忘年会をしよう、と言い出した張本人が待ち合わせ場所に中々現れない。
おおよそ道端で困り果てた老人だか迷子の子供だか、はたまた腹でもすかせた犬だか怪我をした猫でも見つけてお節介を焼いているのだろうと予想は出来るのだが、一つ困ったことがある。
いつもであれば少し待つくらい、なんともないのだ。
いい歳をした大人なのだから先に店に入って待つことも出来れば、適当な手段で時間を潰せばいい。
けれども季節は冬。
つまるところ、隣にいる寒がりの冷え性が風邪でも拗らせるんじゃあないかと、ハーデスは気が気でなかった。
「ぶへっくッしょい!」
雪をも溶かす春の日差しのようなビジュアルからは到底想像もつかない、勢いのあるクシャミを一発お見舞したヒュトロダエウスは鼻を啜ると身体を縮み込ませ、「うう」と小さく呻いた。
なぜこの男は寒さにも暑さにも大して強いわけでもないのに年がら年中、季節に相応しい服装をまともにして来れないのか。
確かに冬にしては暖かな日が続いたかと思いきや、今月の中頃から急に寒くはなった。
とは言え、世間は十二月。
にもかかわらず、ヒュトロダエウスの格好ときたら秋頃に会った時にも着ていた柔らかな素材のシャツに、辛うじて厚めのショールカーディガンを纏っているという出で立ちで、どこからどう見ても寒々しい。
寒さにはそこそこ耐性のあるハーデスですらしっかりとコートを着て、その下にはニットを合わせているような気温なのだ。とてもではないが、この寒さに彼が厚手のカーディガン一枚で耐えられるとは思い難い。
案の定、ハーデスの到着から少しして待ち合わせ場所にやって来たあとはずっと背を丸めており、白い吐息を揉むようにしてヒュトロダエウスは両手を擦り合わせていた。
「いやぁ、参ったね。そういえば世の中は冬だった。仕事が立て込むと衣替えをサボってしまってよくない。ねぇ、ハーデス。クリーニングに出したコートどこに置いたと思う? どうにも思い出せなくてね、あると思っていた場所にないんだもの」
「知るか。それよりもお前はカレンダーの見方を思い出した方が良いんじゃあないか」
「やだなぁ。確かに、ここ暫くのワタシはとても忙しかったよ? でも、さすがに今日が二十日だってことくらい分かっているさ」
「二十二日だがな」
「なんてね。ははは、ウソウソ。分かってる分かってる、二十二日ね」
「というのは嘘で本当は二十一日だ」
馬鹿め、と言いたげなハーデスの流し目に対し、気まずそうに笑うだけのヒュトロダエウスにはため息が漏れる。
近くにカフェでもあれば入って待つのだが、予約をしている店は主催の知り合いが営んでいるという小さな創作料理レストランであり、駅周辺であれ閑静な住宅街が目立つ。実際、この駅で降りたのはハーデスも初めてのことで土地勘もなく、調べた限りでは近隣にコーヒーショップなどの気の利いた店はなかった。
主催が遅刻している時点で店には遅れるかもしれない旨をハーデスから連絡済みではあるが、これ以上待たされるのであれば予定通り先に店へと入って待たせて貰うべきであろう。
店の住所は既に聞いており、この真面目な男は事前に店への道のりも抜かりなく調べてあるので迷うことはない。
とは言え、店へ辿り着くよりも先に凍てつきそうな隣の親友を放置するわけにもいかず、ハーデスは二度目の大きなため息をついた。
「まったく、どいつもこいつも……」
呟くと、ポケットに入れてあったスマートフォンを手に取ってからおもむろにコートを脱いで、それをヒュトロダエウスの肩へかけてやる。
しっかりとしたダブルチェスターコートの重みと、彼が首元に少量だけ振っている香水の香り。
内側に残っているハーデスの体温に包まれたヒュトロダエウスは一瞬ポカンとしたが、すぐにハッとして首を横に振った。
「いや、いやいや。これだとキミが寒いだろう。気遣いはとても嬉しいけれど、ワタシはキミが思っているより丈夫だから問題ないよ」
「丈夫だと? 笑わせるな。お前はしょっちゅう風邪を拗らせて、昔は肺炎で入院だってした」
「それ、全部本当に小さい子供の時のことじゃない。入院と言っても一度きりだし、何度も言うけど二週間程度で退院したよ。キミが事あるごとにワタシのたった二週間の入院生活を取り沙汰して大げさにしたがるたび、ハーデスが当時どれだけワタシを心配して恋しがって寂しい思いをしたのかを思い知らされるよ」
「黙れ」
「あ、からかってないよ。可愛いなって思ってるんだよ? そういうところも好きだし」
「うるさい」
図星ゆえの照れ隠しからなのか、コートを返そうとしてくるヒュトロダエウスをその場に置いていき、ハーデスは手元のスマートフォンを操作しながら店を目指して一人歩き始める。
冬の空はどことなく景色がくすんで見え、雪でも降るのかやや灰色がかった無表情な空はハーデスの髪色にもよく似ていた。
上着もないまま歩き出した彼の広い背中が空へと溶け出してしまいそうで、ヒュトロダエウスは困ったような笑みを浮かべると肩にかかったコートに袖も通さぬまま小走りで追いかける。
「……思い返せば、だ。最近は会うとしても私がお前を車で迎えに行って、行き先は互いの部屋か空調の整った屋内の施設くらいだった。季節感を狂わせた責任の一端は、数寸ほど私にもあるかも知れない。それだけだ」
回りくどいが、「だから気にするな」ということを言いたいらしい。
追いついたヒュトロダエウスはまだ何かを言おうとしたが、ハーデスがスマートフォンを耳に当てた仕草で電話をかけているのだと察し、一旦は大人しく口を閉じる。
「ああ、アゼム。私たちは先に店で待たせて貰うから、駅前ではなく店に直接来い。それと慌てたり焦ったりはよせ、いいな。お前がバタバタするとロクなことがない」
どうやら電話相手は、諸事情で遅れている忘年会の主催者のようであった。ハーデスは電話口で何度も謝る友人に「まったくだ」と言いつつも相変わらず怒っている様子は一切なく、それどころか口元は少し笑ってすらいる。
一方で、隣のヒュトロダエウスがコートの合わせを何度も開いたり閉じたりを繰り返しているのを視界の端で捉えると、いいから黙って着ていろという意思表示のためヒュトロダエウスの手をハーデスの大きな骨張った手が掴んだ。
「前みたいに焦って顔からすっ転んだりするなよ、今度こそ鼻の骨でも折れ……ああ、分かった。はいはい」
少しの会話の後、やがて電話が切れてもハーデスの手はヒュトロダエウスの手を掴んだまま。
ボトムスのポケットにスマートフォンをねじ込んだハーデスだが、ヒュトロダエウスの手だけは離す気配もなく、閑静な住宅街をひたすらに歩く。
二人は身長こそ大した差はないのだが、標準より痩せ型であろうヒュトロダエウスに比べて筋肉質で骨太なハーデスとでは服のサイズは異なり、着せられたコートですらヒュトロダエウスにとっては随分と大きく感じた。
なんとなく手を繋いだ状態で暫く歩いてはいるが、薄い肩にかかっただけの彼の大きなコートが動くたびにずれ落ちそうになるのが気になる。そこでヒュトロダエウスは一度、ハーデスに握られている方の手をやんわりとほどいた。
その間、行き場を失った手を浮かせて何とも言えない顔のハーデスが立ち止まり、こちらを凝視している光景にヒュトロダエウスは思わず吹き出す。
「ごめんね、ちょっと待ってて」
言いながら、大きなコートの袖へとやっと両腕を通した。
そして裾から覗かせた指先で、ハーデスの手を拾い上げると改めて握りなおす。
難しい顔をしていたハーデスも手を握られて納得したのか再度歩き始め、そんな彼の顔をヒュトロダエウスは愛しそうに一瞥。
本人が言うように、ハーデスは特に寒がっている様子もなく、コートがなくとも平気そうではある。
けれどそれはヒュトロダエウスが気を使わないようにと、多少は無理をしている部分があるに違いない。
そんなことは幼馴染みからすれば全てがお見通しで、しかしコートを返せばハーデスの眉間にいつもの皺が寄ることだって分かりきっていた。
こういう時は素直に甘えてやるのが一番、彼が喜ぶということも。
ハーデスはこのように一度懐に入れた身内には気を利かせて、言われずとも先回りで動く男ではあるが、その優しさに胡座をかいて甘えていられるほどヒュトロダエウスも無神経ではない。
ハーデスからの分かりやすい愛情をどう返そうかと思案しながら、ヒュトロダエウスは借りたコートのポケットへと繋いだ二人分の手を入れる。
その中で、そっと自ら指を絡ませた。
「あったかい。ありがとうね、ハーデス」
ちょうどいい高さにある肩に凭れて言えば、彼は「ああ」とだけ言ってヒュトロダエウスの手をより強く握り返して見せる。
ご機嫌だ、とヒュトロダエウスはまた少し笑いそうになるのを我慢。
この人は、こういうところが可愛い。
「ワタシの仕事もそろそろ片付いてさ。今からレストランの予約は取れなくても、クリスマスはイルミネーションくらい二人で見に行こうよ。それまでにコートも探しておくから」
乾燥して少しカサついたハーデスの手を労わるように指で撫で、お返しをすべく着々と次の約束を取り付ける。
寒がりな自分のため、なにより忙しくなる年末にかけて体調を崩さないようにと、本格的に冷え込んできてからはハーデスがなるべく屋内の施設で時間を過ごそうと調整してくれていたこともヒュトロダエウスは分かっていた。
ハーデスがなんでもお見通しなようであるのと同じく、ヒュトロダエウスとて一手も二手も先を視ている。
だからこそ、与えられた愛情のひと欠片すら無碍にしたくはない。
「ご飯は適当に買うなりして、ワタシの家で食べてもいいし。あ、貰いものの良いワインならあるよ。それも二人で開けちゃおっか」
どうかな、と顔を覗き込めばハーデスは頷く。
「いいんじゃないか」
中々の好感触。なんとか無事にお礼が出来そうで、ヒュトロダエウスは安堵と共に目を細めて「決まりだね」と歌うように言った。
その端正な横顔を、ヒュトロダエウスが前を向いてもなお、ハーデスは人知れず見つめ続ける。
刺すような冷たい風が吹き、セットした前髪が乱れても。何も言わずに、ずっと見ていた。
「……コートと、あと。ショールも見つけておけ。去年に買って、よく巻いていたのがあっただろう」
風でヒュトロダエウスの長い髪がなびき、白い首がコートの襟の隙間から見えたのである。
「あれは、お前によく似合っていたから」
ハーデスがようやく前を向くと、今度はヒュトロダエウスがハーデスの方を見た。似合っていた、との言葉にまずはキョトンとし、次第に口元を手で抑えてフフっと聞き慣れた鈴を転がすような笑い声が冬の澄んだ空気を震わせる。
それなりに気に入って身に着けていたはずなのだが、ヒュトロダエウスはショールの存在など言われるまで忘れていた。
去年は似合うもなにも言ってこなかったくせに、買った本人が忘れているものをハーデスがちゃんと覚えてくれていたことが可笑しくも嬉しい。
「じゃあ、見つけておかないと。キミがそう言ってくれるなら」
互いにポケットの中で絡めた指に力を込めては、クリスマスは何を食べようかと二人で話す。
すると、背後からバタバタと喧しい足音。ハーデスとヒュトロダエウスが同時に振り向けば、髪を振り乱しながら全力疾走でこちらに向かってくる共通の友の姿があった。
「アゼム!」
走るなと言ったのにと小言を言いたげなハーデスと、破顔して愉快な友の名前を呼ぶヒュトロダエウス。
それと同時にハーデスの方からさり気なく繋いでいた手を離して、ヒュトロダエウスは笑いながら両手を広げて走って来るアゼムを迎えた。
二人の仲は付き合いの長いアゼムも当然知ってはいるが、わざわざ人前で甘ったるい空気感を晒す趣味はどちらにもない。それより、あくまでも三人でいるときは気の合う友でありたかった。アゼムのこととなると笑いのツボが浅くなるヒュトロダエウスが既に「走り方怖いよ」と大笑いしている声に、ハーデスも釣られそうになる。
「走ると危ないよ! おいでおいで、わ~っあっはっはっは! げほげほっ」
待ってくれている友人に走って来る勢いを落とさずタックルすると見せかけ、実際は手前で急ブレーキをかけてから妙なポーズをとったアゼムにヒュトロダエウスが咽るほど笑う。その間も「遅れてごめん、本当にごめんなさい、反省してます」と言いながら呼吸が落ち着いたヒュトロダエウスの手を取って謎の踊りを始めたアゼムに「ふざけるのか謝罪をするかどちらかにしろ」とハーデスが苦言を呈した。
「構わないさ、大丈夫大丈夫。一緒に行こう」
「お前はコイツに甘い」
自由人で愉快なアゼムをつい甘やかしてしまうヒュトロダエウスと、厳しくもなんだかんだと優しいハーデスは存外バランスが良いのである。
三人で並び、あれやこれやと話して店へと向かっている最中。ふと謎に薄着のハーデスと、体型に合っていない大きなコートで着膨れたヒュトロダエウスを交互に見て「そのコート、ハーデスから強奪したの?」とアゼムが問うた。
「うん、さっきもらった」
いいでしょ、あったかいんだよーと、その場でくるっと一回転してコートを見せびらかすヒュトロダエウスにハーデスは調子の良いやつめと思う反面、そんな天真爛漫さがまた愛らしかったりもする。
惚れた弱みを痛感しつつ、男は肩を竦めながら「寒々しいから貸しただけだ、やった覚えはない」と一言言って、静かに笑みを浮かべていたのだった。