13/アイスを食べる

 白い砂浜に色とりどりの花が咲くように、多種多様なパラソルやレジャーシートが並ぶ真夏の海水浴場。
 事故を防止するため規制されたサーフィンエリア内にて、サーフパンツの上にパーカーのラッシュガードを羽織った義勇はビーチテントの中から透き通った海に浮かぶ恋人だけを見ていた。
 遊泳エリアよりは少し落ち着いているとは言え、やはりこの季節はどこも人が多い。
 熱心なサーファーしかいない冬の静かな海の方が好きだなと思いながら、視線の先で波待ちをしているウェットスーツ姿の錆兎を目で追って、防水ケースに入れたスマートフォンを手繰り寄せた。
 カメラを起動させると、手ブレを抑えるために脇を締める。直後、タイミング良く良い波がきて、二本の指で液晶を撫で回してギリギリまで拡大させてから逃さず波へと乗った彼を連写した。
 そんなにいらんだろ、と横から言ってくる本人は被写体となっているため、義勇は己が満足するまでしつこくシャッターを切る。
 むふ、とやり遂げたような顔。撮れた写真を一枚一枚確認し、どれを今月の待ち受けにするかと吟味していると、ふとテントの中で座っていた義勇の足元に人影が落ちる。
「お兄さん、海入らないんですか?」
「ずっと座ってるなぁって思っててー」
 華やかな水着を身に纏い、おおよそ同年代であろう健康的な肉付きの女子たちが、ずっと目を付けていた義勇に満を持して声をかけた。
 だが、義勇にとっては本日だけでも既に五回か六回目の逆ナンである。もはや流れ作業をこなすかのように目すら合わせず、液晶画面に映る恋人に全神経を集中させて「暇じゃない」と一言。元来、余計な愛嬌は振りまかない主義である。
 街中ではジロジロと見られたりする程度だが、夏の魔物とやらは本当に人を積極的にさせるらしい。浜辺にいると、大体こうして声をかけられた。
 義勇は決して女性に限って興味がないわけではなく、これに至っては錆兎以外の全てに興味がないと言った方が正しいだろう。交友関係は決して広くはないので友達になろうと言われる分には老若男女、誰からであれ素直に嬉しいものの相手から恋愛感情を向けられていると気付くと途端に心が疲れてしまう。
 そのため、最初から自分を恋愛対象として見ていると分かっている相手へは非常に淡白に接するようにしていた。世界がひっくり返ろうと絶対に応えられないのに、変な期待をさせるような趣味は義勇にはない。
「あたしたちすぐそこでジュース買いに行くんですけど。ここでずっと座ってるならお兄さんのも選んできますよ」
「どう言うの好きですか?」
 だが義勇にどれだけあしらわれようと、今回の二人組はどうもめげないようである。期待をさせないことは出来ても、必要以上に相手を傷つけたり、酷い言葉で強引に追い払うようなことは義勇には出来ず、積極的すぎる相手にはどうも弱かった。
 この夏は絶対にイケメンを捕まえるぞ、と誓って海にやって来た彼女たちの熱い決意を甘く見ている義勇は参ったなと思いはするが、無視していればどこかに行ってくれるだろうと悠長に構える。
 この男、押せばいけるぞと目配せした彼女たちが頷き合って、再び声をかけようとした時。
「お兄さんかっこいいね、オレと遊ばない」
 頭上から声が降り、三人が同時に見上げた視線の先。
 サーフボードを抱えた男性が、水が滴る優しい色合いの髪を掻き上げて義勇の方を見ていた。
 彫りの深い日本人離れした目鼻立ちのハッキリした顔つきと、長身で恵まれた体躯はウェットスーツ越しにも筋肉の凹凸が良く分かり、程よく焼けた肌すら眩しい。
 最初に自分たちが声をかけた芸能人顔負けの綺麗系イケメンとは全く毛色の異なる、惜しみなく雄の色気を醸し出しながらも、そこはかとなく誠実さと上品さを滲ませる美丈夫に女子二人が絶句している中、背後の義勇だけが「錆兎!」と嬉しそうな声で名前を呼んだ。
 ──あ、君たちお知り合いなのね。
「お嬢さん方、すまんな。コイツは今日、オレと二人でここに来る約束してたんだ。だから相手にはできないが」
 錆兎が依然として固まったままの彼女たちの方に漸く視線を移すと、一旦、ボードを下ろしてチケットのようなものを二人にそれぞれ手渡す。そこにはソフトドリンク無料券と書かれており、どうやら近場の海の家で使えるらしい。
「それで勘弁してもらえると助かる」
 圧もなく、嫌味もない爽やかさ。
「……は……はい」
 少し濡れたチケットを受け取ると、彼女たちは素直に頷いて立ち上がり、次の瞬間にはキャアキャアとはしゃぎながら楽しげに走り去って行った。
 その背中を見送って、首を傾げる義勇。
「あんなチケットどうしたんだ」
「ここに戻って来る道中で、知り合いのサーフショップの店員にたまたま貰ったんだよ」
 義勇から手渡されたタオルを「ありがとな」と一言添えて受け取ると、錆兎が首元のジッパーを下ろしてジャケットタイプのタッパーを脱ぎ、サーフパンツのみの姿となった。
 素肌に張り付く濡れた宍色の髪は軽く結ばれており、それだけでいつもと雰囲気が違って見える。同じ人体なのかと疑いたくなるほど、脂肪も筋肉も丁度良く整えられた肉体美に義勇がうっとりして、あとでもう一枚撮らねばと手元のスマートフォンを握り締めた。
「ずっと座ってりゃ流石にお前も暑いだろ。なんか買って来るけどなにがいい?」
「上から練乳かけたカキ氷」
「はいはい」
 錆兎は水気を吸ったタオルを首に掛け、義勇の頭を一度撫でてから手ブラのまま海の家の方へ行く。
 最近はスマートウォッチで電子決済が出来るから、貴重品の管理も楽だと彼が言っていた。義勇の手が置いて行かれたサーフボードを労るように撫でて、お疲れ様と小さく呟く。
 しばらくすると、ビニール袋を手首から下げ、義勇が所望したカキ氷を持った錆兎が戻って来る。
 キメの細かい氷に抹茶が掛かって、上からさらに練乳が満遍なく重なり、隅の方ではあんこが添えられた逸品。受け取った義勇は上機嫌で「ありがとう」と明るい口調で言うと、自然と笑顔になった。
「錆兎は何買ったんだ?」
「焼きそばとイカ焼き。二人分あるから、それ食ったら義勇も食べろよ」
「たべる」
「飲み物も買ってあるから」
「錆兎が持たせてくれたやつまだ残ってる」
「もっとちゃんと飲め」
「うん」
 袋を置いてから「よっこらせ」と隣に座った錆兎に、すかさず引っ付いた義勇が「今日はいい波だったか?」と顔を覗き込んで訪ねると、彼の精悍な顔は賑やかな海の方を見つめて苦笑いを溢す。
「まあな。でも人が多いなぁ、やっぱり。賑やかなのもいいが、どちらかと言えば二月とかの静かで辛気臭い海の方がオレは好きだ」
 先ほど義勇が思ったことと、同じことを錆兎が言った。
 たったそれだけのことで義勇は嬉しくなると「そうか。じゃあ、冬も来よう」と言って、錆兎の濡れた肩にコテンと頭を乗せてからカキ氷を一口。甘いものはそこまで好きと言うわけではないが、自分も夏の海に来ると浮かれてしまうのか、なぜかいつもこの甘ったるいカキ氷を頼んでしまう。
 内側から渇きを潤す甘さに心地よさを感じながら、また一口食べて、次はスプーンで掬った一口を錆兎の口元に持っていく。
 それに気付いた錆兎は口を開けて、カキ氷を口にした。
「甘っ」
 甘さに笑う、錆兎の顔に落ちたエクボの影が愛しい。
 ああ、キスがしたいなあと思いながら「それがいいんだろ」と義勇は添えられたあんこをスプーンで削って舌に乗せる。
 義勇は子供の頃に水泳教室に通っていたことはあるが、サーフィンに関しては錆兎に習って少し齧った程度で、自分がやる分にはさほど興味はない。今日も錆兎の方から「海行くけど、どうする?」と聞かれて、サーフィンはおろか泳ぎもしないのに義勇は「行く」と即答した。
 海で泳ぐよりも、見る方が昔から好きだった。砂浜を散歩して、揺れる波の音を聞いていると、感覚も身体も溶けて海と一つになれる気がするのだ。
 そんなことを昔、サーフィンを習い始めた頃の幼い錆兎に言うと「義勇の前世は魚だったのかも知れない」と彼が冗談めかして言っていた。なら錆兎はなんだったの、と聞けば「さあ。波だったんじゃないか」と言って「義勇が溺れないように、ずっと見てたんだと思う」と言いながらサーフボードからフィンを取り外し、砂を流したりして黙々と手入れをする様子を見つめていたのだ。
 あの時。ならば、今世では自分が錆兎を見守ろうと決めた。
 海の青さに全てを委ねながら、操るように波に乗る錆兎の姿を眺め、その優雅さを目に焼き付けるのが、義勇はなにより大好きなのだった。
 割り箸を割った錆兎が「あとでさ」と口を開く。
「あっちの静かな方で、一緒に泳ぐか。浮き輪借りて来てやるから、義勇は上に乗ってりゃいいし」
 な、と錆兎が言ったので義勇はスプーンを咥えたまま目を細めて頷いた。
 賑やかな青も、悪くないかも知れない。
 浮かれそうになる夏の海に唆されて、義勇はスプーンを手元のカップに戻すと、焼きそばを頬張る錆兎の頬にキスをする。

 カキ氷よりも、それは少しだけ甘かった。