そして彼女は

 初めて、魔物ではなく、他ならない人の血で己の手が濡れた。生暖かいそれは肘まで伝うと、ゆっくりと地面へ落ち、そして音もなく染み込んでいく。ジュディスは自分の握った槍の先を見つめた後、眼の前で蹲る男の姿を見て狼狽した。
 父の罪を、己が自ら償うために始めた旅。これも、自分から吹っ掛けた争いではなかった。街から少し離れた薄暗い道。何かを探す様に歩いている幼い背に向かって、先に、企みを含んだ目を浮かべ近づいたのは向こうである。
 彼女は、それに抵抗した。いってみれば、仕方のないことだった。
 殺してしまったわけではない。男の方にも意識はあるようで、倒れ込んだ今も未だなにか呻いているような声を出していた。
 頭の中では待機している相棒の声が響き渡る。血痕が滴った砂や土が視界に再び入ると、ジュディスは逃げるように踵を返して、そして叫んだ。
——バウル!
 彼はすぐにやってきた。弾け飛ぶように飛び乗ると、夕焼けに染まる空へ泳ぐように、ジュディスを慰めながらバウルは飛んだ。
 手のひらに残る血痕。それはまるで、少女を誘惑する様に囁く。
『今からでも遅くない、さあ、輪へ——』
 ダメよ。ジュディスは瞼を閉じて首を振った。
 これは私の、覚悟だもの。
 少女を乗せたバウルは、何も言わず、少しずつ呼吸を落ち着けたジュディスを暖かな夕日の先まで運んでいった。