小さきもの

 サイクオリアとは——本来、地球で暮らす以上は誰もが発現する可能性を秘めている凡庸な力であり、多かれ少なかれ、ヴァンガードを通じてその力を一瞬だけ手にすることは珍しくはない。
 けれど実際にユニットの声を鮮明に聞き、惑星クレイの地を踏むほどの力を開花させる者はほとんどおらず、それらを満たしたとすればクレイと地球の調停者として選ばれたという証とも言えた。
 だが、サイクオリアを自らの意思で操ると言うことは、大きな代償を必要とした。
 特に身体への負担は顕著であり、サイクオリアを発現した者は初期症状として脳幹への激しい痛みを訴え、次第に倦怠感による目眩、軽度の意識障害を併発する。
 それらを経て、後に自在に操れるようになるケースもあるが、往々にしてサイクオリアに起因する人格障害が発症することが確認されており、適応した場合も非常に扱いが困難であった。
 これらは異世界の干渉に対する地球側の防衛手段であり、クレイへの適応力がない者ほど身体的苦痛は激しさを増す。それゆえに大半は力に溺れるか、自ら力と決別するかの二択を迫られた。
 これは——決して高尚な力などではない。
 テラの民のみが発症するアレルギー疾患のようなものだ。
 いつの日か、ユナイテッド・サンクチュアリの医療機関はそのようなことを口にした。
 だが、この少年は——伊吹コウジは、前述のような大きな代償を払うことなく、サイクオリアを手にした。
 今まで、類似の事例がなかったわけではない。
 しかし、異例であることには間違いなかった。
 最初からそうであったとでもいうように、ユニットの声を聞き、惑星クレイの空を見上げることを許された子供だった。
 そして、その可能性に目をつけられ、異星からの干渉に巻き込まれた。
 全ては最悪の偶然が積み重なった事故だった。
 サイクオリアに対する適応力が高いということは、異星に対する防壁が異常なまでに薄いことと同様であり、その純正さから異物を観測することに長けたクレイ側の観測機は、伊吹コウジという少年の特異性を発見できなかった。
 その無防備さはブラントにとって、どれほど都合のいい隠れ蓑だったのかは、想像に容易い。
 少年に寄生したブラントは、多くの目を欺きながら道具として利用するために、悪意によって宿主の運命をねじまげ、意図的に孤独へと追い込んでいった。
 本来であればクレイの管轄下であるこの事件に、真っ先に気づいたのがコンサートマスターである立凪タクトだったことが、全ての始まりだった。
 クレイへの報告を行う前に、混乱を避けるため事実確認を行う——彼が残した書記にはそう書かれており、これを最後に彼はコンサートマスターとしての役目を終えた。
 そして事態は一刻の猶予も残されておらず、驚くべき速さで深刻化した。
 私利私欲のために、無関係な一人の子供を利用するなど、誰が思っただろう。
 ——その残酷な行いの始まりから全てを感知していながら、調和を保つシステムとして組み込まれただけのソレは、傍観者として見守ることしか許されなかった。
 哀れな子供だった。
 だが、哀れなだけではなかったのである。
 多くを失いながら、どうして壊れないのだろう。
 彼はブラントによって自我さえ蝕まれながらも、尊厳だけは守り続けた。
 デリーターを握ったのは、誰の命令でもなく自分の意思だと啖呵を切り、困惑し、恐れながらも自らの足で歩もうとする姿が痛ましいほどだった。
 呑まれる方が楽なことを分かっていながら、彼は血を吐きながらも必死にもがき、拒んだ。
 その意志の強さこそ、伊吹コウジという一人の少年の真の姿なのかもしれない——システムとして、または装置として。ただの監視対象でしかなかった少年に興味を持ったのは、この時だった。
 この少年は、ヴァンガードを──この星間を繋ぐ唯一の絆を、心の底で愛し続けてくれたのだ。クレイという星の意思が、少年を愛したように。その愛から、サイクオリアという力を無償で与えたように。
 彼の心が少しでも揺らいでいれば、あの戦争は今のような結果にはなっていなかったのかもしれない。
 守りきることすらできず、巻き込んでしまった我らを愛し続けてくれたこの手を、こうして握ることが許されることを幸せに思う。
 これは罪滅ぼしではない。
 与えてもらったものを、形にして返したかった。
 人の子の体温というものは、こんなにも温かいものであることを、初めて知ったのだから。
 あなたがこの世界を、心から愛せるようになるまで傍にいようと誓う。贖罪なんて、そんなことをせずとも——それでも、あなたの気が済むまでは付き合おうと決めたのだ。
 救世主を意味する、その光は自身の先導者として自らこの少年を選んだ。
 この少年しかいないと、そう思ったのだ。