きみとぼく

 ファイトスペースとカフェが併設している飲食店にて、制服を着たままの男子高校生が二人。それぞれ注文したコーヒーとジンジャーエールを飲みながら、その日もアツいヴァンガード談論を楽しんでいた。
「いやぁ、それにしても。本当に今回は助かったよ……海外の中継って大体こっちだと深夜だし寝落ちしちゃって。櫂くんが録画してくれててよかった」
 ジンジャーエールを飲みながら、櫂が持ってきてくれたディスクを眺めて笑う光定。
 先日、マイナーでありながらもアマチュア時代から密かに応援していた海外選手のデビュー戦があったというのに、それを見事に見逃してしまった光定は途方に暮れていた。
 結果はネットで確認はできたとしても、ファイターとしてはやはり盤面がどう動いたのかを見たいと思うのが性である。
 配信サイトなども確認したものの、海外の二軍ともなると取り上げられることも少なく、せっかく応援してる選手が勝ち星を上げたファイトを見られなかったことを非常に悔やんでいた。
 そんなとき、こうして時間が合えばたまに二人でファイトをしている櫂に話していたところ「その日の試合なら録画していたはずだが」と言って、今日、わざわざダビングしたものを持ってきてくれたのである。
 やはり持つべきものはヴァンガードファイター。光定は、自分ほど熱心に海外のファイトまでチェックしている同年代のファイターは見たことがなかった。
 櫂とはやはり、馬が合う。
「配信サイトに登録していても、二軍のリーグ戦はこっちで配信もあるかどうかわからないからな」
「そう! そうなんだよ……! だからどうしようって思ってて……ありがとう櫂くん。そうだ、今日のコーヒーは奢らせてよ」
 友からの提案に、櫂は首を横に振る。そして取り出したデッキケースをおもむろにテーブルの上へと置いた。
「そんなものより、俺はファイトで返してくれたらそれでいい」
 光定はキョトンとしたあと、櫂の誘いに笑う。
 櫂からは自分と同じく、ヴァンガードが好きでたまらないという気持ちが、ひしひしと伝わってくるのだ。
 遊びとしてのヴァンガードを楽しむ同級生は多くいるものの、共に競技として切磋琢磨してくれる櫂を光定は尊敬し、そして友として誇らしく思う。
「櫂くん。そういえば昨日さ、地元のショップに寄ったら春に出たブースターパックが少し売れ残ってて、ある分全部買ってきたんだ」
 自身もデッキケースを取り出し、テーブルの上に置く。
 視線を合わせ、不敵に笑い合う二人。
「ほう。パックファイトか?」
「正解。久しぶりにやらない? まずは普通に腕鳴らしってことで」
「いいだろう」
 高校も違えば、年齢も違う。おまけに光定も来年からは海外留学が決まっており、会える日は今よりも限られてくるだろう。
 互いのデッキをシャッフルしながら、光定は少し間を置いて口を開いた。
「櫂くんはさ、海外チームとか……興味ないのかい? 卒業後とか、どうするのかなって……あ、いや。まだ高一だし聞かれても困るだろうけど!」
 シンガポールに来ないか、なんて少しは思いつつも、気軽に言える距離でもない。
 それに、櫂とは離れていても、こうしてヴァンガードで繋がっていられるという確信もあった。今でも自宅にいながらリモートファイトという形で互いの手元を映してのファイトも楽しんでおり、それはきっと来年以降も続くだろうと光定は思っている。
「そうだな。興味もあるし漠然となら色々と考えてはいるが……今は正直なところ、プロの道を目指すかどうかも決めていない」
「……へっ?」
「べつに、プロにならなくたっていいんだ、俺は。強いやつとは戦いたいと思うが、今はアマチュアリーグもあるからな」
 櫂は──ヴァンガードが好きだ。
 好きだからこそ、プロの世界が華々しいだけではないことを理解している。
 スポンサーとの関係もあれば、それこそ八百長だって存在し、協会理事たちからの重圧、プレッシャー、数え始めたらキリがない。
 櫂はただ、自由にヴァンガードを楽しめたらそれでいい。
 ひたすら自由に、強い者と戦えたら。地位も名声も、富も名誉も必要ではなかった。
「飯作るのは好きだしな。資格取って、小料理屋だのカフェだのやってもいいんだ別に」
 デッキをシャッフルし終え、光定の元へ返すと、ふと櫂のデッキを持ったままの光定の手が止まっていることに気づき、櫂はどうしたのかと顔を上げる。
「おい、どうし──」
「だっ……だめだ!」
「は?」
 声をかけると、勢い良く顔を上げて櫂と目を合わす光定。
「駄目だ! 櫂くん、君はプロになるべきだ!」
 前のめりになりになる光定に、櫂はややたじろぐ。彼が、こんな風に声を上げることは珍しいのであった。
「君のファイトは人を魅了する。圧倒的な強さはあれど、ただ強いだけじゃない。その苛烈さは時に恐ろしくも感じるのに、純真で、誇り高く目を離せないんだ」
 櫂がなにかを言おうとする隙も与えず、普段から目立つことは嫌だと言っておきながら、周囲がこちらをチラチラと様子を伺う程度の声量を張り上げて、光定は櫂のファイトに対する姿勢を褒め称えた。
 光定は──これからのヴァンガードを担うと決めた“皇帝”は、櫂のような男にこそ、共に未来を背負ってほしいと心から願っている。
 友として、ファイターとして、好敵手として。彼を埋もれさせることなど、光定ケンジは絶対に許せなかったのだ。
「今はまだ……具体的なことを考えられないとしても。僕は君に小料理屋なんてさせない。やるとするなら、ヴァンガードを極めてからにしてくれ」
 光定は普段は穏やかで、どこか天然なところのある好青年である。年下の櫂からしても話しやすく、気取ることもなければ、見栄を張ることもなかった。
 目立つのを嫌い、恥ずかしがり屋な割に服装の好みは派手で、心優しく控え目な性分であるのにファイトはいつも容赦がない。
 彼は矛盾していた。けれど、そこが好ましかった。
 光定ケンジは──皇帝は、櫂から一度も目を逸さず、普段の優しげな色をした瞳の奥で情熱の炎を燃やしながら、口を開く。
「君が高校卒業後も同じことを言っていたら、僕が君を無理やり表舞台に引きずり出す」
 櫂は何度か瞬きをして、そして、光定の言葉を噛み砕いてから少し笑った。
「こえーよ、先輩」
「……えっ? 怖かった!?」
「圧倒される程度には」
 櫂は光定の手元に残ったままであった自身のデッキを預かり、上から五枚を捲る。
 手札を確認し、その後座席の背もたれに体を預け、熱くなりすぎてしまっただろうかとオロオロしている光定に目を細めた。
「……ま、プロもいいかもな」
「い、いや、君の未来だし無理することは……」
「プロになれば、卒業してもアンタとファイトできるんだろ?」
 今も漠然としている将来のこと。
 強いファイターと戦えるのならそれで良いとは言えど、行き着いたその場所に、彼以上の好敵手と言える者がそこにいるかどうかは分からなかった。
 ただ、自分のファイトに彼が言うほどの価値があるかは考えたことはない。それでも、嘘が下手な光定が言うのであれば、本当の事なのだろうと思える。
 価値があろうとなかろうと、少なくともプロファイターを志ざせば、そこには櫂が認めた好敵手──光定ケンジがいることは確実であった。
「いいな、それ」
 櫂が静かに笑う。
 光定は、その微笑みを見て少し時が止まったように見惚れたあと、普段のように優しげな笑みを浮かべた。
 きっと、櫂なら自分が連れ出さなくとも己の手で未来を切り拓くだろう。
 その道の先に、自分の姿があればいいなと、光定は思うのだった。