言葉よりも多く

「アキってアクセサリーとか、結構カッコイイの好きだよね」
「え?」
 何気ない友人の言葉に、アキは特徴的な猫目を丸くさせる。
 短期の休学を挟んでいた彼女も、近頃はサイコデュエリストの力もコントロールできるようになり、以前に比べて随分明るくなった今となっては友人たちと昼食を取るようにまでなっていた。
 ある時から人付き合いを避けてきた彼女にとっては、今も慣れないことは多い。それでも、こうして誰かに怯えられず、他愛のない話をしながらとる食事はなにより美味しかった。
 以前のような寂しさは、いまはもう感じない。
「休学する前は優等生スタイルだったからさ」
「アキちゃん、お嬢さまっぽいから意外だねって話してたの」
「お嬢……? あ、えっと。少し前までは自分を出すのも苦手だったから、あまりこういうのも付けれなくって」
 確かに、数カ月の休学を経てから、自分は良い意味で変わったとアキも実感していた。
 無個性であることが、全の中に紛れることこそが当時のアキにとっての最善で、それが周囲や両親のためでもあると信じていたのである。
 けれど、それも今となっては昔のことだ。
 彼女の歪みですらも受けとめてやると言ってくれた彼と出会ってからは、少しずつこうして自分の好きなものを身に着け、息も詰まりそうだったシャツのボタンも開けるようになった。
 休学前までは制服を着崩したことのなかった優等生のアキが、突然アクセサリーをつけてボタンを開けて登校を再開した際には、さすがの教員たちも面食らったようであったものの、相変わらずアキの成績は優秀であり、そこに口を挟める者は誰もいない。
 おまけにアキの両親ですらも「よく似合ってる」と今のアキを肯定し、見守ってくれていた。
 そうして教員たちが困惑する一方で、自分らしさを見つけた彼女の変貌っぷりに、一部の生徒たちはどこか安堵に近いものを抱いていた。
 感情すら持たないように見えた完全無欠そうな彼女が、実は自分たちとさほど変わりはないのではないかと言う、そんな安堵だ。
 ゆっくりと時間をかけて同級生たちとも馴染んでゆき、畏怖されてきたアキも今となっては高嶺の花というポジションに落ち着いた。
 色めき立つような男子生徒との交流はほとんどなかったものの、代わりに女子生徒たちとの交流の輪はどんどん広がりつつあったのである。
 なにも、アキが男子生徒に避けられているわけではない。決闘者として切磋琢磨する異性のクラスメイトだって当然いる。
 明るくなって、よく笑うようになった彼女はもちろん異性から見ても魅力的であり、十六夜ってケッコー可愛いよなァ、なんて話題が上がりつつあった頃、事件が起きた。
 白馬──否。目立ちすぎる一台の真っ赤なDホイールが、アカデミアまで彼女を迎えに来たことにより、その男子生徒たちの仄かな憧れは憧れのまま散っていったのである。
 ヘルメットを外し「ちょうど近くを通ったから迎えに来てみた、どうせウチに来るだろ?」なんて言うそのDホイーラーに周囲は少しざわめいたが、アキが「語弊を生むから少し静かにしてちょうだい」と言って再び男にヘルメットを被せた光景を、下校時間ということもあって多くのアカデミア生徒が目撃していた。
 なお、その男は「語弊?」となにも分かっていない様子であったが。
「ピアスとかもシンプルだし、ペンダントとかもさ、結構ゴツいじゃん。それ、もしかしてあのバイクの彼にもらったやつ?」
「はっ?」
 アクセサリーの話題など誰かとしたことのなかったアキは「そうかしら」と首を傾げていたものの、“バイクの彼”が挙がった瞬間、耳まで顔を赤くした。
「え? 図星だった?」
「ち、ちがう、ちがう。これは自分で選んだの」
 明らかに狼狽するアキ。
「彼氏が年上で、おまけにちょっとワルそうなのも羨ましい〜……あたしも新しい彼氏欲しいなぁ」
「遊星はいつだって潔白だわ」
「アキちゃん、そういう“悪い”じゃないと思うよ」
 昼食とも言えないような甘ったるい菓子パンをかじって、アワアワしているアキを楽しげに眺める友人たちに咳払いをしてから、「彼はただの友人よ」と告げ、栄養バランスの整った学食の日替わりランチを口にするアキは妙に早口である。
 同年代の少女たちの大半はこの手の話題が好きで、そして目敏い。オマケに相手が年上の男で、容姿もそれなりとくれば尚さらであった。
 また、本当にアキと遊星は、断じてそういう仲ではない。
 確かにアキが彼を異性として意識している部分はあったが、対する遊星の方にその気があるか否かで言えば、おおよそ後者であると、アキは断定している。
 遊星はどこまでも優しかった。しかしそれは、仲間に対して平等に与えられる優しさである。
 そんな彼の特別になりたいなどと、おこがましいことを考えてしまった瞬間はあれども、それを口に出したこともなければ、ワガママで引き止められたこともない。
 この十年と少しばかりの人生のほとんどを、周囲を拒んで生きてきた少女にとって、たった一人の誰かを独占するということはあまりに困難だった。
 話題の移ろいが激しいランチタイム。周りはすでに次の授業の小テストの話をしているというのに、アキはまた、頭では遊星のことばかりを考えていた。

 放課後。メッセージを確認して、小走りになって初等部の近くまで駆けつけると、工具箱を抱えた遊星が立っていた。
 気配を察したのか、アキが声をかける前に遊星は顔を上げると目を細める。
「おかえり。急に呼んで悪かったな」
「た、ただいま。それはいいんだけど、Dホイールはどうしたの?」
「いまはブルーノにメンテナンスしてもらってるんだ」
 聞くと、アカデミアの初等部で貸出用のデュエルディスクの修理を引き受けていたらしい遊星は、龍亞と龍可に一緒に帰ろうと誘われたらしい。
 そこで、どうせならアキも誘おうと言う話になり、アキのもとに遊星からメッセージが届いたという訳である。
「二人はまだなのね。初等部ならもう授業は終わってるはずだけど……」
「テストの結果が悪かったとかで、龍亞が居残りしてるんだそうだ。龍可はその付き添い。もう少しで降りてくるはずだが」
「あら、そうなの?」
 いつも、遊星は多くの仲間たちに囲まれている。
 アキは久しぶりに遊星と二人でゆっくりとした時間を共有出来ていることが嬉しくて、やや頬が緩みそうになった。
 早くあの可愛い双子たちから今日はどんなことがあったのか、なにをしたのかを聞きたい気持ちが半分。
 そして、少しでも長く遊星の隣を独占したい気持ちも、また半分である。
「学校は楽しかったか」
 遊星が、アキに尋ねる。
 普通なら遊星も、まだ学生服を着ている年齢だというのに、時おり父親のようなことを聞いてくるのが可笑しかった。
「今日はアクセサリーの話をしたの。結構カッコイイのが好きなのねって言われて、あまり自分の好みを客観視したことがなかったから少しびっくり」 
「アクセサリーか……そう言えば昔、シルバーのピアスをプレゼントで手作りしたことがあったな。アキはああ言うのも似合いそうだ」
 しみじみと話す遊星であったが、アキは勢い良く遊星の方を見た。
「プレゼントに?」
「ああ、クロウにな。誕生日か、そういうので。彫金とかの技術は持っていなかったから銀粘土で作っただけだったんだが」
 よく知った名前が出てきたことに、ホッとしたような肩透かしを食らったような。クロウの名前を前に、アキは「そう……」と力が抜けたような声を出す。今ごろ、配達仕事をしているクロウは大きなクシャミをしているに違いない。
 そんなアキの声を聞いて、なにを思ったのか。遊星は少し考えたあと、少し屈んでアキの顔を覗き込む。
「好きなモチーフとかあるか?」
 遊星の、深すぎて黒く見える青い双眼が眩しくて、アキは少し呼吸を忘れた。
「え……」
「久しぶりだから上手く作れるかは分からないが。でも今なら当時よりもっといい材料も手に入りそうだしな」
 顎に手を当てて、なにかを思案するようにブツブツ話す遊星に、内側からジワジワと体温が上がっていくのを実感する。アキは手元のカバンを握りしめ、顔を上げた。
「……作ってくれるの……?」
 少しだけ、期待で声が上擦る。
「ああ。上手く作れる保証はないけどな。だが、オレがあまりそういうものに興味がないからな……作る前に店でも見て回ったほうがいいかもしれないな」
 どうして遊星は、着飾りもせず、ありのままの言葉と気持ちで、こうも自分を喜ばすのだろうとアキは言葉に詰まった。
 いままでの十六年間、知らなかったのだ。
 誰かを欲しいと思ってしまう、そんな独占欲を己が持っていることなど。
 風が吹いて、隣の遊星のジャケットが靡く。アキはそれが合図であったかのように、口を開いた。
「と、隣町で、アクセサリーとか、ハンドメイドを取り扱うイベントがあるの」
 本来は、一人で行く予定のイベントであった。
 昔から人の手で一つ一つ丁寧に作られた雑貨類が好きで、寂しくてたまらないとき、幼いアキは冷やかし半分でフラリと立ち寄っては、目についたアクセサリーを買って、かつては手を繋いでくれていた両親の温もりを思い出すなどしていた。
 その習慣が、いまも残っている。
 寂しさはなくなった今でも、彼女にとっては特別な催しだった。
「だから。よかったら来週一緒に──」
 それを、遊星になら共有したいと思う。
 きっと彼なら、アキの特別を理解してくれると、そう思ったのだ。
 二人の目があって、アキが言葉を続けようとしたその直後。
「ゆうせぇ〜! アキ姉ちゃーん!」
 元気な少年の声により、その言葉は遮られてしまう。勢いを削がれ、少し前のめりになるアキ。
「二人ともごめんね。誘ったのに待たせちゃって……もう、ほら。龍亞も謝りなさいよ」
「わざとじゃなかったんだってぇ……ごめんなさい……ねね、帰りにさ、クレープ買って食べようよ。遊星食べたことないでしょ? アキ姉ちゃんも食べたいよね?」
「もお、龍亞!」
 小鳥のようにピーチクパーチクと元気いっぱいの双子たちを前に、遊星は「おかえり。そこまで待ってないから大丈夫だ」と屈みながら笑いかけ、その大きな手で二人の頭を優しく撫でる。
 傍から見ると本当の兄弟か親子のようで、その暖かな光景を前にすると、遊星との予定を取り付けることには失敗したものの、それも良いかとアキは肩を竦めた。
 勇気を出した分、ほんの僅かに、残念ではあるけれど。
「よーっし、じゃあクレープ食べてー、ガレージついたらデュエルしてー」
「その前に宿題だからね」
「あうう……龍可はきびしい……」
 歩き始める双子たちの後ろから、見守る形で歩き始める遊星とアキ。
 こうして遊星と歩いて帰れることが嬉しいのか、双子も普段より口数が多かった。
 そこが愛らしくて、アキが小さく笑っているところを遊星が盗み見していることには、誰も気がつかない。
「……さっきの話だが」
「え?」
 遊星が、お互いにだけ聞こえる声でアキに告げる。
「土曜日、オレがアキを昼過ぎに迎えに行くのでどうだ?」
 すぐそこにあるはずの、双子たちの笑い声が、風の音が、遠くの方で聞こえるような気がした。遊星の声だけが、その瞬間、アキの鼓膜を震わせているような錯覚に陥る。
「……聞こえてたの?」
 どうして、嬉しいのに少し泣きそうになるのだろう。
 遊星は「ああ」と静かに頷いて、
「ちゃんと聞こえてた」
 とアキに笑いかけて、前を向いた。
「まっすぐ歩かないと転ぶぞ」
 声をかけると、遊星の元に駆け寄る双子たちは楽しげで、「遊星はなんのクレープたべる?」と聞いているのを、アキはまた少し小走りで追いかけ、その背中の裾を静かに握って歩いた。