錆兎は町を歩いていると、周囲から紅毛人だと間違われることが多々あった。
中々見ない淡い髪色も、当然ながら原因の一つなのだろうとは思う。けれど、なにもそれだけではない。
目鼻立ちがハッキリとしている彫りの深い顔や、広い二重幅、恵まれた体躯といったそれら全ての特徴も踏まえた上で、錆兎をよく知らない者からは「異人さん」と呼ばれることがしょっちゅうあったのだ。
だが錆兎はそんな見た目に反して、横文字などには大変弱かった。任務先での聞き込みの際、独逸語交じりの若者語なんて使われた日には腕を組んで首を傾げたまま、ずっとキョトキョトするばかりでほとんど内容が通じない。
普段着に至っても着物が多く、洋服を着ることはまずなかった。羽織の一枚をとっても、裏地の柄はどうだの帯はどうだのとそれなりに拘りも強く、本人曰く身なりとは他者に対する礼儀の一つであり、信用にも直結するので疎かには出来ないと。
そして、どうせ整えるのなら自分らしいもので身を包み、楽しんだ方が得だと言って、衣服にも妥協をしないという姿勢がなんとも彼らしかった。
しかし仕事となれば全く別の話で、その場の環境に応じたものを着ることだってある。
「旦那様、大変お似合いでございます」
普段は着物ばかりである錆兎が今、身に纏っているのは着慣れないオーダースーツ。店主が自ら出来上がった品を錆兎が暮らしている屋敷まで持って来ては、引き渡し前の最終調整をし終えたところであった。
生地は手触りのいい上質な羊毛が織り上げられたもので、高級感のある光沢が美しく、着心地は思った以上に軽やかである。最初は生成りの麻生地で作られたスーツにしようかとも思ったが、店主から「旦那様にはぜひこちらの生地をお勧めしたい」と自慢の舶来生地を紹介され、洋服に明るくない錆兎は店主が言うのであればと二つ返事で「ならそれで」と頷いた。
柔らかな茶系の色合いをしたスーツは、今は一つに纏められた錆兎の淡い髪色にもよく馴染み、大そう似合っている。なにより、錆兎がこうしてスーツを着ていると本当に海外からやって来た技術者か何かのようにも見え、やはり見栄えが良い。
だが本人はどうにも落ち着かない様子で、先ほどから何度も袖口やら裾やらを気にしていた。
「見事な出来だ、着心地もいい。ありがとう」
「光栄でございます」
「しっかし、オレが着るとどうにもあれだ。ペテン師のようで参ったな」
姿見に映るスーツを着た自分を見て、そんなことを言う客は初めてであった。
ほとんどの客はこれほどの買い物をした後はどこか誇らしげに、何度もウンウンと頷いて満足げにするものだが、いつもは着物を好むというこの青年は顎をさすって首を傾げている。
銀座にてオーダースーツ店を営む店主は苦笑を浮かべつつも、既に十分過ぎるほどの金額を貰っていることもあり「気になるところがあれば全てお直ししますよ」と上客に対して手を揉みながら申し出た。
錆兎はぼったくりなどには引っかからない目利きのある男である一方、極められた技術や相応の品質のものに対しては敬意を表し、金に糸目を付けない豪快さがある。故に職人気質な者には好かれやすく、この主人もまた、今後とも贔屓にして頂きたい一心で錆兎にはどこまでも腰が低かった。
「ああ、いや。これで十分だ、ありがとう」
「さようでございますか。しかし日が経てば気になるところも出てくることでしょうし、いつでもいらしてください。うちでは手入れなどもお引き受け致しておりますので、何なりとお申し付けくださいませ」
「助かるよ」
そのようなやり取りを交わし、店主が後片付けをしていると何やら玄関の戸が開いた音がした。
家の広さなどから見て、錆兎が一人暮らしではないのは確かだ。何より彼の落ち着きや佇まいから、若いながらも妻がいるであろうと踏んでいた店主は、近付いて来た足音を彼の妻のものだろうと見越して挨拶をする為に姿勢を正す。
しかし姿を見せたのは、錆兎と同年代ほどの青年。
癖のある黒髪に、小さな白い顔。黒の学ランに濃い臙脂の羽織を纏ったその人は、涼しげな目元でチラリと店主を見る。
その表情がまた、若い娘であればコロッと惚れてしまいそうな美丈夫のそれであったので、店主はポカンと口を開けた。初めて来店した錆兎を見た時もスーツが似合いそうな長身の男前が来たと胸が踊ったが、この黒髪の青年は思わず目で追ってしまう部類の美形である。
無言で見つめ合う二人。
ここのもう一人の家主である黒髪の青年、義勇は客人の訪問など聞いていただろうかと眠たげな顔のまま首をゆっくり傾げつつあると、スーツを着た錆兎が顔を出した。
「おお。義勇、おかえり。早かったな」
錆兎を一目見るや否や、眠たげな表情をしていたのを一変。
見慣れないスーツ姿の錆兎にハッと目を見開いて、義勇はその場で立ち尽くす。
「……なんだその……素晴らしい格好は」
間をたっぷり開けて、ようやく捻り出した一言。
「素晴らしいって……前に言っただろう。仕事で必要な背広を仕立てて貰うんだと」
どうだ、似合うかと錆兎がはにかむ。
確か──近頃頻発している少女の行方不明事件に鬼が関わっている可能性があるとのことで、次の犠牲者となるかも知れないという、某総合商社会長の孫娘を護衛する任務がどうのこうのと、錆兎から聞いていた気がする。
聞けばその会長がとんだ西洋かぶれであるそうで、家も巨大な洋館であれば、溺愛している孫娘には常日頃からドレスのようなワンピースまで着せている始末で、孫娘の護衛をするならば相応しいスーツを着て来いと言って来たのだそう。
当然、名目上は鬼による行方不明事件などではなく、ただの誘拐事件ということになっており、本来であれば護衛も鬼が出る夜間のみで事足りるのだが鬼のことなど知らない会長からは「昼間も護衛に来い」と命じられた。
中でも警官に扮して護衛を申し出た錆兎の容姿を酷く気に入って、貴様であれば日中の護衛を許可するとの指名までされてしまったのだと。
なので主に活動を行う夜間のみ隊服に着替え、昼間はスーツで形ばかりの護衛に当たることとなり、短納期でスーツを仕立ててくれる店をようやく見つけたとは確かに聞いていた。
けれども、だ。髪をキチッと一つに纏め、上品なスーツを身に纏う錆兎があまり絵になり過ぎている。普段よく見る和服の錆兎とはまた違う色気が醸し出されており、義勇はいっそ自分が護衛されたいと馬鹿げた願望を抱いた。
大抵の暴漢も鬼も、もはや水柱である己の足元にも及ばないのは百も承知なのだが。
この姿の錆兎に護られるという孫娘とやらが心底羨ましい。義勇は顔を手で覆い、深く息を吐いた。
「……これを仕立てたのは貴方か?」
「えっ、あ。はい。き、生地まで全て私の方で選ばせて頂きました」
言い値で払うからと言われ、無理な納期にもかかわらず錆兎に最高の一着を仕立てた優秀な店主に、義勇は自分からも金一封を差し出したくなる。義勇はヨタヨタと店主の元へ近付いて、金銭を握らせる代わりに深々と頭を下げると「ありがとうございました」と告げた。
しかし店主からすれば、一体何への礼なのだろうと疑問は尽きない。
そして義勇がただならぬ気迫を背負ったまま中々頭を上げないので、慌てた店主は「と、とんでもございません」と声を裏返して言い、荷物を纏めると二人に一礼してからそそくさと屋敷を後にした。
ピシャッと戸が閉まる音。
「……怖がらせたか」
店主が去って行った方向を見つめる義勇。
「自覚があるならよかった」
義勇が度々見せる奇行に薄ら笑いを浮かべて、錆兎は着慣れないスーツを早く脱ごうと静かにネクタイへと手を伸ばした。
「あっ……! 駄目だ、まだ全然見足りない……!」
すると義勇は錆兎の手首を慌てて掴み、まだ脱ぐなと案の定駄々を捏ねる。
そう言ってくると見越して、さり気なく、静かに脱ごうとしていたのに。錆兎は目敏い奴めと遠い目になりながら「皺になるだろう」と言って、義勇の我儘には耳を貸さない姿勢を貫く。
錆兎は明日から、その護衛任務とやらで数日は張り込むことになるであろう。義勇としては少しでもいつもとは違う錆兎を見納めておきたい一心で、一時間でいいからと懇願した。
和装を好む錆兎は、きっと帰って来たとて再びこのスーツを着てくれるとは限らない。もう見れなくなるかもと思うと惜しくて、義勇は嫌だ嫌だと首を横に振った。
「……はあ、なんだ。そんなに良いのか、この格好のオレは」
結局、義勇にはトコトン甘い錆兎は根負けして、ネクタイを解こうとしていた手を離す。
「いつも抜かりなくお前はカッコいいが、たまには違う装いも新鮮で健康にいいんだ……視力が回復する」
「また訳の分からんことを……」
とは言え、確かに義勇が普段と違う装いをしていれば、錆兎も新鮮さを抱くだろう。
具体的にどの様な服装か、と聞かれれば答えに詰まるが。
義勇もスーツは似合うはずだが、錆兎の好みで言うと変に小洒落たものではなく、和装の義勇が一番好ましい。
義勇の顔立ちからして着物に勝るものはないだろうとすら思ってしまい、和服であれば、例えば華やかな振袖姿の義勇などが良いなと思う。
きっと、それはそれは、息を呑むほど美しいだろう。
他には──下心に忠実になるとするなら、カフェーの女給が着ているような、着物の上から控えめながらも大きなフリルの付いた、白が眩しい洋式の前掛けを身に纏う義勇などは一度は妄想した覚えがある。
確かに良い。
良い、と言うかそそる。
スーツ姿の錆兎をうっとりしながら拝んでいる義勇を見下ろして、少し良いことを思いついたように「義勇」と名前を呼んだ。キョトンとして、黒い瞳が錆兎を見上げる。
「お前の気持ちは分かった。任務から帰ったら、この背広を着てたっぷり構ってやろう」
「ほ……ほんとか」
「男に二言はない」
そこまで喜ばれるとなんだか気恥ずかしさまであるのだが、思った以上に食いついて来た義勇に錆兎は笑いそうになって、誤魔化すため咳払いをすると口元を手で覆った。
「ただ、お前だけはズルい。オレも義勇に着て欲しいものを持ってくる」
「……俺に着て欲しいもの?」
「ああ。義勇はそれを着て、オレの相手をしてくれ」
義勇は昔から身の回りのものは非常に少数の、本当に気に入ったものばかりで揃えるようにしている。故に着物なども全て大切にしながら何年も同じものを着続けるような男であり、錆兎の前で物珍しい服なんてものは一度も着た覚えはなかった。
だからこそ、着て欲しいもの、と言われたところで自分でもピンと来ない。
義勇は首を傾げながら「構わんが……」と了承する。
一方、錆兎は満面の笑み。
「言ったな? 嫌がるなよ」
「お、俺が嫌がるようなものを着せるのか?」
「さあ」
あの手の白い洋式の前掛けや、女給が着るような大胆で派手な柄の着物はどこに行けば手に入るのだろう。
今後世話になる、西洋かぶれの会長に聞けば教えてくれるだろうかと考え、明日からも仕事が頑張れそうだと錆兎は義勇を見つめて微笑んだ。
義勇はスーツが皺にならない程度に、気を遣いながらやんわりと引っ付いて、少々困ったように錆兎を見上げてみせた。