おやくそく

 週末のショップ大会にて。
 考査も終わり、暇を持て余していた櫂は気まぐれに大会への参加を決めると、当然のように優勝を勝ち取って行った。決勝戦ではアイチと対面したものの、アイチの手札回りが良くなかったことも影響し、軍配は櫂の方へと上がったのである。
 優勝賞品がロイヤルパラディンの記念プロモーションカードであったためにアイチは肩を落とすが、それよりも櫂とのファイトが出来た喜びも大きかったために複雑な心境。
 しかし、表彰後に櫂はあっさりと「自分には必要ない」とだけ告げて、アイチにカードを差し出してきた。
 櫂が大会に参加した理由は“ファイトがしたかった”からであり、優勝賞品欲しさではない。そもそも、賞品がロイヤルパラディンのカードであることさえ知らなかった。
 アイチは差し出されたカードの前で、狼狽える。
 確かに櫂の使用するクランを思うと、不要ではあるが。けれど仮にも優勝賞品。箔押しが施されたカードは美しく、デッキに組めずとも持っているだけでも価値があるものだった。
 さすがに遠慮するアイチ、無言で押し付けようとしてくる櫂の攻防が少し続くも、最終的に櫂が強引にアイチの手に握らせるとそのままショップを出て行ってしまった。
「あっ?! ま、待ってよ櫂くん!」
 風を切るように歩く櫂を、鈍臭そうな走り方で一生懸命に追いかける小さな背中を見送って、店長は二人に「また来てねー」とにこやかに告げる。
 もし、優勝賞品がロイヤルパラディンだと知っていたら、櫂は今回の大会参加は控えてたかも知れない。
 賞品を贈呈したときの、櫂の何かを察したような顰めっ面を思い出して「まあ、受け取って貰わないと困りますよねえ」と店長は小さく笑った。

 アイチが漸く櫂に辿り着いた頃。
 二人で信号待ちをしながら、アイチはチラチラと何度も櫂を見上げる。あまりしつこく返そうとしても櫂に怒られてしまうし、けれど申し訳ないのも確か。怒られるのは嫌だが、せっかく優勝したのに何もないなんて、とアイチは眉をハの字にさせて少し俯く。
 その様子を一瞬盗み見て、櫂は難しそうな顔を浮かべた。
「いつまで着いてくるつもりだ」
 三和がこの場にいたら頭を抱えそうな問いである。案の定アイチは言葉が出ない様子で、おどおどとしたあと、肩を落として「ごめんなさい……」と謝罪の言葉を漏らした。
 櫂が、怒っていると思ったのだ。
 だが、櫂としては別に突き放したい訳でもなく、怒っているわけでもない。
 貰っておけばいいものを返そうとしてくるアイチに対し、自分も気が回らなかっただけなのだから、そんなに気を遣わなくて良いと伝えたいだけなのだが。
 悲しきかな、言葉が三つも四つも足りない。
 そしてそれを察する器用さを、如何せん幼いアイチはまだ持ち合わせてはおらず、互いの思いやりはすれ違うばかりである。
 しかしアイチは謝りはするものの、回れ右をする様子はなく、相変わらず櫂の傍に引っ付いていた。
 頭ではまだ分からなくとも、心では櫂に拒絶されている訳ではないことを理解している故の、無自覚な図太さである。
 そんな健気な少年を見下ろして、こういう時どうしてやればいいのかイマイチ分からない櫂は、思わず溜め息をついた。
「そこまで言うなら家に来い」
「へっ?」
 突然の提案に、思わず間抜けな声が出る。
「カードは返さなくて良い。だから、お前がその賞品の代わりになるものをオレに寄越せ。それでいいだろ」
 どうせ、アイチはここまで着いてきてしまっているのだ。信号を渡って角を曲がれば、櫂のマンションが見える。
 櫂の誘いに、アイチはあからさまに目を白黒させた。喜んだり、落ち込んだり、慌てたり、困ったりと相変わらずこの小動物は忙しい。
 そんな百面相をするアイチの様子を、櫂はやや楽しんでいる節があった。
「で……っでも、ぼく……櫂くんにあげれるものなんて」
「そうか、ならそれまでだな。カードを持ってここで帰れ、アイチ」
 信号が青に変わって、櫂は「じゃあな」と言い残すと、長い足で一歩ずつが大きな歩幅で先々と歩いていく。
 ここでアイチが素直に帰るような子であれば、話はそれまでなのだが。実際のアイチとくれば、櫂に置いて行かれるのはどうしても嫌で、三歩後ろを一生懸命ついて来て歩き始める。
 それを感じ取って、櫂が歩くスピードを緩めたことに、俯いたままのアイチ本人は気づいていない。
 渡せるようなレアカードなんて持ってはいないし、そもそもアイチが持っていて櫂が持っていないカードなどある筈もなかった。
 賞品の代わりになるもの。
 大会に優勝したお祝い。
 頭の中ではご馳走くらいしか浮かばないが、アイチが手料理を振る舞えるかと言えば、答えは否である。米を洗う手伝いをするくらいが、精一杯なのだった。
 そうこうしている内に櫂が住むマンションの公園が見えて来て、丸い額に変な汗を浮かべる。
 己に出来て、櫂が喜ぶもの。特技など、思いつく限りだと百人一首を全部暗記していることだとか、素数をたくさん言えるだとか、そういうものしかなかった。
 自分が百人一首の和歌を一つ一つ披露したところで、櫂が喜ぶとは到底思えない。聞いてくれと言えば聞いてはくれそうだが、まず己の方が恥ずかしさに堪えきれないだろう。
 アイチが頭を抱えている一方で、櫂は正直なところ、ちまちました小動物に対して満足する見返りなど当然何一つ求めてはいなかった。
 困りながらも自分のために何かしようとしているところを眺めているだけで、既に満足である。
 なので、家に上がらせたら暖かいココアを飲ませて、そのままファイトなどを行ったあと、全てなあなあにしてやるつもりであった。
 後ろめたさにつけ込み、櫂が“しろ”とさえ言えば、大抵のことは拒まずにしてしまいそうな危うさがアイチにはある。
 だからこそ、アイチ自身に“どうするか”を考えさせるのが一番面倒がなかった。試合に負けたにも関わらず、カードを譲られて申し訳なさを感じているアイチに対し、この無理難題は櫂なりの気遣いが含まれていたのだ。
 それに、自分が言った通りに動くアイチなど、櫂は見たくない。
 この男、ヴァンガードファイトに関すること以外はアイチに対してとんでもなく甘いのだが、本人の人間性と口調も相まって分かりづらい。
 時折、じゃれあいの一環で意地悪をすることはあっても、緊急性を要するような非常時ではない限り、アイチに何かを強要したりする男ではなかった。
 単純にアイチにして欲しいことがあったとしても、そんなことをアイチが思いつくとは考えられない。
 むしろそういうことを思いつかない、媚びない自然体なアイチを愛おしく思っているのだから、当然なのだが。
 しかし真面目な性格ゆえに、未だ何か悩んでいる様子は大層愛らしいので、暫くはこのまま放置しておこうと涼しい顔で考える。
 そしてマンションのエントランスが見え、櫂が歩きながらボトムスのバックポケットからキーケースを取り出そうと手を伸ばした。
 すると、グッと弱い力で引っ張られる。
 背後から、一歩を踏み出したアイチが、櫂の服の裾を引っ張っぱっていた。
「なんだ。帰るか?」
 三和がこの場にいたら両手で顔を覆いそうな台詞である。
 しかし、アイチは怯まない。櫂に関することとなると、普段は見せないアグレッシブさと、タフさを見せるのが先導アイチである。
 何かを言いたそうな小さな身体を見下ろせば、大きな目を縁取る、青色の長い睫毛が揺れていた。
 ぎゅ、と丸い拳で櫂の服の裾を握って、何かを言おうとしては口を閉じ、また開けるを繰り返す。
「あ、あのね? ぼく……思いつかなくて……その、櫂くんとファイトも出来て、おまけにカードまで貰えたの、すごく嬉しいのに」
 変声期を迎えても、未だ少女のように甘い声だった。
 暫く待ってからやっと話し始めたアイチの言葉に、櫂は黙って耳を傾けてやる。
 それはそれとして、モジモジとしながら、言葉に詰まる様子はいじらしいというか、ちょっかいをかけたくなるというか。それを世間一般的には《可愛い》と表現するということに、やや浮世離れしている櫂は理解していない。
 少し冷えてきた風がアイチの髪を揺らし、地面の枯れ葉は渦を巻いてカサカサと音を立てている。
 その風が合図だったかのようにアイチは一瞬俯いたあと、少し恥ずかしそうに、こぼれそうな大きな目で櫂を見上げた。
「えっと……だから、その……櫂くんが、ぼくにされて嬉しいこと……教えてほしい、です。ぼく、何でもがんばるから……」
 ——そう来たか。
 さすが、先導アイチである。櫂トシキのイメージ通りにいかない、破天荒さが今日も輝いていた。
 櫂はらしくもなく固まって、コイツをどうしてやろうかと獣の思考回路となるが、見かけは平然を保っている。
 アイチ本人はその台詞に深い意味など含んではいなかったが、言葉の選び方に問題があった。櫂にお礼がしたい、ただそれだけの筈が、こうしてとんでもないレッドボールに変えてくる。
 櫂は未だに服の裾を掴んで離さない、アイチの柔らかい手をとった。
 少し強引な手つきでも、櫂が相手となると乙女思考なアイチは思わず嬉しくなってしまう。
 手をとられただけで大げさに耳まで赤くして、おずおずと握り返し、えへへと目を細めた。
 アイチがなにも分かっていないのは一目瞭然だが、櫂はそれを“了承”だと捉えることにした。この二人の間に、認識の違いはいつまでもなくならない。
 強いることは好きじゃない。
 無知に付け入ることも、本意ではない。
 しかし、教えてくれと本人が言っている場合、これは抗えないのではないかと櫂は思う。
 強く握れば壊れそうな、暖かくて小さなアイチの手は櫂の拳に収まってしまった。まるで離さないとでも言いたげな怪しい手付きだが、アイチは終始幸せそうで、顔をトロンとさせる。
 ——櫂くんが、手を握ってくれた!
 頭の中は、お花畑である。なんと涙ぐましい。
「そうか。知りたいんだな、なら仕方ないな。さっさと部屋に行くぞ」
「うんっ! ぼく、がんばるね!」
「ああ、そうしてくれ」
 無邪気に櫂の手を握って嬉しそうに目を細めるアイチと、悪い顔を抑え切れてない櫂は肩を並べてマンションへと入っていった。
 そして、櫂はそれはもう丁寧に、紳士的にアイチにマンツーマンで指導した。
 アイチが例え羞恥心から「出来ない」と言っても優しく頭を撫でて宥め、耳元で「上手だ」と褒めながら、トロトロのグズグズに甘やかして、身体の隅々に教え込んだとか、教え込まなかったとか。
 何を、など野暮なことは伏す。
 後日、アイチのデッキに入っていた箔押しのカードを見たカムイが、「優勝賞品じゃないですか!」と目を輝かせる隣で、沸騰しそうな勢いで顔を赤くさせたアイチが言葉を濁したのは、言うまでもない。