03/映画を観る

 商店街の中にある相変わらず客入りの悪い古書店は、なぜかバイトを二人も雇っている。
 そのうちの一人である女子高生の胡蝶しのぶは不在の店長代理としてレジ前に置かれた椅子に座り込み、随分と日焼けした売り物のホラー小説を読み耽っていた。
 それは短編集形式になっており、様々な怪談が集録されているといったもの。
 例えばハイキングを趣味としている男が山中で発見した複数の地蔵の顔が徐々に知人と瓜二つのものへと変わっていき、そこから連続的に身の回りの人が亡くなっていくという──なんともありきたりだが怪談に求められる最低ラインは一応超えているような話ばかりが掲載されていた。
 つまるところ、退屈である。
 けれど活字を目に入れているだけで時間は勝手に流れてくれるので、黙々と読み進めた。文体や言葉選びが鼻につかないことが幸いだろう。
「胡蝶さん」
 無意識にあくびを漏らしているところに声が掛かり、相変わらず間の悪い人だと思いつつ、しかしあくびを我慢することなく視線だけを声のする方に向けたしのぶは大きく開いた口を一応手で覆った。
 小柄な少女でもせせこましいと感じる、見渡す限り本に埋もれた狭い店内で、同じバイト仲間の男子大学生が少々窮屈そうに若干肩を窄めて立っている。
「どうされましたか、冨岡さん。お腹でも空きました?」
「いや……腹は減ってないんだが」
 ここで先に働いていたのはしのぶの方で、冨岡と呼ばれた青年、義勇がバイトとしてやって来たのは数ヶ月前のこと。
 不在がちな店長が、女の子一人で店に置いておくのも心配だからと、どこから連れて来たのか分からない青年を突然寄越して来たのである。
 正直なところ一人で店番は気楽であったので、紹介された新顔にしのぶは最初こそ戸惑ったが、義勇は非常に物静かな青年であった。
 言葉を交わすにしても、必要最低限の挨拶と業務でのやり取りのみ。あとは店の奥でしのぶと同じように本を読んでいるか、大学での課題か何かをやっている。
 しのぶ一人では難儀していた力仕事も率先してやってくれる上に、義勇は他の仕事を覚えるのも早かった。
 ぼんやりとしていて抜けていそうに見えるが、存外優秀な人だ。
 彼のエプロンの肩紐が、いつ見ても複雑にねじれていることを除けば。
「では、どのようなご用件で?」
 しのぶが再び小説の方に視線を落とし、自身のエプロンの肩紐を指で突いて「また、ねじれてますよ」と仕草で教えてやる。
 義勇はハッとしたように、複雑にねじれた自分のエプロンの肩紐を元に戻してから口を開いた。
「……面白い映画を教えてくれないか。なんか、こう……良い感じの」
「これまた抽象的なリクエストですねぇ、冨岡さん」
 確かに映画鑑賞は読書と同じくらい、しのぶの趣味でもある。
 義勇がバイトとして雇われた日。雑談として休みの日はなにしてるんですか、好きな本のジャンルとかありますかと、ありきたりな話題を何気なく振った。
 しのぶは自己紹介がてら、自分は怪談を読んだり聞いたり、あとは映画鑑賞が好きなんですと述べたのだが、義勇はそのことをちゃんと覚えていたらしい。
 しかし映画鑑賞が趣味とは言っても、しのぶが好んで観るジャンルは案の定、万人受けからは程遠いものである。
 つまるところ、彼女が嗜むのはホラー映画全般、サイコスリラーや馬鹿げた動物パニックものなどが大半であり、自分は面白いとは思ってはいても人にはまず勧めない作品ばかりだ。
 それに目の前のぼんやりした青年が、そんなアクの強い作品を楽しんで観るとは思い難い。
「申し訳ないですが、私の専門はこっちですよ。それとも冨岡さんはこういうのがお望みで? で、あれば協力できますが」
 読んでいるホラー短編集の表紙を、しのぶはやれやれと言った表情で義勇に見せる。表紙からしていかにも悍ましい、血走った目玉がいくつも描かれたような奇抜な表紙を一瞥し、義勇は少し考えた。
「まぁ……別にそれでも良いんだが」
「良いわけがないでしょう。そも、誰と観るおつもりなんです。映画ってのはそれも肝心じゃあありませんか」
「そうなのか」
「そうですよ」
 とは言え、しのぶは誰かと一緒に話題の映画を楽しむのではなく、一人で気になる映画を分刻みでハシゴしながら、映画館で一日を潰すような休日ばかりを送っているのだが。だが義勇はわざわざ映画鑑賞が趣味とまで話した己にオススメはないかと聞いて来たのだ、誰かと観るつもりで尋ねたのだろう。
 誰と観るのかを聞かれて言い淀んだ義勇に飽いたように、再び小説の方に視線を移して、しのぶはなんでもないように口を開いた。
「恋人と観る映画ですか。なおさら私の専門外ですが」
「あ、えっと、いや」
 それ以上、義勇の言葉は続かない。
 分かりやすい男だ。可愛げはあるが。
 しのぶは笑いそうになって、広げた文庫本で小さな顔を覆う。
「無難にロマコメでも選んだ方がいいですよ。変に変わり種選んだところで場が白けるでしょうから」
「ろ……ロマ米?」
「お米の品種名でなくてですね、ロマンティックコメディのことです。いわゆる、恋愛映画などと呼ばれる類のものですよ」
「ああ……」
 納得したように曖昧に頷く義勇を、しのぶは文庫本の影から見上げた。
 少女の表情は、なんだか楽しげである。
「良さそうな映画、友達に聞いてあげましょうか。ちょうど恋愛ものに詳しい子がいるので」

 ◇

 その日、錆兎は歳下の恋人に家で映画でも観ようと誘われ、どこにも出掛けずに家で恋人と二人きりの時間を過ごしていた。恐らく、ここ数日仕事で忙しそうにしていた錆兎に対して義勇なりに気を遣い、外出を控えて家でのんびり過ごせるようにと計画してくれていたのだろう。
 義勇は小説こそ読んでいる姿は見かけるが、あまり映画だのドラマだのを楽しんでいる姿は見たことがない。なのでどんなタイトルを持って来るのかと思いきや、それは錆兎でもタイトルくらいは知っているアメリカの恋愛映画であった。
 妻に先立たれて寂しい思いをする父を見かねた息子が、ラジオ番組を通して「父に新しい妻を」と訴えかけたことを発端に、物語は展開していく。婚約者がいながらも、運命という繋がりに憧れを抱く女性記者がそのラジオを聴いて感動すると同時に目前に迫った自身の結婚へ疑問を抱き、ラジオで知った見ず知らずの妻を亡くしたという男性に惹かれ、やがてはラブレターを送る……という内容で、中々にロマン溢れる物語である。
 錆兎はどちらかというと時代劇だのミステリーだのを好む傾向にあるため、この手の映画は実はちゃんと観たことがなかった。
 だが名作と言われるだけあって、これが中々に面白い。恋愛面だけに焦点が当てられているわけではなく、コメディタッチで描かれる登場人物たちのやり取りなども自然と惹き込まれるもので、一度も眠気を感じることなく二時間近くの映画を観終えた。
「面白かったな」
 物語がハッピーエンドを迎えた後、エンドロールが流れるとソファに腰掛けている錆兎が隣の義勇に言う。
「……面白かった」
 ぼーっと、クッションを抱いて今もテレビの方を見つめたまま言う義勇の横顔がなんとも愛らしく、錆兎は目を細めた。
 大きな音が出たりするようなものが苦手な義勇にとっては、これくらいどこか爽やかで穏やかな作品を観るのが良いのかもしれない。
 今度は自分が、義勇と観るために50回目のファースト・キスや、グッド・ウィル・ハンティングでも借りて来ようかと錆兎は考える。あれも中々、王道だが良い映画なのだ。どちらも幸せな終わり方をするので、趣味ではなかったが好きだった。
 父に昔、良い話だからと言って一緒に観せられたその映画の内容を、錆兎は今もよく覚えている。
「義勇が選んだにしては珍しかったな。お姉さんにお勧めされたのか?」
 錆兎が残ったポップコーン──義勇がわざわざ、大袋を買って来て用意してくれたものだ──を摘んで、口に放り込む。
「あ、いや。姉さんではなく、バイト先の胡蝶さんに」
「ああ、いつもの胡蝶さんね」
「そう。胡蝶さんは映画鑑賞が趣味なんだがな、なにか良いものはないかと聞いたら、わざわざこの手の映画に詳しい子に色々聞いてくれて」
 今までは駅前にある書店でバイトを続けていた義勇であったが、最近は商店街の中にある小さな古書店に勤め先を変え、そこでの話も錆兎は今まで何度か聞いていた。
 中でもよく聞くのが、唯一のバイト仲間であるらしい女子高生の〝胡蝶さん〟。
 名前しか知らないが義勇の話を聞く限り、なかなか利発そうな、面倒見の良い優しい少女であることが窺える。その証として、人見知りをしてしまいがちな義勇の口からも、彼女の名前は頻繁に上がっていた。
「バイト帰りに俺と胡蝶さんと、胡蝶さんのお友達の……ええと……甘露寺さんという女の子の三人であれやこれやと、夕飯がてら、ファミレスで。どんな映画が観たいのか、誰と観るのかと色々と聞かれて」
 交友関係を積極的に築こうとしない義勇がバイト先の女の子に連れられ、ファミレスで数人と食事をしたと聞くだけで、錆兎は妙に感動してしまう。
 錆兎を含めた家族以外の前では、緊張してしまうので食事もあまりしたくないと言っていた高校生時代の義勇。この子は一体どうなるのかと心配したものだが、子供とは放っておいてもちゃんと大きくなるのだなと三十路前の男はしみじみ思う。
「そんで、恋人と観るのに、良い映画はないかって聞いたのか」
 錆兎が楽しげに言うと、義勇は首を横に振った。
「運命を感じるようなものが観たいって言ったら、これを」
「ブッ……」
 純粋の極みのような、透き通った瞳で義勇が恥ずかしげもなく言って見せる。
 相変わらず、恋人にはどうしようもないほど天然なところがあった。そこがたまらなく可愛いのだが。
「……なぜ笑う」
 吹き出した錆兎に義勇はややムッとして、拗ねたように唇を尖らせた。
「……いや、女子高生二人の前でそれをリクエストする義勇が可愛くて」
「甘露寺さんは女子大生だぞ」
「まあそこはなんでもいいんだが」
 すまん、と言って錆兎が頭を撫でると、すぐに機嫌を戻した様子の義勇が甘えるように錆兎に凭れ掛かる。もっと撫でろと意思表示され、錆兎は義勇の腰を抱いて自分の方に寄せると要求通り柔らかな癖毛を撫でた。
「運命ねぇ」
 そういった類のものは、錆兎はあまり信じていないはずだった。
 それなのに、前世で死に別れた義勇と、昔にはなかった歳の差こそあれど再び出会ってしまった。お互い、他の記憶こそ曖昧ではあるが、お互いに愛し合っていたという確かな記憶だけを持って。
 そうなって来ると、厭でも信じざるを得ない。
 きっと、自分たちは何度でも愛し合う運命にあるのだろうと、そんな馬鹿げたことを考えてしまう。
「義勇もオレに、運命を感じてくれているわけだ?」
 錆兎が言い、義勇は少し照れたようにはにかんだ。そこから数秒だけ悩むと、恋人の太い首に腕を回して、遠慮がちに口付けてみせる。
「……だって、俺が好きになるのは今も昔も、きっと未来も錆兎だけだ」
 言っているうちに恥ずかしくなったのだろう。語尾にいくに連れて小声になってしまった義勇の言葉を呑むように、錆兎の方からもキスをした。
 義勇は促される前に自ら唇を開いて、錆兎の厚い舌を招く。
 後頭部に手を添えられ、ソファに押し倒されている最中も口付けは深いものになっていき、厚い粘膜を互いに重ね、どんどん腰の奥が熱くなる。ねだるように舌に吸い付くと唾液が流し込まれ、義勇がそれを嬉しげに啜った。
 静かな一室で、唾液が絡み合う音だけが静かに聞こえる。
 錆兎の顔が離れ、口端に垂れた唾液を優しく指で拭われると、そのまま自然な動作で上着の裾から手を差し込まれてしまい、錆兎の大きな手が義勇の弱い脇腹を撫でる。
 義勇が「あ」と声を漏らすと、甘えるような吐息まで溢れた。 
「……ここでする?」
 いいよ、と義勇の雄弁な瞳が語った。
 もう、この家に来る前に、錆兎に愛されたくて中の面倒な準備だって全てして来た。今まで感じた恋しさや寂しさを埋めるように、錆兎でたくさん満たされたくてたまらない。
 ようやく恋人として身体に触れてもらったあの日から、義勇の心も身体も錆兎を求め、疼いて仕方がなかった。
 透き通るように美しい恋人は、今や期待しきって蕩けた目を錆兎だけに向ける。
 そして錆兎とて、愛する相手からそんな視線を向けられて平然としていられるほど鈍くはない。
 しかし、ここでなにも考えずに流される男でもなかった。
「……大人は夜まで我慢するもんだ」
 錆兎がそんなことを言うと、少しキョトンとしてから義勇が可笑しそうに、小さく笑った。錆兎の前で、今や義勇は色んな種類の笑顔を見せてくれている。
 その一つ一つが、今もずっと、変わらず愛おしい。
 錆兎の言い分を理解したように義勇は頷いてみせた。
 けれども、首に回された義勇の腕はいまだに解かれず、脚も絡ませたまま、視線も見つめあったまま。
 ジッとこちらを端正な顔で見上げて、不意に子供っぽく、義勇が言った。
「……じゃあ、俺のわがままでシたいって言ったら?」
 ここまで義勇に言わせておいて、なにもしないと言うのも男が廃る。
 錆兎は義勇の顔に掛かった前髪を除けると、形のいい額にキスをしてから細い腰に腕を添えて、一緒に身体を起こした。
「なら聞くしかないなぁ」
 そうして恭しく横抱きに抱えると、腕の中の恋人はまた楽しげに笑って、寝室に向かう間も錆兎に抱きついて甘えていた。
 義勇がして欲しいこと、義勇が見たいもの、義勇が聞きたい言葉。その全てを、錆兎は惜しみなく出来得る限り与えてやりたい。
 この笑顔が見られるなら、錆兎は自分の全てを捧げる覚悟だって出来ていた。
「……錆兎」
「ん?」
 寝室の前で、義勇に呼ばれて言葉を待つ。
「愛してるよ」
 薄い唇から聞こえる、聞き慣れた言葉。
「ベッドの中で言え、そう言うのは」
 錆兎がまた腕の中の義勇にキスをして、オレも愛してるよと、何度も伝えた言葉を口にした。