16/添い寝 - 2/4

 自身の育手である鱗滝が新たに子を引き取ったらしいという報せが姉弟子から届いたのは、ちょうど錆兎が長期に渡る警邏任務を終え、しばらくの休暇を与えられた日の翌日のこと。
 錆兎が相変わらず女中も雇わず継子もとらず、寂しく男一人で暮らしている水柱邸まで真菰は嬉々として弟弟子を迎えに行くと「鱗滝さんのとこ行くでしょ?」と子供っぽく小首を傾げてみせた。
 姉弟子は昔から錆兎相手であろうと年齢不詳を徹底して来たため、詳細な歳こそ分からない。それでも逆算すれば錆兎より一回りは年上であってもおかしくないはずなのだが、特に若作りをしているわけでもなく化粧っ気もない彼女がどこからどう見ても十代半ばの少女にしか見えないので、童顔もここまでくるといっそ恐ろしい。
 人面魚の肉でも食ったんじゃあないかと、錆兎は彼女の継子であった時代から疑っていた。並んで街を歩いていれば、真菰よりもずっと若いはずの錆兎の方が周囲から老けて見られるのは、もはや昔からのお約束ですらある。
「別に行かんでいいだろう。大人が寄ってたかって会いに行けば子供が委縮する」
 今回の任務では相当体力を持っていかれたらしく、珍しく真菰が来るまで寝ていた様子の錆兎は薄っすらと顎に無精髭を生やしたまま。声も普段に比べて覇気はなく、着崩れた寝間着姿で欠伸を一つ漏らしていた。けれど玄関でかつての師を立たせた状態では無礼に当たると、錆兎は頭を掻きながら律儀にも真菰を屋敷へ上げる。
 それから、男はわざわざ真菰のために茶を淹れて座布団まで用意し、貰いものらしい饅頭まで差し出して持て成そうとするので、これには真菰の方が「別にいいのに」と苦笑した。
 錆兎はずっと、真面目で、何より律儀な男であった。
 数年前までは水柱を務め、隊士となった錆兎を継子として迎え入れては可愛がっていた真菰も、今や片足は義足で目もほとんど見えてはいない。手術のために一度は丸坊主となった頭はなんとか長い時を経て髪も元の長さに戻りつつはあるが、失ったほとんどはこの髪のようには戻らなかった。
 どうして生き残ったのか、それすら不思議なくらいの今の身体では当然刀も置くことになり、彼女が柱を引退してしばらく経つ。
 けれども隊士を辞めたとて、なんでもない日々よりも戦場を選んだ真菰はどうしても淑やかな妻や、暖かな母にはなれそうになかった。
 引退後も周囲、とりわけ錆兎には強く反対はされたが鬼殺隊にどうにか貢献したくて、現在も情報収集や潜入調査を請け負い、若い隊士に稽古をつけるような役職に就いてはいる。だが義足ともなれば現役時代のように動けず、体力も衰えて疲れやすくもなった。それでも、若い現役の隊士たちが数人がかりで真菰に挑んだとて、彼女からは一本たりとも取れないのであったが。
 普通になど、到底戻れはしない。
 それに戦場に弟弟子が残っているのなら、尚更だった。
 かつては女傑だなんだのと言われて来た一人の剣士がみっともなく、泥臭く居場所にしがみついている今を悲観的に憂うことはない。だが自分の後を継いで立派な水柱として隊を支えている錆兎が、半ば隠居生活を送る現在の自分ためにここまでする義理だけはないだろうと、真菰は本気でそう思っている。
 なんてことを言えば錆兎はきっと、首まで赤くして怒るのだろうが。
 錆兎は、真菰が「私はもう柱でも隊士でもないから気にしないでいい」と言えば「莫迦を言うんじゃあない」と必ず怒る。欠かさず怒る。すかさず怒る。こういうところも、変に律儀な男であった。
 己などもはや敬わなくていいのだと何度言っても聞かない弟に、真菰も随分と怒られ続けているので、今さらわざわざ彼を怒らせるようなことを言いはしないが。
 差し出されたぬるい饅頭を頬張る真菰は少し呆れたように笑い、今は錆兎を怒らせるよりも鱗滝が引き取ったという子供について、あれやこれやと好き放題憶測を立てることを選んだ。
 錆兎が、礼儀を尽くしたいというのなら、したいようにさせるべきだろう。
 背負わせたのは他でもない、己なのだから。
「なんか山の中で倒れてたんだって。それをさ、ほら、よく鹿とかくれてた猟師の爺ちゃんいるでしょ。その人が見つけたらしくて。今もまだ痩せてて衰弱してるから、剣士に育てるかどうかは分かんないって鱗滝さんは言ってた」
 真菰の言葉に、「ふうん」と相槌を打つだけの錆兎は、拾われたと言う子供にさほど関心がないらしい。
 歴代の水柱や優秀な剣士を多く輩出している鱗滝一派の末弟である錆兎は、兄弟子たちや真菰から末っ子扱いを受けるたび、幼い頃こそ「自分も弟弟子が欲しい」と拗ねていたと言うのに。あの頃の純粋で子供扱いを嫌がっていた可愛い弟弟子を懐かしみながら、「反応うっすいなぁ」と真菰が唇を尖らせる。
「その子も隊士になったら、錆兎の継子になるかも知れないんだよ? もっと興味持ちなよ」
 自分が錆兎を引き取ったように、錆兎も誰かの師になって欲しいと言うのは独り善がりな願いであることも真菰は重々承知していた。それでも過酷な戦場で次々に兄弟弟子たちが命を散らし、中には自分のように引退を強いられた者も多く、今では末弟である錆兎だけが鬼殺隊で鱗滝を背負っている現状に、真菰は寂しさを覚えずにはいられない。
 どうか、錆兎には彼にとって初めて出来る弟妹と、良い関係を築いて欲しかった。
 たとえ自分がいなくなっても、錆兎が錆兎のままであれるように。それだけが、真菰の姉としての願いでもある。
「……隊士になんか、ならなくていいさ」
 居間から見える庭をぼんやり眺める錆兎の、髭が浮かぶ顎が動いた。
「生きてりゃ良い。オレが兄さんたちや姉さんや、その弟だか妹だかの分も全部する」
 錆兎は──剣士として、出来が良い﹅﹅﹅﹅﹅なんてものではなかった。この子は剣士になるべくしてなったのだと、そう思わざるを得ない、生まれながらの剣士であった。
 だが錆兎は己の才能を鼻にかけるでもなく、目上の者を敬うことを遵守し、仲間を思い、責任感が強く、どこまでも悲しくなるほどに優しい子であったのである。
「死んでほしくない」
 これは人間性を棄てず、他者を敬い、愛せる子だからこそ出てくる言葉だ。
 オレが全部する──この男であれば、それも可能かも知れない。錆兎の強さとは、こんな詭弁ですら妙な説得力を持たせるものであった。
 成人を迎えるかどうかという年頃であると言うのに、なんだか老けた気がする弟の横顔をほとんど何も見えない目で見つめながら真菰は茶を啜ってフウと息をつく。
「ま、剣士になるかどうかもその子が決めることだしね。私たちがここであだこうだ言っても仕方ないか」
「姉さんから言い始めたんだろ。オレは元より何も言ってない」
「細かいこと気にする男は嫁さんもらえないぞ。ほれほれ、アンタも早く髭剃って着替えてきなよ、今から向かわないと狭霧山に着く頃には夕方になっちゃう」
「はあ……ったく、一人で行って来いよなぁ……なんでせっかくの非番を……」
 などと言いながらも、最終的には重い腰を上げて身支度をしに居間を出て行く錆兎の大きな背中を真菰は見送って、もう一口茶を飲んだ。
 別に、新たにやって来た子供が隊士になろうとならなくとも、正直なところ真菰にとってはどちらでもいい。ただ、今の錆兎には守るべき存在が必要だと思う。あの手の男は、守るべきものが手元にあればあるほど鬼人が如く力を発揮するのだ。
 これは、真菰の経験に基づく持論である。
 嫁でも貰って子を授かれば話が早いのだが、聞くところによれば彼は生みの母と情夫の間に生まれた非嫡出子であり、それなりに苦労の多い幼少期を送ったとのこと。そのこともあってか錆兎は恋人までなら考えても、嫁を貰うことだけにはいささか抵抗があるように思えた。
 だからこの際、嫁をすっ飛ばして子供だけでもいい。
 可愛らしく、庇護欲が掻き立てられるような弟か妹が出来れば、あの男はまた強くなり、そしてなにより生きる意味を剣以外に見出せるはずだった。
(……弟離れ出来てないのかなあ、私……)
 腕を組み、真菰は難しい顔をしてウーンと唸る。
 日に日に、生きていることが不思議なほどに壊れかけたこの身体の、終わりが見えるようになって来た。そのうち、寝ている間にポックリ死ぬだろうという確信が現実味を帯びつつある。
 死は怖くない。後悔もない。剣士として、成すべきことも終えた身である。今はたまたま拾った、長めの余生を送る身であった。
 しかし、自分がこのまま死んだら──呪いをかけられたままの錆兎は──剣以外を見ず、一人で生きていくのだろうかと。
 お節介なのも分かっている。錆兎が、面倒を見てやらねばならない歳でもないことも。あの男はたとえ一振りとなろうとも、この戦場を逞しく駆けて、生きて生きて戦えることも。
 だからこそ、一人にしてはいけないのだ。人間という生き物は、孤独に慣れてはならない。
 弟を置いて死ぬ。その一点だけが、死を甘受しようとする真菰の心残りであった。
「──姉さん。さっさと行くぞ」
 顎髭もなくなり寝間着から隊服に着替え、日輪刀を腰に差した錆兎が顔を出す。ここ数年は緊急の招集に備えて遠出をする際は隊服を持って行くか、すでに着替えて行くかのどちらかとなっていた。他の柱はどのようにしているのかは各々によるが、錆兎は大抵このようにしている。
 真菰は顔を上げると空になった湯呑みを持って、義足を軋ませつつ軽やかに立ち上がった。
「やっぱり顎髭ない方がいいよ、錆兎は。なんか凄いオジサンみたいだもん」
 本当は、この目では顎髭が生えていたかどうかまでは分からなかった。ただ、当てずっぽうに口にしただけ。
 見えていた頃の真菰の目に映っていた錆兎の姿とは、僅かに青さが残る少年のものだったから。
「一晩寝たら男は勝手に生えてくんだよ、仕方ないだろ」
 錆兎の、顎髭が生えた顔ですら見てみたかった。
 どうか、本当のオジサンになるまでこの子には生きていて欲しい。
 その頃には、己はもうこの世にはいないだろうけれど。
 真菰は不服そうに自分の顎を撫でる弟を見上げ、ケタケタと屈託なく笑ってみせると隣の背中を軽く叩いた。