでよ」と頭に大きな葉を乗せたまま、木々の隙間から顔を出したのが当時の義勇だった。
その後、錆兎と義勇は周りと同じく自分のことで精一杯であろうに、共に飛んでいってしまった村田の刀を探してくれた。
日が登り始め、二人の貴重な睡眠時間を奪ってしまうという申し訳なさから泣き出してしまった村田に義勇は見るからにオロオロし、「あ、あのっえっと、大丈夫、あにょ、おれたち眠くないし、だから泣かないで」と慣れないながらも自分なりに慰めようと試みる一方、今よりも歯に衣着せぬ物言いだった錆兎は「男がそんなことで泣くな」などと辛辣ではあったが、刀を探す手だけは止めなかった。
その後は無事に刀が見つかり、村田は涙を拭いながら何度も二人に礼を言った。
そうして自分も水の呼吸を使っているのだと村田が二人に話すと、錆兎と義勇は顔を見合わせたあと村田に嬉しそうに笑いかけたのである。
水の呼吸の使い手など、鬼殺隊内にはどこにでもいる。
なにも珍しくはない呼吸だと言うのに、そんな共通点さえも心細い思いをしていた村田を癒やすのには十分だった。
互いに頑張ろうと励まし合い、錆兎が「行くぞ義勇」と当たり前のように呼ぶと義勇に隣を歩かせ、村田は並んで歩く二人を見送った。
そして──そして、錆兎は。
「……あー、えっと。……腕の調子はどうだ?」
腕のことを錆兎に聞く時、村田はいつもどこか申し訳なさそうに問い掛けてしまう。
選別が終わり、その場にいたのは二十人以上の開始時と変わらない顔触れ。
けれど、そこに錆兎だけがいなかった。
村田は慌てて錆兎のそばにいた義勇を探したが、選別中に頭を強く打ったのか意識はなく、初めて会った時につけていた狐の面も血に濡れて割れてしまっていた。
意識を失うほどの頭部への衝撃。それに伴う出血量から見るに、すぐにでも医師に診せなければならない状況に置かれた義勇は自力で山を降りられず、待機していた隠の者によって運び出され、とてもではないが話を聞ける状態ではなかったのである。
代わりに、負傷した義勇を選別が終わるまでの数日間に渡って介抱していたと言う少年が口を開いた。
鬼に襲われたところを変わった髪色の少年が助けてくれた。そして負傷したあの子を俺に預けて行ってしまってからは、姿を見ていない──と。
そう村田が聞いたのを皮切りに、周囲にいた者達がこぞって「自分も恐らく同じ人に助けられた」「私も」と口々に言い出したのだ。
本来であれば合格者向けに階級の説明や鴉の支給などが予定されていたのだが、周囲のどよめきによってそれどころではなくなる。
まだ山の中に彼がいるかもしれないと誰かが言ったのを発端に皆が一斉に探そうと騒ぎ出して、最終的には救護を目的に待機していた隠達が「後ほど現役の隊士を含めて捜索を検討する」と宥めると、なんとか場を収めた。
けれど、今だから分かる。
あれはおおよそ、遺体の捜索を意味していたのだと。
多くの者が出会い、助けられたという宍色の髪の少年。
それはまるで、幻のようだった。
けれど村田は、実際に彼と話したのだ。
錆兎と呼ばれていた彼を、笑顔を浮かべていた彼を知っている。あれは幻などではなく本当に生きた少年だった。
錆兎が発見されるまでの数日間。村田は同じく錆兎に救われた同期生を連れて、藤襲山の麓にある診療所へ訪れていた。
藤の花が施された院章を掲げたその診療所では入院という形で義勇が保護されており、その日はようやく意識を取り戻した義勇が薄っすらと目を開けたのである。
同期生たちが安堵から喜んだのも束の間。
開口一番、身体を起こした義勇は掠れた声で「錆兎は?」と問うたのだ。
錆兎はどこ、錆兎はと繰り返す義勇になんと言えばいいか分からず、村田たちが言葉を詰まらせたのを見て義勇は目を見開いた。
徐々に顔を青褪めさせながら義勇は布団から這い出ようとし、見舞いに来ていた者達が抑えつけてもなお、義勇は藻掻いて暴れた。
額の傷が開き、巻かれた包帯に血を滲ませた義勇が錆兎の名前を叫ぶ。やがて激しい過呼吸状態に陥ってしまったところで医者が駆け付け、何度も立ち上がろうとする義勇を大人たちが羽交い締めにしながら鎮静剤を投与していた。
そんな緊迫した現実を前に固まってしまった村田たちは、気が付くと病室から追い出されてしまっていたのを覚えている。
呼吸を乱してもなお、錆兎の名を呼び続ける義勇の啜り泣きが襖の向こうから聞こえて、村田を含む同期生たちは耐え切れなくなり、涙を袖で拭った。
あの時、刀を探している途中に泣いてしまった自分を義勇は慰めてくれたのに。取り乱した彼に掛ける言葉が見つからなかったことを、村田は悔やんでいた。
それから、二日後のことだった。
右腕が曲がり、潰れた状態の錆兎が山中で発見されたのは。
多くを救った彼の刀は折れ、数多の刃こぼれから錆兎がその状態でも最後まで戦おうとしていた痕跡が残っていた。
皆を救った一人の剣士は奇跡的に命が助かったとしても、二度と刀を握ることの出来ない身体で発見されたのである。
「おう、全く問題ないぞ。この通りだ」
そのはずだった。
現実は、この通りである。
村田に腕の心配をされ、錆兎は薬を貼るために捲りやすく作られた隊服の袖を上の方まで折ると、痛々しい傷跡や縫合が繰り返された治療痕は残ってはいたが太く逞しく育った右腕を村田に見せた。
もう、それはそれは、痩せ型な村田の腕に比べて二周り、否、三周り弱は太いであろう立派な筋肉がついた腕である。
あの時の涙を返せよなどとは決して思わないものの、当時はまさしく錯乱状態となっていた義勇には多少同情する。
しかし、あの義勇のことだ。錆兎が快復し、ここまで逞しく育ったことも心から嬉しく思っているに違いないと村田は勝手に想像しておきながら妙な胸焼けすら覚えて明後日の方向を見つめた。
なお、錆兎の復帰後は何やらひと悶着あったそうだが、同期生の間では錆兎と義勇の二人が非常に親密で仲睦まじいことなどもはや周知の事実である。
接点のない者に二人の関係を聞かれた際には、ああ、あの二人は昔からそういうもんだから、うん、と答えるのが同期の間でのお約束である。
「……腕をしまってくれないか。安心すると同時になんか凄く落ち込むから……」
「なんでだよ」
「お前には分からんさ……」
よく分からん奴だと袖を下ろしながら笑う、いつもの錆兎の横顔を見上げて村田もつられて笑った。
錆兎は出会った時から今まで、ずっと変わらない。
鬼狩りなんて仕事を続けていると、数年も経てば考えや顔付きが変わってしまう者も少なくはなかった。
村田も鬼など知らずに生きていた少年時代と、鬼狩りとなって四年目になる今では変わってしまった部分も多いと自覚するほどだ。
それが悪いと言うわけでも、良いと言うわけでもなく。
ただ、錆兎はずっと錆兎のままであったのだ。
サッパリとしていて気取らず、感情的になることもなければ周囲の声に耳を傾ける柔軟性は持ち合わせつつも、しっかりと芯の通った自分を持っている。
厳しさはあるが、寧静な優しさが際立つ男。
階級では大きく差がついたものの、今でもこうして顔を合わせれば友人として声を掛けてくれる。そんな錆兎の変わらない明るさが自分に向けられていることに、なんだか安心すら覚えた。
不思議な男だった。
「錆兎も今から任務か?」
「そ、いまは実代子さん待ち。旦那さんにお子さん預けに行ってる」
「誰だよ実代子さん……そんな子持ちの隊士いたか?」
「オレの鴉」
「分かりづれーよ」
変わらない錆兎とこうして笑い合える今があって、本当に良かったと村田は思える。
錆兎が発見された際、捜索にあたってくれた隊士の者たちがわざわざ鴉を飛ばして教えてくれた。
それはおおよそ、当時の選別を受けた者達が気が気でないのを察した上での配慮である。
鴉を通じて錆兎が生きて見つかったと聞いて初めて、村田はやっと選別が終わったような気がしたのだ。
そんな風に誰かに守られ、己の無力さを知ったとこから始まったという共通点があったからか、村田の代に当たる同期生達は人数は多かったが特別仲が良く、集まることも多かった。
ただし、そういった集まりにも行かずに鍛錬に全てを費やしていた義勇や、単独任務で顔を合わせる機会が極端に少なかった錆兎を除いて、ではあるが。
当時は二十数名いた同期達も、亡くなった者や怪我などを理由に引退を余儀なくされた者、現在では隠として活躍している者もおり、剣士として前線に立っている者は村田や錆兎、義勇を含めても五、六人程度だった。
けれど、皆が顔を合わせると出てくるのは決まって錆兎の名前だ。アイツ元気にしてんのかなぁと、その程度だが必ず一度は名前が挙がる。
同期生の集まりに一切顔を出さなかった義勇も、最近では名前がよく出るようになった。
なにせ柱になったというのだから。
入隊してからの義勇の鍛錬の量や功績から、いつかはそうなると同期生の誰もが思ってはいたが錆兎と共に下弦の頸を落とし、本当に水柱となってしまったのである。
そんな二人について立派なもんだよなぁ、と村田達が話したのが数ヶ月前のこと。
「……今度さ、また同期で飯行こうって話してて。隠になった奴らも来るんだ。その、良かったら、錆兎と冨岡も来ないか? 錆兎とはゆっくり飯食えてないし、冨岡も柱になっただろ。なのに俺らおめでとうとかも言えてなくて……まあ、こういう集まり苦手な冨岡からしたら、そんなこと言われる間柄じゃないって……逆に困らせるかもだけど……」
忙しかったらいいんだ、本当に来られそうならで、と村田が慌てて言う。
言葉の節々に人付き合いが得意でない義勇に対する気遣いが見え、今までも義勇に拒まれても過去に何度か誘ってみてはくれたのだろうと言うことが窺えた。
しかしあの義勇も今では少しずつ変わってきている。
少し前なら「行かない、お前だけで行け」と言っていたであろう彼も、今度こそは頷くかもしれない。
実際は二年ほど遅れての入隊となったにもかかわらず、今でも錆兎を同期として扱い、仲間として思ってくれている彼らが義勇の昇格を祝ってやりたいと思っていることも、本心だろうと錆兎は思えた。
嬉しく思う。大切な人が、義勇が、優しい人々に思われている事が。
「ありがとな、義勇にはオレから言っとくよ」
錆兎の返事に村田は俯かせていた顔を上げ、安堵した表情を浮かべた。
「うん。……錆兎がいたら冨岡も来やすいだろうし。柱になったばっかで忙しいだろうから、そっちに合わせるんでまた大丈夫そうな時教えてくれよ」
「ああ、分かった」
鬼殺隊の戦場はいつも死と隣り合わせだ。
今日、笑顔で会えたからと言って明日もまた同じ笑顔で言葉を交わせる保証など、どこにもない。
けれど、だからこそ。人との繋がりを、錆兎は大切にしておきたかった。
一人でも多く、仲間が生きた証をこの目に焼き付けておきたかったのだ。
卑屈な一面を持つ義勇が以前に、錆兎はともかく、自分は同期に好かれてはいないだろうからと話していたことを思い出して、言っただろ、そんな事ないって、ほらなオレの言った通りだと錆兎は笑った。
大切な人を二度と戦場に戻さないため、誰かに守られてばかりの己を叩き上げるため、義勇はずっと孤独に剣を振るい続けた。
義勇も自らそうしたくて一人を選んだわけではない。ただ、そうせざるを得ないほど、義勇は何よりも憎い己と向き合い続ける必要があった。
そうでもしないと舌を噛んで死んでしまいたくなるような、そんな絶望がふとした瞬間にでも義勇に牙を向けたのだ。笑う事はおろか、誰かと共に楽しい時間を共有する事ですら、罪であると考えていた。
そんな資格すら自分にはないのだと。
姉を守れず、錆兎と共に戦えもしなかった己が、誰かと肩を並べて笑い合うような時間があってはならないと義勇だけが本気で思う中。
物言わぬ冷たい剣だけが、唯一そんな彼の弱さに寄り添ってくれていた。
だが、それももう過去の話である。
少しずつ、義勇は錆兎以外の者とも自ら話せるようにはなっていた。表情も、僅かだが柔らかくなってきている。
春が来て雪が溶けるように、義勇の心もそうだった。
その証左に先日届いた義勇からの便りには、新たに柱となる人は同世代らしい、友達になれるかもしれないから、気合いを入れて臨みたいと、相変わらずやたらと美しい達筆で綴られていたのである。
友達ってそんな気合いを入れてなるものだったろうかと色々とツッコミ所はあったが、錆兎はそれよりも義勇の心の変化を嬉しく感じた。
新しい仲間と、今まであった繋がりを、これからの義勇にはゆっくりと育んでいって欲しいとも。
錆兎と村田はその後も少し雑談を挟み、暫くすると一羽の鴉がフワリと舞って、錆兎の肩へと優雅に止まった。
「実代子さんおはよう」
「錆兎ちゃん、ごめんネ。遅くなっちゃっテ……ウチのバカ旦那が……ハァ、ヤんなっちゃウ」
「朝からお疲れ様だなぁ」
「ア。腕のお薬つけタ? 忘れちゃダメヨ」
「うん、さっきやったよ。ありがとう」
彼女が例の実代子さんらしい。少しご立腹な様子で旦那の愚痴を言う彼女に、錆兎はうんうんと相槌を打って聞き役に徹していた。
どうやら、錆兎は鴉にも随分と信頼されているようである。
「あラっ錆兎ちゃんノお友達?」
すると彼女が村田の方に気づき、しげしげと黒い瞳でこちらを見つめた。
自己紹介をしようかと村田が口を開くよりも先に、錆兎が言う。
「そう。同期で友達の村田」
──なあ、おい村田。あれ、錆兎じゃないか?
入隊して、二年ほど経った頃だ。
二年ともなると後輩も出来て、先輩にも何人かから顔を覚えられていた。そして仲間が目の前で死んでいく光景も、もう何度か目の当たりにしてきた。
明日はそれが自分かもしれないと考えると怖くて、村田がその度に逃げて剣を放り投げたくなったのは一度や二度ではないが、そんな時に過ぎるのは藤襲山で見た錆兎の背中だった。
自分の命は、一人の鬼狩りが身を挺して戦ってくれた上で成り立っているのだと。
そう思うと、とてもではないが易々と剣を置けなかった。
剣技の才能が、群を抜いているわけではない。
村田は、なにより己を凡人だと自負している。
一体、二体の鬼を斬るだけでもやっとで、それでもそんな凡人が救えた命があるのも事実だった。
死ぬ間際、お前は生きろよと村田に言って息を引き取った友もおり、村田は逃げたいと思いながらも結局一度も剣を置くことなく、鴉を通じて伝令が来るたびに今度こそ死ぬかもしれないと考えるのに、隊服の袖に腕を通し続けた。
その精神こそがもはや凡庸とは言えぬほどの並々ならぬ強靭さを持ち合わせていたが、村田がそんなことに気付ける暇すらないほどに死と隣り合わせの毎日であった。
戦わねば、剣を握らねば。
己のような凡人でも誰かを救える限りはと、がむしゃらに歯を食いしばって生きてきた。
そんな二年が過ぎ、今日のように屯所で支給品を受け取っていた日。
両隣にいた同期二人に肩を揺さぶられて、視線を向けた先に、二年ぶりに見る錆兎がいたのだ。
彼は、隊服を着ていた。
その右腰に、帯刀された日輪刀が見えたのである。
錆兎が、長きに渡って生死を彷徨い、もう二度と剣士には戻れないと断言されていた男が剣士として帰ってきたのだ。
そう理解して、村田と同期達は鼻を垂らして声を上げながら泣くと、錆兎の元に一斉に駆け寄った。
突然、号泣している男どもに囲まれて驚いたらしい錆兎も、村田達の顔を見るなりすぐに気づいてくれた。
久しぶりだなあ、元気にしてたかと。なんでもないように笑う錆兎にしがみつき、男三人が錆兎を囲んでいつまでも泣いていた。
なお、涙を流す複数の男に抱きつかれている錆兎の様子を、周囲の隊士たちはやや引きながら眺めていたという。
同期であり友達でもあると錆兎が自分のことを紹介してくれたのがなんだか照れ臭いようで、嬉しくて。
村田が変な顔をしていると鴉が「そうなノ」と言い、村田に対してペコリと一礼する。
「錆兎ちゃんガ、いつモお世話になっておリます」
「あ、いえいえこちらこそ……ご丁寧にどうも」
同じく深々と頭を下げる村田と鴉のやり取りに、錆兎は優しげな笑みを浮かべた。
「じゃ、オレそろそろ行くわ」
澄み渡った、今日の青空のような大らかさを湛えた錆兎が村田に別れを告げて山を降りるのを村田は見送る。
「……錆兎ーっ、またなぁーっ!」
村田が一際大きな声でそう言うと、錆兎はもう一度振り返り、右腕で大きく手を振った。
風が吹く。
錆兎の白い羽織が翻って、それはまるで夏の大空に広がる入道雲のようだった。
村田は大きな友の背を見届けると踵を返し、自分も支給品を受け取って次の任務へ向かわなければと前を向く。
その足はどこか浮き足立っていた。
「──あーあ、今日も、いい天気だなぁ!」
大きな大きな、独り言である。
ジロジロと他の隊士からの視線を感じたが、村田は全く気にしなかった。
今日は、なんたって良い日なのだから。
村田は満面の笑みで、下手くそな鼻歌を歌うのだった。
了