16/添い寝 - 4/4

 数年後、水柱邸。
 隠になったばかりの一人の青年は荷物を抱え、初めて訪れる屋敷の前で先輩に付き添われながら非常に緊張した面持ちで中にいるであろう屋敷の主──つまるところ、柱である──に声を掛ける。
「水柱様、おられますか」
 だが、待てど暮らせど返事はない。
 さて、どうしようかと先輩と顔を見合わせて、どこかに出かけてらっしゃるのではないかと、ならば時間を改めようかと話していた時だった。
 内側で、ガタガタと閂が動く音。隠達が姿勢を正すと、すぐに門は開かれた。
 けれどそこにいたのは顔に傷のある、宍色の髪を揺らす精悍な風貌をした水柱ではない。
 見るからに女性ものであろう、臙脂色の着物の上から純白の羽織を纏い、狐の面で顔を覆った者が隠たちを迎えた。
 丁寧に結い上げられた長い黒髪や、着ている着物から女性に見えなくもないが、それにしては女性特有の丸みが一切なく、身長もそこそこにあるので青年と言われても納得が出来る。
 水柱の奥方だろうか、けれど彼には妻はいないと聞いていた。若い隠が思わず目を奪われて言葉に詰まっていると、隣に控えていた先輩の隠が咳払いと同時に肘で後輩の横っ腹を小突く。その衝撃で若い隠がハッと我に返るや否や、慌てて風呂敷に包まれたものを狐の面へと恭しく差し出した。
「し、失礼しました。こちら、水柱様にお渡しいただけますでしょうか。次の任務で必要なものとお聞きしております」
 目元に紅の入った、狐の面に描かれている青い瞳がジッと隠達を見つめたのち、差し出された風呂敷を両手で受け取って、狐の面は礼儀正しくぺこりと一礼。
 その動作に続いて隠達も深々と頭を下げ、屋敷を後にする。狐の面は最後まで一言も、言葉を発さぬまま。
 しかし背中が見えなくなるまで自分たちを見送ってくれている気配を背後で感じながら、やや足早に隠達は角を曲がる。
 遠くで、水柱邸の門が閉じる音。
「……びっくりしたあ……」
 その音を皮切りに先に口を開いたのは、若い隠の方であった。
「……妖怪かと思っちゃいました。使用人の方でしょうか」
「ばかたれ。あれは水さんの継子の方だよ」
「継子……ですか?」
「そう。あの子は入隊した時からずっとあの面を被っててな、顔を見せるのは水柱様にだけらしい。少なくとも、俺ら隠でご尊顔を拝したことのある奴はいねぇよ」
 へえ、と若い隠は頷く。
 なんだか、不思議な雰囲気の子だった。あの短時間でも分かるくらいには立ち居振る舞いが華やかで、上品な印象を与える様子は剣士には到底見えなかったが、どうやられっきとした隊士であるらしい。
 先輩に「冗談でも妖怪なんて言うなよなあ」と説教を受けながら、若い隠はもう一つ、どうしても気になることがあったため恐る恐る先輩へと問いかける。
「……先輩。あの子、男なんですか? 女なんですか?」
 両者、少しの無言。
「……さあ」
 歯切れの悪い先輩の返答がそれを打ち破って、若い隠は「そうですか」と、特にそれ以上の言及はしなかった。

 ◇

「──御師さま。隠の方が次の任務で必要な備品を持って来て下さいましたよ」
 風呂敷を抱いて屋敷に戻った継子が声を掛けるも、布団も敷いていない畳の上で師範が転がっているのが見え、面の下にある端正な顔は困ったように眉を八の字に寄せる。
 先ほど半月に渡る任務から帰って来たばかりであるので疲れているのは分かるのだが、せめて布団くらいは敷かせて欲しい。
 預かった荷物を一旦置き、小さな歩幅で師の元へ。着物の裾を押さえながら膝をつくと、狐の面は男の傍で屈んだ。
 仰向けで目を瞑る師の顔にかかった宍色の髪を、白い指先がそっと労わるように撫でる。
「お疲れですか。布団を敷きましょうか」
 透き通るような声が降り、師範は瞑っていた目をゆっくりと開いた。
 愛らしくも美しい顔が自分の顔を心配そうに覗き込んでいることを期待したのだが。けれどそこにあったのは無機質な狐の面であったため、男はどこか不服そうな表情を浮かべる。
「……義勇。お前は小姓のようなことはしなくていいと言っているだろう」
「でも」
「でもじゃない」
 人前ではこの面を被れと命じたのは己であったが、二人きりの時は邪魔くさい他ない。
 面の内側へと手を伸ばし、その下にある顎を撫でた。仕草のみで「取れ」と命じれば、義勇と呼ばれた青年は面をすんなり外す。
 現れたのは無駄のない、繊細で儚げな顔。長いまつ毛に縁取られ、黒目がちで縦幅も広く切長な目は愛らしさと美しさのどちらも兼ね揃え、すっと筋だけ通った鼻は小さく、形の良い唇もこれまたこぢんまりとしていた。
 まさに腕の良い職人が作り上げた人形のようで、義勇の師である錆兎はうっかり見惚れてしまう。
 歳を重ねるごとに美しくなっていくこの子が、押しかけ女房の如く水柱邸に突然転がり込んできたのは義勇が晴れて隊士となった十三歳の時。それよりも少し前の、初めて出会った日のことも錆兎はよく覚えている。
 思いの丈を話し合った後は共に薄暗い部屋ですっかり寝落ちてしまって、夕餉の時間に起こされてから初めて、明るい場所でお互いの顔を見ることになった。
 夜目が利く錆兎はすでに義勇の顔立ちについては綺麗な顔をしている子供程度の認識はあったのだが、義勇の方は錆兎の風貌を改めて見るなりその場で固まってしまい、やはり怖がらせたかと困ったように苦笑する錆兎。
 けれども義勇は泣いてしまうどころか顔をほんのり赤く染めて、食事をとる時も寝る時も、錆兎と一緒がいいと言い始める始末。
 錆兎だけが何故なのかと不思議そうに首を傾げ、一方で鱗滝と真菰は生暖かい目で二人を見守っていた。
 本来は翌日には帰る予定であったのだが、真菰に「まあまあ」と言われ、結局数日貰えた休暇を全て鱗滝の小屋で過ごすことに。その間の義勇と言えばどこへ行くにしても錆兎について来るようになり、錆兎が膝に座らせて口元に粥を運んでやれば少しは食べられるようにもなった。
 そして休暇を終えた錆兎が帰ってしまう日なんてのはそれはもう壮絶で、しがみついてくる義勇を無理矢理引き離すのには胸が痛んで仕方がないほどだった。
 それこそ今生の別れのように、義勇は鱗滝に抱かれながら仰け反って暴れて泣き喚いて、挙げ句の果てに「行かないで錆兎」と叫ばれてしまい、「また来るから」と宥めては、これはまだまだ死ねないなと男は顔を青褪めさせて遠い目をしたものである。
 あれから、もう何年経ったのか。 
 一緒に戦いたい、隊士になりたい、錆兎を守るからと言われて、やめておけと言ったが結局は義勇の粘り勝ち。継子にしてくれと言われたときも錆兎はもちろん断ったのだが、あまりのしつこさにこれも根負けした。
 貴方のものにして欲しいと最初に乞われた時は頭を抱えたものだが、のらりくらりと躱している間に義勇がいつかの任務で酷い重症を負って、一ヶ月近くも昏睡状態に陥ったことがあった。
 この子が、死ぬかも知れない。
 二度と会えなくなるのかと思うと、慣れたはずの身内の死を初めて恐れた。
 錆兎はその時ついに義勇への感情を整理するに至り、そして義勇が目を覚ました時にはもう、手放すことなど出来ないところまで来ていた。
 やっと目を覚ました義勇を前にして、錆兎は傷に障らないように抱きしめて「一緒に帰ろう」と言ったのである。
「……御師さま?」
 あれから、錆兎は義勇を己から遠ざけるのをやめた。
 ジッと見つめてくる錆兎に義勇が首を傾げてキョトンとしているのを見上げると、腕を掴んで乱暴に抱き寄せる。
「今は御師さまじゃないだろ」
 腕の中に閉じ込めながら錆兎が低い声で言うと、可哀想なほどに義勇の顔は耳まで赤く染まった。そして、小さな声で「錆兎」と呼ばれたことに気分を良くして、男は笑みを浮かべると瞼を閉じる。
「少し寝る。適当に起こせ」
 錆兎の不眠はすっかり治ったと言うのに、思いを通わせて以降は今のように義勇を抱き寄せて、添い寝を所望することが増えた。
 起きるまで離してくれそうにない彼の腕の中で、夕餉の支度も途中なのにと義勇は困った振りをするだけ。その表情は、どこまでも幸せそうである。
 ──怖いのは、二度と来ないさ。オレが全部、守るから。
 孤独に押し潰され、生きることすら放棄していた己にそう言ってくれた彼が、自分を求め、側に置いてくれていることが。
 義勇は心から、嬉しかったのである。
「……おやすみ、錆兎」
 寝息を立て始めた錆兎の髪を撫で、義勇は額に口付けを落とすと同じく目を瞑った。
 今、一緒に寝れば夢でも錆兎に会えるかも知れない。

 しばらくすると、二人分の穏やかな寝息だけが、静かな居間を優しく満たした。