07/コスプレ

 自由な校風で人気の公立校。そこで開催される文化祭は例年通りの大盛況となっており、華やかに飾り付けられた校門周辺から非常に賑やかであった。
 会社経営をしている義兄との打ち合わせ帰り、カジュアルスーツ姿の義勇は招待客用のチケットを用いて入場を済ませると、渡されたパンフレットを開いてすぐさま錆兎のクラスを探す。
 確か、錆兎のクラスは和装カフェなるものをやると聞いていた。
 しかし肝心の和装カフェとやらが、具体的になんなのかを義勇はよく分かっていない。ただ、メニューには抹茶やぜんざいなどがあると聞いており、そのどちらも好きな義勇は非常に楽しみにしていた。
 なにより、接客時は和服を着るとのことである。
 錆兎と義勇には、確かに薄らと前世の記憶があった。けれどそれは二人の縁以上のことは朧げなもので、前世に錆兎がどんな服装をしていたかまでは正直のところ、鮮明には思い出せなかったのだ。
 けれど──着流し姿の、錆兎の広い背中を見るのが好きだった、と言うことだけは義勇も良く覚えている。
 今どき、和服など滅多なことでもない限りは着る機会も中々ない。だからこれを機に、錆兎の和装を堪能しようと義勇は決めていた。
 しかし。改装されたばかりの綺麗な校内は相変わらず少々複雑な構造となっており、義勇は先ほどからパンフレットに記載されている校内図をひっくり返したり、傾けたりを繰り返している。
 錆兎がいる東棟に向かいたいと言うのに、校内を徘徊し始めて十分は経過していたが何故か辿り付かない。
 彼に電話しようか、けれど接客中だと迷惑になるだろう。そんなことを考えながら義勇は忙しなく周囲を見渡し、困ったような渋い茶でも飲んだような顔で校内図と暫く睨めっこを続けていた。

 ◇

 午前中の忙しい時間帯が過ぎ、和装カフェの接客係を任されていた女子生徒二名は行き交う人々で賑やかな廊下を眺めつつ、いつも通り他愛もない友人同士の会話に花を咲かせていた。バイト先にいるウザい大学生についての愚痴、後で他校の彼氏が来てくれるという惚気、ピアスホールをもう一箇所増やしたい等々、実に中身のない話題の数々。
 すると二人の内、ショートヘアの少女が何かを見つけてハッと目を見開いてから、隣でシースルーバングの隙間具合を手鏡で何度も確認しては微調整してる友人の肩を揺すった。
「なにー?」
「なんか廊下に変なイケメンいる」
「え、どこ」
 ボーッとしていた少女たちの顔が、イケメンという存在を前にして途端に引き締まる。
 ショートヘアの少女がこっそりと指差す先。そこには柔らかな印象を与えるグレーのカジュアルスーツを優雅に着こなし、長さのある髪を一つにまとめた清潔感のある男性がいた。
 どこかミステリアスな雰囲気は男性の静かな魅力をいっそう引き立たせているものの、両手で持ったパンフレットを何度もぐるぐると回転させながら首を傾げたり、立ち止まったり、困ったようにキョロキョロしている様子は妙である。
 見た目に反してやっていることが幼いというか、どこか可愛らしさすらあった。
「……迷ってんのかなぁ、なんか可愛い。どーする? 声とか掛けに行く?」
「サービスしますよお兄さん〜って?」
「ぼったくり居酒屋の客引きじゃん」
 などと好き勝手話しているクラスメイトの会話を偶然耳にした錆兎は、客が去った後の机を拭いてから少し焦ったような表情を浮かべ、彼女たちの元へと近付いた。
 と、言うのも。そろそろ義勇が来ても良い時間だと言うのに、彼が一向に姿を現さないことで迷子の二文字が浮かんでいた頃であったのだ。
 加えて義勇がたびたび起こす天然が、他人からすると奇行のように見えてしまう場合があることも錆兎は重々承知しており、変なイケメンと聞いて真っ先に最愛の人が浮かんでしまったのである。
 こんなことを天然である自覚のない義勇本人が聞けば、恐らく心底不服そうに拗ねてしまうのであろうが。
 もちろん、錆兎はそこも含めて義勇を愛している。
「どいつのことを言っている」
 錆兎は躊躇することなく背後からクラスメイトに声を掛けると、同時に廊下に面した窓の向こうを見渡して〝変なイケメン〟、もとい義勇らしき人物を探した。
「うわッびびった、錆兎じゃん。えっなにが? 変なイケメンのこと?」
「そう」
 錆兎が頷くと、「なんでコイツがイケメンに食い付いてんだ」と女子二人は不思議そうに顔を見合わせる。
 精悍で彫刻のように彫りの深い顔つきと、群を抜いて目立つ長身。文武両道を絵に描いたような硬派なこの男は入学時から女子人気は相当高かったものの、告白した者は漏れなく全員バッサリと振られ、錆兎がどんな相手だろうと微塵も靡かないことは校内では有名な話である。
 相手を振る際のお決まりの一言は、好きな人がいるから、であるらしい。けれどそんなのは、体良く告白を断るための方便だろうと周りは解釈している。
 今朝から忙しかったのも他でもない、和装の錆兎に接客されたいという一部の熱心な女子たちが押し寄せて来たからだ。だがお陰様でクラスの売り上げは午前中の時点で楽々ノルマを達成しており、多少忙しかろうとクラスメイトとしては錆兎に対して文句など何一つない。
 そして客層から察するに、中でも錆兎は後輩たちからの人気が凄まじいことがよく分かった。
 少女漫画などで見るような、憧れの先輩という夢を見られるポジション。確かに、錆兎のような男であれば、それも相応しいような気もする。
 誰にも靡かない、誰のものにもならない。十代だと言うのにSNSの一つもやっておらず、浮いた噂なんてものもない。発展はなくとも夢が壊れることはなく、そんな短き青春の幻想を安心して託せる存在が、恐らく彼女たちの中では錆兎なのだろう。
 だが健気で小さく可愛らしい後輩たちにどれだけキャアキャア言われようと、午前中の錆兎と言えば相変わらずの淡々とした態度で注文だけをとり、写真だの握手だのと言った馬鹿げた要求には「黙って食うもん食ってさっさと出ろ」と断り、食べ終えても居座ろうとする女子を問答無用で追い出し、外の列を無表情で黙々と捌くという完璧な接客スキルを発揮しながら、ただひたすらに売り上げにのみ貢献していた。
 錆兎のあまりに淡白過ぎる接客態度。しかしそれに対しても黄色い声が上がっている始末に「なんであれが人気なの、ドエスじゃん、怖いだけじゃん、俺の方が優しいよ」と裏方の男子たちは散々嘆いていたが。
 真面目で必要以上の愛嬌など振り撒かず、取りつく島もないような、あれほどまでに堅物な錆兎の興味を引くなど。一体あのイケメンは何者なのか、クラスメイトからすれば甚だ疑問でしかない。
「ええと。ほら、廊下の隅の方にいる黒髪の……あ、いまは国際科のギャル集団に声掛けられて虚無顔になってるや。かわいそ」
 言われた方に錆兎が視線を向けると、案の定、そこには両手でパンフレットを握りながら賑やかな女子に囲まれてしまっている義勇がいた。
 迷いそうなら連絡をしろとあれだけ言ったのに、と錆兎は目頭を揉む。
「……マズい。ありゃやっぱオレの身内だ」
「え? 剣道の先輩?」
「違う」
「じゃあ彼氏だ」
「そう」
 錆兎の返事に、少女たちは同時に笑った。
「真顔で言うのウケんだけど。彼氏あれ助けてやった方がいいんじゃないの、ギャルに困ってるよ絶対」
 錆兎が誰かと交際しているイメージが一ミリも出来ず、ただの冗談だと受け取ってケタケタと笑う二人に促された錆兎は「ちょっと回収してくる」と告げると、クラスメイトは気怠げに「行ってらっしゃ〜い」と広い背中を見送った。

 ◇

 知らぬ間に女子高生に囲まれてしまっていた義勇は、自分はいつになったら錆兎の和服を拝めることが出来るのだろうと遠い目になっていた。
「インスタとかやってます?」
「いや……そういうのはしていない。それよりこのクラスの出し物に行きたくて、教えてもらえると助かるんだが」
「そこよりウチらのクラスの店にしません? 一緒に行きましょうよー」
「君たちには興味がない」
「ちょっと〜お兄さん辛辣〜!」
 突き放すつもりで言ったのに、何故か盛り上がっている若き少女たちの心理が読み解けず、義勇はまた明後日の方向を見つめる。
 無視して突っ切ろうかとも考えたが、囲まれてしまってそれも出来やしない。
 義勇が学生の頃はまさしく高嶺の花のような扱いを受けていたため、バレンタインなどの行事以外ではこれほど積極的に絡んでくる異性は、まずいなかった。最近の若い子は人懐っこいのだなと、なんだか少しずれた解釈をした義勇はどうしようかと無表情のまま考え込む。
 ぼんやりと立ち尽くす義勇。その背後からは深い藍色の着物を着た恋人が落ち着いた歩みで近付き、義勇の不意を突くと慣れた仕草でグッと肩を抱き寄せた。
 突然のことにバランスを崩して思わず背後の彼に体重を預けてしまうも、それでも容易く支えられてしまう。
「ウチの抹茶の方が美味いですよ、お兄さん」
 聞き慣れた声がして、義勇がポカンとしたまま顔を上げると、いつもの優しい笑みを浮かべた錆兎がいた。
 下ろされたままの宍色の髪が、見上げる義勇の白い頬を撫でる。
「あ、錆兎くんだぁ!」
「えーまじ和服カッコいいんだけど……! ちょ、いっしょに写真撮ろ」
「撮らん、どいつもこいつもそうやってすぐに携帯を向けるな。それよりお前ら外部客を廊下の真ん中で囲うんじゃない、迷惑だろう」
 さり気なく錆兎は義勇の前に立つことで、女子生徒たちとの間に入ってやった。
 一方で義勇は着物に身を包んだ錆兎の背中をやや放心状態で見つめたまま、何も言えず、手元のパンフレットを握りしめるばかり。
「怒んないでよ、ごめんって〜」
「ほら、散った散った。通行の邪魔だ」
「ちょっとひどいー!」
 中々話せる機会のない錆兎を前にして、邪険にされようと嬉しそうにする少女たちの声など、もはや義勇の耳には届いてすらいない。
 錆兎の背中を一心に見つめる義勇は、ふと前世において着流し姿の錆兎が、居間で新聞を読んでいた背中を思い出していた。
 茶を淹れて来たぞと義勇が声を掛けると、錆兎が振り向いて有り難うと微笑むだけの、なんでもない記憶。
 けれど義勇は、あの時間が好きだった。
 錆兎の新聞を捲る音を聞きながら、逞しい大きな背中を盗み見て、茶を飲むような日常が好きだったのだ。
「ね〜絶対ウチのクラスの出し物にも来てよー?」
「あ、私のとこも来て! 錆兎くん席作るから!」
「行かん」
 ようやく追い払うことに成功し、少女たちの笑い声が遠ざかった頃。錆兎がフウと一息ついて、背後の義勇と向き合う。
「大丈夫か? 連絡をくれたら表まで迎えに行ったのに」
 だが、義勇は錆兎の声掛けに反応を示さない。
 ポケーっと口を半開きにさせて、こちらを見つめる恋人に錆兎は何度か瞬きをした。
「……義勇? 人に酔ったか?」
 人混みが苦手で酔いやすい義勇を気遣い、少し屈んで大きな骨ばった手が背中をさする。すると義勇は首を横に振って、錆兎の着物の袖を握った。
「……お前に酔いそうだ」
「何を言っている」
 真剣に口説いたつもりであったのだが、錆兎に真顔で返された義勇がムッとする。
「後もう少しで交代だから、それまでウチのクラスで座って休んでてくれ」
 結局真剣に取り合ってもらえないまま、錆兎が義勇を引き連れて教室まで送ろうと歩き始めた。義勇は言いたいことが伝わらなかったと、どこか慌てたように錆兎の隣に立ち、歩きながらクイクイと必死に袖を引っ張る。
「さ、錆兎」
「ん?」
 錆兎が義勇にだけ向ける、何より優しい微笑み。
「……和服、すごくかっこいい。一番かっこいい」
 一生懸命にそう告げると、錆兎が嬉しげにはにかんだ。
 大人びてはいるが、やはり笑うと年相応だ。笑うと目がなくなる錆兎の笑顔に癒されていると、「もっかい言って」と言われたので「かっこいい」と義勇が食い気味に言う。
「……昔のこと、思い出すな……ふふ……洋服もいいが、錆兎はやっぱり和服が似合う。かっこいいんだ、渋くて」
「いま着てるのは安物の衣装だし、コスプレくさいけどな」
「それでも着こなすのが男前の証だ」
「そりゃどうも」
 義勇に褒められ、機嫌の良さそうな錆兎に目的地までエスコートされながら、義勇は遠慮がちに声を抑えて言う。
「……あとで写真も撮りたい。いいだろうか?」
 チラリと、隣の恋人を見上げた。
 義勇がこう言った申し出をしてくることは、余りない。よほどこの服装が彼のツボだったのだろうと、部屋着でも着られそうな浴衣の一着くらい持っておいても良いなと錆兎は考える。 
「いいよ、二人で撮ろう」
 快諾してくれた隣の恋人に、義勇は幸せそうに顔を綻ばせた。
 周囲が霞んでしまうほど、今日は一段と錆兎が眩しく見える。義勇は手を繋ぎたいのを我慢して、「抹茶、楽しみだ」と言いながら歩幅を合わせて隣を歩いた。