大きくなったら

 かつて遊星が調整してくれた、愛用しているデュエルディスクを装着したときのこと。龍亞は妙な違和感に、思わず自分の腕を見た。
 一般的に小中学生向けに開発されている子供用のデュエルディスクは、何段階かに分けて成長と共に変わる腕の太さに合わせて調整が行えるようになっている。
 それでも遊星が調整を加えてくれるまでは、一番小さいサイズにしていたにもかかわらず、大きさが合わずに腕を軸にクルクルと回って不安定であった代物。
 それが、どうしたことだろう。
「……なんかキツいかも?」
 ふと感じた圧迫感に首を傾げた。

「見せてもらえるか」
 アカデミアからの帰り道、いつものように寄り道したガレージにて作業中であった遊星にそのことを話すと、黒ずんだグローブを外してから龍亞に向き合う。
「壊れちゃったのかなぁ」
「市販の子供向けデュエルディスクは軽さに特化しているが、衝撃にも強い素材でできているんだ。金額はそれなりだが、こまめなメンテナンスをすれば優に十年ほどは使い続けることができる設計になってる」
 へぇ、と感心する龍亞の手を取り、遊星は制服の袖を捲らせた。メジャーを工具箱から取り出すと腕周りを測り、手の加えられたデュエルディスクの寸法と比較する。
 頷く遊星。
「うん。龍亞が少し大きくなったかな」
 そして、優しげに目を細めた。
「……おおきく?」
「ああ」
 預かったデュエルディスクを、何らかの設計図だのスケール定規だのが転がっているデスクの上へ丁重に置き、椅子に腰掛けると早速調整に取り掛かる。
 遊星に測ってもらった腕周りを、自身の指を回して何度か握っていた龍亞は、次第に目を輝かせた。
「俺、でっかくなったの? 遊星くらいになる?」
「数値で言えば以前と僅差だけどな」
「キンサってなに?」
「ちょっとだけってこと」
 がーん、という顔をした龍亞に遊星は「その内、オレのデュエルディスクもつけれるようになるかもな」と頭を撫でた。
 遊星のデュエルディスクとはサテライトにいた頃、廃品となっていたものに独自の改造を加えた特別製である。デザインにも手が加えられており、市販のものとは少し違うのであった。
 しかし、龍亞にとってはそれがかっこよくて、オトナで、憧れの象徴でもある。
「……ねー、ゆうせ〜」
 間伸びた呼び方。龍亞が、なにかをねだる時の声であった。遊星はそれを分かっていながらも「どうした」と耳を傾け、機構部品のネジを外していく。
「あのさぁ、俺がでっかくなって、もし遊星がさ、そん時に新しいデュエルディスク使ってたら、今使ってるやつ俺にちょーだい」
 遊星の隣に置いてあった椅子に飛び乗り──いつもはブルーノが座っているため、飛び乗らないとなかなか座れない高さであった──龍亞は遊星の手元を見たあと、顔を覗き込む。
「オレのを?」
「そう!」
 元気の良い返事に遊星はキョトンとして、そして次には困ったように笑った。
「オレとしてはあんなジャンクより、ちゃんとしたメーカーのものをプレゼントさせて欲しいな」
 サテライトで使われるデュエルディスクは、ジャンクの中から掘り出される廃品か、値は張るが数年前の型落ち品がほとんどである。
 遊星のデュエルディスクはᎠホイールにセットすることを想定し、拾ってきたジャンク品を削ったりと大胆な改造が加えられ、趣味で様々なガジェットも追加しており本来の原型が色味しか残っていない。
 市販のものが疲れづらさや軽さを重要視する中で、色々と細かいカラクリを仕込んでいるが故に遊星のデュエルディスクはやや重いのも特徴的であった。
 そしてメンテナンスも遊星本人しか手の付けられないもので、誰かに譲ることなど一ミリたりとも想定していない代物である。
 とてもじゃないが、自分は気に入っていたとしても、あれを人にあげる気にはならなかった。
「あれがいいんだよ〜ねぇ、いいでしょ?」
「んー……市販のものより数キロ重いからな、アレ……中に色々付け加えすぎて」
 この男、ミニマリストに見えるが、案外旅行に行く際にはカバンがやたらと大きくなりがちなタイプの男でもある。
「だから遊星の腕ムキムキなの?」
「俺でムキムキならジャックはどうなる」
「ゴリゴリ」
 遊星は龍亞の回答に声を出して笑った。
 遊星の笑う横顔を見上げて、龍亞は嬉しくなる。そうしてタンクトップ姿の遊星の腕をおもむろに触ると、彼が手元を動かすたびに動く筋肉に「すげー」など言って少年は呟いた。
 無駄のない、筋肉質な男の体が羨ましい年頃。
 そんな子供の突拍子もない行動には遊星も施設時代で慣れているため、腕を撫で回されようと龍亞の好きなようにさせる。
「俺もムキムキになるからさぁ」
「やるのは別にいいんだがな……実用的じゃないんだ」
「遊星すげー使ってんじゃん」
「人にやるってなると違うものなんだよ、ああいうのは」
 職人とはえてしてそういうものである。人に譲るものならば、ちゃんとそういうことも考慮して拘りたくなるのが性であった。しかし、そんな事情などよく分からない龍亞は不満気で、唇を尖らせる。
 龍亞としては実用性がどうこうなどを差し引いて、遊星が使っているものだからこそ欲しいというのに。
「そんな顔するなよ。ほら、できたぞ。腕を出してくれるか」
 遊星の機嫌をとるような声に、また子供扱いしてと拗ねた龍亞は頬を膨らましつつも、大人しく言われたとおりに腕を出す。
 遊星の技術者らしいカサついた手のひらが細くて白い少年の腕を支え、最終調整を終えてスイッチを入れると、あのときに感じた窮屈感もなく腕にフィットした。
「すごい! ぴったり!」
 先程までの不貞腐れていた態度はどこへやら。
 コロコロと表情を変えて、嬉しげにはしゃぎながら遊星に「ありがとう!」と告げる龍亞。
 遊星は子供らしい龍亞の無邪気さが眩しくて、どういたしましてと微笑んだ。
「……お前がもう少しお兄さんになって、筋肉量も増えたら作ってやる」
 遊星が再調整してくれたデュエルディスクを装着したまま、床につかない足をブラブラとさせてご機嫌な龍亞を、遊星は自然ともっと喜ばせてやりたくなるのだった。
 結局、いつもこうして甘やかしてしまう。
「え?」
「デュエルディスク。子供の頃から重いのをつけると体によくないからな、もう少し我慢だ」
 それでいいか、と遊星が伺うと、龍亞はまた大きな瞳をキラキラと輝かせて何度も何度も頷く。
「いつ? いつからならいいの?」
「高校生くらいかな」
「遠いよ〜!」
 項垂れる龍亞を他所に、並べた工具を片付けながら遊星は微笑み、また頭を一度撫でた。
「……なに、あっという間だ。すぐデカくなる」
 ──年齢で言えばまだ遊星も十代だというのに、時折、どうしようもなく遊星が歳不相応に見えるときが龍亞にはある。
 そんな時の遊星は、ふらりとどこか遠くへ行ってしまうような、音沙汰もなく訪れる別れ際の背中によく似ていた。
 それは、龍亞にとっては言葉に言い表わせないほど、寂しくて苦しいものである。
 昔は病弱な妹にかかりきりで、今は海外を飛びまわっている両親に龍亞は目いっぱい甘えられた記憶があまりない。
 だから、龍亞にとって遊星は兄であり、友であり、仲間でありながら、甘えることを許してくれる存在でもあった。だからだろうか、少しでも遊星を遠くに感じると、悲しくなって、泣きたくなって、動けなくなってしまう。
 龍亞は遊星の腰に抱きついて、硬い脇腹に頭を押し付けた。
「龍可に見られるぞ」
 龍可のいるところでは、一応兄として頑張っている龍亞である。今は上の階でアキに宿題の質問をしているであろう龍可の存在を仄めかしながらも、遊星は小さい背中を撫でて、今日は甘えただなとぼんやり思うだけであった。
「……俺がでっかくなってもさぁ、遊星も一緒にいてね」
「ああ」
「一緒にライディングデュエルしてさ、今みたいに俺が悪いことしたら叱ってさ、頑張ったらちゃんと褒めてね」
 尻すぼみになっていく龍亞の言葉が切実さを物語っていた。
 小脇に挟まった龍亞の丸い頭を見下ろして、いつしか見慣れた右回りのつむじがそこにある。
「当たり前だろ」
 龍亞は、活発で楽天家のようでありながら、本当は誰よりも繊細で、感受性の豊かな子だった。
 遊星は一度も茶化さずに、龍亞の願いとも聞き取れる要望を素直に聞き入れる。
 肯定の言葉に、脇腹に押し付けたままの龍亞の顔から強ばりが少しずつ消えた。
 遊星は、守れない約束はしない人であったから。
 龍亞は龍可とアキがやってくるまでの間、遊星にひっつき続け、やがて二階から「また遊星に甘えてるの」という言葉とともに龍可が降りてきた際には、慌てて距離を取って椅子から転げ落ち、「男同士の約束してただけ」と声を張り上げて反論した。
 子供たちの可愛らしい言い合いが続く中。
 それを、遊星とアキが目を合わせて優しげに笑って聞いているのを、元気な小鳥たちのように騒ぐ双子達は知らない。

 大きくなっていく幼い仲間たちに、自分は何を残してやれるだろうかと、遊星は微笑みの下で穏やかに考えるのだった。