君といる時間

 誕生日に欲しいものはあるかと錆兎に聞かれ、ちょうどスマートフォンの充電器が先日断線したことを思い出した義勇が「充電器のコード」と答えたのが、誕生日の一ヶ月前に当たる今日である。
 義勇の答えに錆兎は変な顔をした。ソファに寝転んでいたのをわざわざ起こし、胡座を掻くとインターン先に提出するレポートを作成していた義勇の方を見る。
 不満そうな、拗ねたような、呆れたような、複雑な顔であった。彼をあまり知らない人が見れば、やや迫力を感じる表情かも知れない。しかし義勇にしてみればその顔がなんだか可愛らしく、自身の口角がゆっくり上がるのを自覚すると同時に「何が面白いんだ」と抗議の声が聞こえた。
「誕生日に、と言ったんだ。コンビニのついでに買うものは聞いてない」
 そうは言っても、義勇は物欲など元より乏しいのである。特別な日に飲む洒落た酒よりも、なんでもない日に飲む温かい蕎麦茶に有り難みを感じる男であった。
 言われて、一応は惟るが、一度充電器のコードのことを考えるとそれしか出てこない。
 ならばコンビニに売っていないものをと、義勇はズレた方向に一生懸命考えを巡らせるが、参ったことに最近のコンビニはなんでも置いてあった。猫のオヤツから、場合によっては服まで置いてある始末だ。
 義勇は困って──顔は相変わらずぼんやりとしたままだが──少し間を開けて、口を開いた。
「錆兎がいい。お前がいつも笑顔で健やかならそれで……」
「田舎の爺ちゃんか?」
「俺は爺ちゃんじゃない」 
 妥当な錆兎の反応に、大真面目であったらしい義勇は不服そうにムッとする。
 これがもう少し色っぽい感じで言われたのなら、他に考えようはあるのだが義勇には酷だろうと錆兎はそれ以上は特に考えないことにした。
 それに、この回答は想定内でもある。
「去年と一昨年は旅行行ったしなあ……」
 互いに忙しくなるだろうと今年は遠出の計画は取り止めたのだが、義勇の調子を見るに日帰りでもどこかに行くべきだったかと錆兎は考える。しかし今から予約となると、場所も限られてくるだろう。思案顔で、錆兎は頭を掻いた。
 幼い頃から、欲しいものは何かあるかと聞いたら義勇は「錆兎と一緒がいい」とそればかりで、それ以外を欲しがられたことが今までない。
 困った挙句に本だの文房具だので誤魔化せていた中学生の頃とは違い、関係を持つようになった高校生頃からは日帰りで出かけることが定番になり、大学生になってからは旅行に行くようになった。
 そして、さっきの回答だ。錆兎がいい、などと。
 義勇は出会った頃から、何も変わっていないのである。錆兎、錆兎と言いながら引っ付いてくる当時からなにも。正直なところ、これは錆兎の可愛い恋人に関する惚気であったが、彼が現在進行形で困っているのは事実なので割愛はしない。
 そんなもの毎日くれてやってるだろうと錆兎は言いたいが、義勇が言いたいのはそう言うことでないのも分かる。
 錆兎が静かになり、またなにか自分の発言で困らせてしまっただろうかと、義勇がソワソワと心配し始めた頃に錆兎は口を開いた。
「二人でケーキ作るか」
「……ケーキ?」
「炊飯器で出来るってなんか前にテレビで見た」
 錆兎も義勇も、さほど料理が上手いわけではなかった。
 下手でもないが、ネットなどのレシピを見ながらであればそれなりのものを作れる程度である。
 僅差で、幼い頃から姉の手伝いをしていた義勇の方がいくらかレパートリーが豊富といったくらいであり、それでも得意料理などを聞かれてもすぐには出てこない。
 最初は錆兎の発言とは思えず訝しげに眉を顰めた義勇であったが、次第に二十歳を超えた男二人が並んでケーキを作る光景を想像し、笑わないはずがなかった。
 そもそも、錆兎は甘いものが得意ではないのだ。スプーン一杯の生クリームですら、渋い顔で味わうことなく丸呑みで対処するくせに、なぜ自らそんな提案をしたのかが分からない。
 ついに可笑しくなって、義勇が肩を震わせて笑っている姿を錆兎は目を細め、愛しげに見つめていた。
「ふ、ふふ……どうしたんだ、いきなり……錆兎らしくない」
「で、刺身とか買って手巻き寿司パーティーしよう」
「二人で?」
「二人で」
 馬鹿馬鹿しいが、楽しそうではある。
 毎年、考えを言葉にするのが下手な自分のために、錆兎があれやこれやと考えてくれることが義勇は幸せであった。当然のように錆兎が隣にいて、歳を重ねたことを祝ってくれる一日が。
 欲しいものを聞いても馬鹿正直に「錆兎がいい」と言ってしまう義勇を見越してか、錆兎はいつしか一緒にいる時間をくれるようになった。
 今年こそ義勇にも何か欲しいものくらいあるだろうと、錆兎は思ったのかも知れない。しかし、いくつ歳を重ねても、毎日一緒にいようと、義勇の欲しいものは変わりようがないのだ。
 多少、申し訳なさもある。面倒だろうとも。けれど錆兎が笑ってそこにいて、出来れば隣に自分がいたらいいなと、そんな日常が、義勇のなによりも一番の欲しいものなのだった。
「……いいな、したいな。風船も膨らませたい」
 義勇が綺麗に笑う。
 なによりも、どんな花も景色も敵わないほど綺麗に。
 錆兎は見惚れながら、満足そうに「決まりだな」と言いつつ、自分で言っておきながらケーキはどうしたものかと少し考えた。
 まあ、でも、義勇が楽しそうなら苦手な甘味もどうにかしよう。
 義勇は手元にあったペンを握ると席を立ち、リビングの壁にかけられたシンプルなカレンダーの二月のところを捲ると、八日の欄に『ケーキ・手巻き寿司』と整った字で書いた。