forever we can make it

 きっかけは何だったか、この関係は特に記憶に残るようなロマンチックな始まりでもなかった。
 確か、誰もいないプレハブ校舎の教室に差し込む、夕日に浮かぶ自分の影をぼんやりと見ていた時のこと。速水はこの頃、酷い浮遊感に襲われていた。
 本当に自分はここにいるのか、なぜ自分がいるのか。全てが夢のように感じられ、帰る場所もないのに帰らなければならないと責められている気持ちになっていた。
──自分がいるべきところは、もっと冷たく、暗いところのはずなのだ。
 春先の夕日は一瞬である。一瞬を越えたらあっという間に冷たく、暗い夜が顔を見せた。まるで自分を見ているようで、速水は真っ赤な夕日を見ているとどうしようもなく心細くなるのだった。
 早く帰ろう。
 猫が帰りを待っている。
 訓練も終え、整備も一通り片づいた。普段は夜まで行うが、今日に限っては速水の行く場所を決める羅針盤のような存在の芝村が東原との約束に付き添うとのことで帰ってしまったのだ。
 そのまま整備を続けようとも思ったが、忘れ物に気づいて教室に取りに行き、そこからはもう夕焼けに脚を絡め取られたように速水は動けずにいた。
「悲しいのか?」
 不意に声がかかり、速水が振り向こうとすると、それよりも先に後ろから抱きしめられる。
 わざわざ気配を消して近づくなど悪趣味だと、思いながらも抵抗はしなかった。この男が夕暮れまで校内に残っていることは珍しい。速水は肩越しに微笑みかけた。
「どうして?」
 目を細め、男──瀬戸口を青い瞳に映す。
「そう見えたんだ」
 返されるのは人好きのする笑顔。睫毛が触れ合いそうな顔の距離だった。普段なら押し退けるが、そんな気も起きず好きなようにさせる。
 それどころか、自分を抱き寄せるこの体温が救いのような気さえしたのだった。
 瀬戸口は押し退けてこない速水を一瞥すると、様子を見ながら腕に少し力を込めて頭を撫でた。
 柔らかく、癖のある髪に指を絡めながら耳に唇を寄せる。
「慰めてやろうかバンビちゃん」
 瀬戸口としては、普段通りの軽口であった。
 今晩は特に予定もなく、久しく真面目にオペレーターの仕事を取り組んだ後、善行と茶を飲んでいて気づけばこんな時間となっていた。世間話に一区切りがつき、善行と別れてそのまま帰ろうかとも思ったがプレハブ校舎の前でふと足が止まり、呼ばれたように見上げれば窓の傍に佇む人影があった。
 それが速水のものだと目敏く気付くと、瀬戸口は近くに芝村がいないなど珍しいと首を傾げる。だが、放課後に芝村と約束をしているのだと嬉しそうに聞かせてくれた東原を思い出して合点が行く。
 一人で夕日の赤を浴びながら俯く少年の顔は幻想的で、どこまでも深く沈んでいくような気がした。
 平時からぽややんとした笑顔を絶やさない姿が目立つからか、あんな顔もするのかと、一瞬時が止まったように見惚れる。
 瀬戸口は自分が速水に抱く感情が恋慕に近いものである自覚はあった。正しくは執着と呼んだ方が相応しかったが。
 けれどどれだけアピールしても門前払い、速水が想うのはただ一人。よりにもよってあの芝村の姫様と来たもんだ。
 なにも速水本人から「芝村が好き」だと聞いたことはない。しかし瀬戸口含む他の小隊の者たちからすれば速水が芝村を想っていることなど見ていればすぐに分かる事実だ。晴れた日の空の色は青いと、皆が口を揃えて言うように誰しもが知っていたことだった。
 あの女の何がいいのか。瀬戸口は速水に執着する自分のことは棚に上げて、そこまでして彼が芝村に固執する理由が分からないと嘆息した。
 確かにあの少女は常に顰めっ面なだけで、見目は整ってはいる。はっきりとした目鼻立ちは凛々しく、色気はないが綺麗な顔をしていた。芝村的なだけで優れた判断力と統率力には目を引くものがあり、頭も利口で肝も座っている。
 言葉が冷たいだけで、相手を思う心は誰よりも強いというのは東原の談だ。それを証明するかのように東原は芝村に良く懐いており、瀬戸口は《芝村》という組織は嫌いであったが、芝村というクラスメートに関しては次第に思うことがなくなっていってることに気づく。
 芝村舞を、人として認め始めてはいた。
 しかし、恋敵なのには変わりない。芝村がどうであれ、それらが速水を惹きつかせる理由であるとするなら全てが気に入らなかった。
 芝村と速水は真逆なように見えて、根は同じなように見える場面が時折ある。それも気に喰わない。納得がいかない。理解できない。
 男がダメなのなら、いっそ女の器に乗り換えて速水に愛されることも悪くはなかったが、瀬戸口はあくまでも男として速水厚志に愛されたいと頑なであり、それに不利な条件下で芝村から速水を奪取出来たほうが気分がいいと考えた。
 それが彼女、シオネを愛した“男”としての矜恃でもあったからである。
 戦況は不利な状態が永遠と続くも、幸い芝村は速水の片思いにも、自分が心を許していることにも気づいていない様子ではあった。だがそんな風に速水の純情を弄ぶ──弄んでいるというより鈍いだけである──芝村の態度さえ気に食わない。
 俺なら絶対に泣かせないのに。という自信のもと、闘志を燃やしながらどうにかしてあの芝村を負かして速水を奪ってやりたい。しかし難儀なことに速水の芝村への感情は単純な恋愛というより一種の信仰に近かった。
 人の宗教観を変えるのは難しい。それこそ戦争が起きる。
 だからその日、夕日の差し込む教室で速水を抱きしめたのも全く下心がないという訳ではなかったが相手になどされないということは、悲しきかな瀬戸口が一番理解していた。普段のように肘鉄を食らわないことだけでさえ嬉しく思う。細やかな幸せを啜る、色男形無しである。
 服の上から速水の細い腰を撫でて、これが俺のものになればいいのになあと項垂れた。
 もしこの少年の一番になれなくても傍にいれたらそれで幸せだと言えるほどの諦めはまだついていない。
 速水に積もる想いの重さを実感しながら二人きりの時間の間を保たせようと、特に取り留めもない会話を交わすため口を開こうとしたときだった。
 速水から思いもよらない一言が聞こえたのは。
「……うち、来ない?」
 腹に回された方の瀬戸口の手に、速水の小さな手が重ねられたのが分かった。
 速水は──この夕日から攫ってくれるのであれば誰でも良かった。
 言い方を変えると、この強引な男くらいにしか自分を攫えないと、思ったのであった。
 キョトンとした瀬戸口が自分の顔を覗き込んで、少し驚いた表情を見せる。きっと酷い顔をしているのだろうという自覚はあったが、速水は取り繕いもせず目を逸らすことはなかった。
 瀬戸口の前では自分を飾らなくても良かった。
 互いの瞳に相手を焼き付けた後、端正な顔が近づいてきたので、漸く瞼を閉じてキスを受け入れながら、感じる他人の体温に身を任せた。浮遊感が消えていくことに安堵を覚え、誰かに見られるかもしれないという危機感を抱くこともなく口づけに夢中になった。
 ロマンチックでもなんでもなかった。
 互いの欲しいものが、セックスで埋められるというだけの理由から始まった。
 優等生でいなくても受け入れてくれた、約束を守ってくれた、怪物の一面を見せても「好きだ」なんて寝ぼけたことを言ってくるこの得体の知れない男も、きっと優男の影の下で怪物を飼っているのを速水は勘付いていたが何も言わなかった。
 彼が聞かないでいてくれたから。

 あれから二人の関係は続いている。

 そうして、速水は何度か身体を重ねて瀬戸口について分かったことがある。
 彼はどうやらセックスをただ性欲を発散するだけの行為として捉えていないらしく、コミュニケーションの一環として嗜んでいる風に見えた。
 だからと言って下手であったり、つまらない訳ではない。
 不本意ではあるが多くの男を相手にして来た速水の経験上でも、彼とのセックスは人と触れあっているという実感を得れた。おかしな言い方だが、今まで速水が相手にしてきた者は体温のある無機物でしかなかったのだ。
 気持ちいいだけでなく、何か心が満たされるものがある。
 普段から女性を相手にしている男はやはり上手なのだな。
 恭しく労るようなセックスをする瀬戸口に抱かれながら、最初はそう思うだけであった。無抵抗なマウス相手に悪趣味極まりない陵辱ばかりを働くあの陰湿な研究員たちと比べて小さな自嘲がこぼれた。
 媚薬というには生温い、発情を促す強烈な薬品漬けにされ、立て続けに何度も何度も絶頂させられることなど数えるのも面倒なほど繰り返された。言うなれば、それよりも非道な行為だって知っている。
 この身一つで、受けてきたのだ。
 しかしあれは快楽なんてものでなく、苦痛と恐怖でしかなかった。
 何度白目を向いて意識を飛ばそうと、内臓をまさぐるような刺激によって強引に覚醒させられ、再び声も出なくなる程まで叫んで、よがり狂って嗤われ悦ばれるそれは生き地獄以外の何物でもない。
 だから、こうしたセックスと呼べるものは実質瀬戸口が初めてと言えるのかもしれないと速水は思っていた。今さら清純な処女を主張するわけでもないが、それでも「そうだったらいい」と願わずにはいられなかった。
 瀬戸口が施す優しい愛撫と、あの者たちが与えてきた絶望と苦痛が同じものだとは何故か思いたくなかったのである。
「速水」
 耳元で瀬戸口の掠れた呼び声がする。
 深夜、速水の部屋にて。
 それは雄が快楽を得ているときの声だと、速水は本能で悟った。自身のはしたない後孔で感じてくれているのだろうかと考えると無意識に下腹の方がきゅうっと疼き──そこは女性ならば子宮のある位置である──中で熱を持っている挿入途中のペニスを腸壁は嬉しそうに締め付けた。
 そこは速水の小さく、細い身体を気遣って奥まで中々挿れられていない男性器を誘惑するように蠕動し、挿入を促していた。
「なぁ、に……? んッぁ、あ……ぅ」
「ごめ……速水、奥まで挿れさせて……?」
 正常位だった体位を、軽々と抱き起こすようにして対面座位へと変えられる。抱きしめられながらねだってくる彼の顔を見上げると、情欲に掻き立てられたすみれ色の瞳は燃えるような熱さなのに対し、速水の小さな身体に無理をさせるという後ろめたさからか申し訳無さそうに眉を八の字にさせる瀬戸口がいた。
 そんな可愛い顔をするな、と速水は再びある筈のない子宮を切なく疼かせる。
 あんな目で見つめられ、ねだられると一方的な肛虐ばかり受けてきた速水としては何でもしてやりたくなり、そして何でも許してしまいそうになる。
 速水は可愛いものが好きだ。それは動物も同様で、目の前の瀬戸口は例えるなら「待て」をさせられている大型犬にも見える。許しを待つその姿は、たまらなく可愛いもののように見えた。
 速水の単純な身体は既に愛される快楽によって恭順し、瀬戸口が望めばどんな無理だって聞くというのに、彼は常に相手を気遣うことを忘れなかった。紳士的な態度には慣れておらず、それこそ速水はいつも生娘のように頬を染めてしまう。
 一方で、瀬戸口の気遣いとは無縁な、貪欲で雄を好む雌の部分は早く欲しいと焦れったそうにしていた。
 中途半端に挿入された瀬戸口のペニスが、彼に跨がる己の自重で僅かに腸壁のヒダを擦りながら奥を目指そうとしているのが分かる。その度に勃起や射精などといった、性器としての機能を殆ど失った速水の皮の被った幼い性器の先端からはトロトロと透明な粘液が押し出されるように溢れ出た。
 それはやがて会陰を伝うと、モノ欲しさから開閉を繰り返す菊皺を濡らし、互いが身を僅かによじる度に下品な水音をたてて静かな部屋を淫靡な空気で満すのであった。
 速水は乾いた唇を舐めて濡らし、瀬戸口に抱きつく。こめかみを伝う彼の汗を舐め上げてから耳にキスをして、息を吹きかけるように囁いた。
「……いいよ、おいで。……隆之」
 普段は「瀬戸口くん」と呼ぶ優等生が、こういった時だけ「隆之」と呼んでくるのが何とも言えない色気を放っていた。
 背筋にゾクゾクと走る支配欲。速水はそれを掻き立てるのが上手かった。
 また、抱きつかれたことにより細い身体にしては重く柔らかな胸が瀬戸口に押し当てられる。
 所々骨っぽく薄く細い少年の身体でありながら、胸や臀部などという部位には惜しみなくたっぷりと脂の乗った身体。
 全体的に丸みを帯び、子を成すには持って来いの安産型な腰や、しなやかな四肢は女性のそれに近しいにも関わらず、本来の少年としての面影も混じり合い女体というには不完全さが目立つ。
 けれどそれが良くなかった。男女の色っぽいところばかりを継ぎ接ぎしたようなちぐはぐな魅力は、瀬戸口も例に漏れず惹き付けられた。
「あ、あぁ……あぁああっひ、ぐッ!」
 張ったカリ首が媚肉をかき分けるようにして、敏感な粘膜に絶えず刺激を与えながら奥へと挿入ってくる。ミチミチと後孔を広げられ、長身の割に細身な瀬戸口の体躯にはやや不釣り合いな大きさのペニスが薄い腹の中を余すことなく蹂躙し、漸く収まると速水は開きっぱなしとなった口から舌を覗かせて、たまらず瀬戸口の肩に顔を埋めると足腰を痙攣させた。
 対する瀬戸口の方も、子種を搾り取ろうとする膣壁にも似た動きをし続ける速水の腸壁に敏感な性器を揉むように締め付けられ呼吸を乱す。
 一息つき、速水の細い身体を抱きしめた。汗ばんだ髪に鼻を埋めると、甘い香りがする。速水の匂いだった。花や香などの洒落たものではない、汗の匂い。しかしそれはどんな芳香より甘やかに感じた。
「っ……速水、イったのか?」
「ん、ぅ……っひ……だって、だって……あ、あ……ッ」
「はぁ、可愛い……」
 相変わらず速水が射精することはない。幼い身体はたった一突きでドライオーガズムで絶頂を極めると、その後何度も何度も身体を震わせて怖がるように抱きついてくる。瀬戸口は押しつぶされた速水の胸が擦り付けられ、勃起して肥大した乳首が自分の胸板に引っかかるのが分かるとまた少し少年の中に狼藉する自身が興奮によって大きくなった気がした。
 たまらず、速水を片手で支えながらも自身の胸板と少年の柔らかな胸の間に手を差し込んだ。
「やッ、ぁ」
 汗ばんだ肌は吸い付くように瑞々しい。
 ほぐすようにして指を厚い脂肪に沈み込ませ、堅く尖った乳首をぽってりとした乳輪ごと摘まみ、そのままクリクリと転がしてみる。軽い絶頂を迎えたばかりの腸壁は未だ痙攣し続け、次は気まぐれな胸への愛撫に速水は瀬戸口の腰に脚を絡ませて身悶えた。
 この一見、純真無垢そうにしか見えない幼い少年が性交の時のみ見せるふやけた顔、舌足らずな声、甘えるような態度。
 どれを取っても瀬戸口からすると極上でしかなかった。
 人には秘密がある方が魅力的だ。瀬戸口にも人には話さない“事情”を多く抱えていたし、それ故に必要以上に速水の素性を暴こうともしなかった。こんな幼い頃から同性とのセックスに慣れているのは普通ではないし、体つきも出鱈目で、あらゆる面が“異常”でしかなかったがそれは瀬戸口にとって取るに足らない問題である。
 そう言い切れるくらい、瀬戸口は速水に溺れていた。
 速水は内面だけでなく声で、身体で、態度で、反応で、仕草で余すことなく瀬戸口の全てを掌握し、夢中にさせていた。
 これは一種の毒にも似ている。それも依存性の強い毒。
 速水はそんな瀬戸口の心境を知ってか知らずか、コンプレックスでもあり性感帯でもある胸を大きな手のひらで揉みほぐされながら、弱々しく肩に埋めていた顔を離して瀬戸口の唇を愛らしく舐めてみせる。
 最近、瀬戸口に教え込まれた大人のキスという名のディープキス。速水はそれを好んでいた。
 嘔吐をしても泣いても謝っても止めさせて貰えなかった口淫。ラボで、性器のようにしか扱われなかった口腔はキスなどといった行為の為に使われた事などなかった。
 だからこの深い粘膜の触れ合いだけは、一から瀬戸口に染められた唯一の行為である。
 なので速水はよくキスをしたがった。瀬戸口の唾液を呑むのも、舌を吸われるのも歯茎をなぞられるのも全てが心地良いのだった。
 可愛いねだり方に瀬戸口はまた心が揺さぶられるのを自覚しながら、既に薄く開かれた唇に舌を押し込むようにしてキスをしてやる。
 速水の小さな口内は瀬戸口の舌だけでも満たされてしまうが、それでも速水は健気に教えられたとおり、瀬戸口の舌に自らの舌を絡ませ、時折吸ったりなどの愛撫を繰り返す。
 くちゅくちゅといやらしくもあどけないキスをしながら、そろそろ我慢の出来なくなってきたらしい速水の腰は無意識に動き、自ら直腸への刺激を得ようと自慰のような仕草を繰り返している。柔らかな臀部が瀬戸口を誘うように擦り付けられた。
 うっとりとした目を涙で濡らし、双眸に瀬戸口だけを映して舌を吸いながら腰を揺らす幼い姿に喉が乾いていく。
 このままキスをしながら突き上げたら、速水はどんなに可愛い反応をするのだろう。
 瀬戸口は少しだけ悪い顔をした。
 胸への愛撫を一旦やめると、不審がられないように優しく速水の腰を抱き、逃げれないように固定する。
 少しずつ瀬戸口の方からもキスに応え、自分のペースに持ち込み速水の口内を犯し始めた直後、見計らったように下から思い切り突き上げた。
 見開かれる青の瞳。キスで口を塞がれたままの速水は鼻息ばかりを荒げ、ガツガツと瀬戸口に突かれるも固定された身体は身動きがとれない。ぢゅる、と音を立てて多量分泌されはじめた速水の唾液を吸い上げると顔を真っ赤にした少年の目が蕩けて恍惚の表情を浮かべていた。
 子種を欲しがる雌の顔。
 瀬戸口は速水の尻たぶを掴むと左右に開き、広がりきった肉厚の後孔を外気に晒す。
 自己治癒力に長けた戦争用の身体は非常に丈夫だった。
 ラボであれだけ抱き潰され、時には同じ研究動物に当たる“人でないもの”の規格外な性器を受け入れさせられたことだってある速水の後孔は本当なら既に壊れていてもおかしくなかったが、今でもちゃんと瀬戸口の逸物を頬張るように咥え込んでいるのだから、その丈夫さには感心さえ覚える。
 しかし拡張され、異物を受け入れる性器として調教され尽くした名残だけは色濃く残っていた。
 肉付きの良い臀部と処女の如く締め付ける頑なな括約筋によって卑猥な溝が生まれ、まるで女性器の陰唇のように縦に割れてしまった薄い色の後孔は視線だけで疼き、果ては中を満たして欲しくなる欲求を抑えきれないように刷り込まれている。
 そしてそんな性器となった排泄器官を、尻たぶを左右に広げる指で悪戯になぞられてはたまらない。瀬戸口のペニスで皺を伸ばされた花弁は敏感で、些細な愛撫にさえも小さな身体は面白いくらいに反応を示した。
 カリ、カリと短く切られた爪で広がった縁を引っ掻かれると断続的によく締まる。身体中の神経がそこに集まっているのではないかと思うくらいに小さな刺激にも応えようとした。
 ヒクヒクと呼吸をするように蠢く菊門を爪で擦られながら更に挿入を深めていくと、散々開発され既に発情しきった結腸の付近まで亀頭が来ているのが分かる。そこは子宮口のように瀬戸口のペニスに媚びを売り、先端へ吸い付くように媚肉が先を急かした。けれどコツコツとノックをされそうな位置で、瀬戸口はあえて馴染ませるようにだけ浅く動かすのみ。
 速水が手前の前立腺よりも奥を貪られる方が好きなのをよく知っている。
 小さな舌を食されるように吸われて声も出ない中、速水はグズグズと懸命に呼吸をするため鼻を啜るが中々好きなところを虐めてくれない緩やかなピストンに呼吸は浅くなり、脳への酸素が回らない。朦朧とする意識のなか、速水は目の前の男に支配される感覚に自然と淫猥な微笑みを浮かべて、唾液を滴らせながら自ら深いキスを中断させた。
「どうした、あっちゃん?」
「お、おく……っンぁ、ひあぁああ、あっ、おく……もっと、奥に……! やっ、ぅう」
「奥? 奥をどうして欲しいの?」
「つい、て……っ奥の、とこ、ぐりぐりって、あぅっ……突いてぇ……! あぁあぁああぁあっ」
 言い終える前に少年の望み通り、瀬戸口は口元を歪めるように弧を描くとずっと欲しがっていたそこを目掛けて突き上げてやる。開きっぱなしの口から大きな嬌声が漏れた。
 この小さな子供は鬼の本能をくすぐってきて仕方がない。ドクドクと海綿体に熱い血液が流れ元の青年としての肉体の枠外にまで達した大きさの瀬戸口のペニスに、短い感覚で何度も結腸を突かれ速水は目の焦点が少しずつ危うくなっていく。
 瀬戸口は速水の薄い腹を一瞥すると、ちょうど自身が収まっているであろうところを腹の上から押してやる。圧迫された腸はより深く瀬戸口のペニスの凹凸を感じ、味わう羽目となり遂に快楽に堕ちきった速水は赤ん坊のように意味のない言葉を口走らせながら泣き始める。
 しかし、そこで止めない。最初の方こそは気持ち良すぎて泣いてしまう速水を見て、焦って行為を止める瀬戸口であったがこの場合の速水の涙は「やめて」ではないことを今はよく知っていた。
 ラボにいた頃、少年は強引な性行為の途中で痛みなどに伴う生理的な涙はよく流したが、瀬戸口とのセックスによって流す涙はまた別のものであった。
 どこが欲しいかなどを聞かれ、甘やかされながら施される愛撫とやり場のない快楽。口元まで出掛かっている言葉、けれど速水はその言葉の意味を上手く理解していないが故に口に出すことが出来ない。
 突かれる度に何度も何度も絶頂を迎えながら、勃起さえせず壊れた蛇口のように透明な体液を零し続けるそこを瀬戸口は徐に摘まむ。すると弾かれたように、蕩けた顔だった速水が少し困ったような目を瀬戸口に向けた。
 毛も生えておらず、ふっくらと白いそこは少女の恥丘のようでもある。そんな場所に薄い桃色の先端を覗かせた、皮を被った幼いペニスが律動と共にぴょこぴょこと揺れていているものだから、なんだか毎度セックスの度に構ってやりたくなるのだった。
「やだぁ……っあ、そこ、だめ……っひ、あっ、あああっぁ」
「またおしっこ出ちゃうか?」
「ばっ……! それ以上、余計なこと言うと……っやぅ、う、もぉ……ッダメだってばぁ……っ!」
 前にそこを弄りすぎて、速水が小水を漏らしたことがあった。以前は散々似たようなことをされて来たのにも関わらず、瀬戸口に間近で排尿を見られ思わず羞恥から耳まで真っ赤にさせてしまった速水に、稀に見る初々しさを感じた瀬戸口は不謹慎ながらも興奮して一言「すまん」とだけ謝ると、尿で汚れた布団に速水を組み敷いてそのままセックスを続行させた。
 以来、速水は性器を弄られると少し嫌がるようになったが、瀬戸口から言わせてみれば彼くらいの身体能力があれば、本当に嫌ならあそこで瀬戸口を突き飛ばせたはずであるし、それをしなかったのはつまり速水も放尿してしまったことに心の底では興奮していたということだろうと、本人が聞くと殺されそうなことを考えていた。
 白い皮を優しく剥いてやり、控えめに色付いた小さな亀頭部分を人差し指の腹で撫でてやると嫌々と首を横に振る。しかし硬くなる様子は一向になく、本当に何も感じないのだな、と冷静に思いながら代わりに少年が好きな奥をゴリッと音がするくらいに突き上げると「あぅ」と可愛い鳴き声がして、次に、トロリと愛液を連想させる透明で緩い体液が尿道から押し出されて垂れ流されていく。
 白みの見えない透明の愛液を指で掬い、舐めてみると殆ど無味だが少しだけしょっぱい気がした。
「ふ、ぅ……あっぁ……なに、真面目な顔して、ン……あ、舐めてるの……っ」
「いや、一応先走りは先走りなんだなぁって」
「なにそれ……」
「じゃ、次は速水の番だな」
 既に何回と数えるのも面倒な程達している速水は四肢を投げ出して瀬戸口に凭れかかっている。
 速水は忍耐力はあれど体力は年相応、寧ろそれより少し貧弱なくらいであった。
 暫くすれば速水は指先も動かなくなるほど疲労するだろう。セックスの最中に小休憩の役割を果たす会話を挟み、間を保たせてはいても最終的には速水の限界に合わせるつもりの瀬戸口は甘ったるい香りに酔いながら、柔らかな締め付けを断続的に繰り返す腸壁に限界の近いペニスを押し当てて、耳を塞ぎたくなるような体液とローションが混ざり合う音を夜の静けさを塗り替えるように響かせた。
 どうせなら、その薄い腹の中に子種が思い切り出されている感覚を味わいながら気を失って欲しい。
「あっいく、いっ……いく、いく……ッふ、ああぁあああぁッ! ひ……まって、まって……! おれ、もうイってるの……っあ、ひ、……~ッ!」
「奥にいっぱい、出してやるからな? よし、よし……可愛いな、ずっとイってるのが分かるぞ……っはぁ、そろそろ、かな」
「おれ、もぉ……らめ……っあったかゆき、たかゆ、き……はやく……っ」
 速水の“俺”が出てくると、瀬戸口は満足げに頭を撫でて抱きしめた。
 このまま孕めばいいのに。
 生殖機能を失った男体から吐き出される精液は本来の第一世代のものとほぼ変わりないが、精子が卵子までたどり着き、目出度く受精しても着床することは絶対にない。
 紛い物は、どう足掻いてもオリジナルにはなれなかった。それが人類の選択であり、罪である。
 子を為すことの出来ない人類。しかし、ただ人らしくある為だけに植え付けられた本能で性を求め、愛情表現や欲を満たすことを目的に性交をする。
 “満たす”為だけのこの行為に生産性はなく、同性であるなら尚のことだった。
 子はカプセルの中から産まれるものであり、母胎から産まれるなど遠い過去となった現代において相手に受胎を求めるなど男女間でも異常でしかない。
 だが、瀬戸口は速水を抱く度に沸々と湧き上がる欲望を抑えきれなかった。このまま思い切り種付けをして、女と男の混ざったような白い腹の中で吐き出したモノが泳ぎ続けていずれ何かの弾みで鬼の子を孕めばいいと考えた。
 自分との間に産まれた子を抱き、子守歌を聴かせる少年に思いを馳せて目の前で絶え間ない絶頂の波に呑まれ涙や唾液で汚れてもなお可憐さを失わない愛らしい顔に引き寄せられるように、半開きとなって嬌声のみを吐き出す桃色の唇にキスをする。
 そして律動を止め、限界寸前であるペニスを押し付けた。
 幼い身体の最奥に精液を吐き出す。
 待ちに待っていたと言わんばかりに熱い精液に歓喜する腸壁。仰け反った腰は速水が感じた快楽の強さを表していた。最後の一滴まで搾り取ろうとする物欲しそうなヒダがうねるままに中を満たしてやり、虚ろな目をした速水の舌を嬲る。
 舌が離れると速水の口端から流し込んだ瀬戸口の唾液が垂れた。
「っ……はぁ……厚志……」
「ぁっ……ぅ、……」
 暫く痙攣を繰り返し、呼吸を落ち着かせたあとドプドプと無遠慮に精液が吐き出された己の下腹を速水は恐る恐るといった様子で撫でる。
 熱い。そこには何もないのに、生命を宿そうと躍起になって腹の中を泳ぐ瀬戸口の子種を改めて感じ、なぜか顔が熱くなった。涙を溜めた目で瀬戸口を見上げると、下腹の方を撫でる速水を捕食しかねない獣のような目で見ており、ゾクゾクとした感覚が背筋を這う。
 速水の菊皺を未だ広げる瀬戸口のペニスは堅さを保ち続け、まだ欲しいとねだられているようだった。身体はもうクタクタだが、唾液に濡れた唇を舐めて一度腰を持ち上げてみる。ズルズルと血管を浮かばせた雄が抜けてゆく、排泄感の伴う興奮と性感に再び速水の口がだらしなく開いて喘ぎ声を漏らし始めた。一方、瀬戸口は手も貸さずに自ら抜こうと奮起する速水を見守るだけである。
 高いカリ首が引っ掛かり、気を抜くと前立腺を刺激される。何度も何度も中断しながら、やっとの思いで瀬戸口のペニスを体内から抜くと栓を失った後孔からはゴポリと精液が溢れ出した。それでもまだ、奥にも子種がたっぷり残っているのが分かる。
 度重なる律動でめくれた真っ赤な肛門粘膜を晒す後孔は口を閉じることを忘れてドロドロと精汁を垂れ流すのみだった。
「……厚志」
「ん……なぁ、に……?」
「……好きだ」
 瀬戸口の脚の上に座りながら、速水は少し黙ったあと、近頃喉元まで出掛かっているのに、中々言葉に出来ない感情に胸を掴まれるような気分になる。
──好き、瀬戸口くんは僕のことが、好き。
 再三言われてきた告白。なのに昨今は言葉を反芻すると、息苦しさが増すようだった。
 好きとは何なのか、速水にはよく分からない。ただ、芝村へ抱く気持ちがそういう類の感情であることは何となく理解出来ていた。
 瀬戸口に触られるのは悪くない。最初は都合のいい相手でしかなかったが、行為を重ねる度に好きだと言われ、思わず「僕も」と口走りそうになるようになったのは最近のことだ。けれど、その返事はラボでそう言うように強いられてきたからだと。速水は思い出し、言い掛ける前にいつも口を噤んだ。

 好きです、気持ちいいです、もっとして下さいと言わなければならなかったから。
 だから、速水は自分の「好き」に自信がない。けれど芝村への「好き」にはそんな不安はなかった。なぜなら速水の中で己とは対照的に神聖な彼女とはこのような行為をしたいなどという感情でさえ、今はまだ抱いていなかったから。
 素のままで「好き」だと思えた。
 瀬戸口へ、は。分からなかった。性交の途中だから反射に近いそれで、いつも言い掛けて止める言葉だという認識。
 しかしそんな速水の顔が曇り始めると、瀬戸口は優しく笑いかけるのだった。
「好きだよ、これは俺が言いたいだけだ」
「……うん」
 浮遊感はもう無い。速水の化け物の存在を理解しながらも、それでも好きだと言って聞かない物好きが、その存在を肯定してくれているような気持ちになれたから。
 結局は瀬戸口を利用しているのだ。速水が遠い目をすると、微睡みの中で再びゆっくり押し倒されるのが分かった。
 片付けを楽にするため複数枚のバスタオルが敷かれた布団の寝心地はよくない。けれど開かれた脚の間に体を割り込ませて額や瞼にキスをし、自分を貪欲に求め続ける野性味を帯びたすみれ色の瞳で見下されると胸がジワリと暖かくなって、その寝心地の悪さも許してしまった。
「いいよ、来て。俺も足りない」
 肩に噛みつかれながら、猛獣を招き入れる。速水は奥の方に出された精液が下ってくるのが分かった。
 このままこの男の子供でも孕めば、瀬戸口への複雑な感情も、芝村への叶わない恋慕も真っ白になって、溶けて、汚れた体も全て許されるような気分になるのかも知れないのに。
 速水は瀬戸口の腰に足を絡めて挿入を急かしながら、もっと己の中に注いでほしいと耳元で婀娜っぽく笑った。
 嫉妬深いことは認める。
 けれど今更、速水にあった“過去”に嫉妬しようと、それは変えられない事でどうしようもない。だが二人でいるこの夜の間だけは、この時ばかりは、過去でも芝村でもなく自分だけを感じて欲しかった。
 好きだと告げる度に速水が見せる表情は、最初こそ無表情でしかなかったのに次第に苦しそうに顔を顰めることが増えるようになったがこれは好機だろう。あのあと一回だけ速水を抱いた瀬戸口は、疲れ果てて眠る少年を起こさぬように後始末を着々と終わらせていた。
 きっと速水は芝村と一緒に整備をするため、早朝に家を出る。
 それを知った上で少しの小細工を施す。
 几帳面な性格を表すように、ハンガーにかけられた彼の制服には皺一つない。一緒にかけられたネクタイを拝借すると、自分のネクタイとすり替えておく。
「今日も可愛かったな」
 瀬戸口隆之は、速水厚志が好きだ。
 速水への仕込みは上上。あとは敵に塩を送るだけ。 
 小さな寝息を立てる、愛しい人の髪に誓うような口づけをして瀬戸口は灯りを消すと隣に潜り込んだ。

「風邪か」
「っへ?」
 毎朝の日課である人型戦車の整備をしながら、芝村は速水に問いかけた。無駄な会話を好まない彼女はいつもは終わるまで終始無言であることの方が多く、そんな少女から唐突な声かけにドキリとする。
 素っ頓狂な声が出てしまい、一度咳払いをして赤く染まった頬がバレぬよう、神経接続のテストを続ける芝村の方を見た。
「声が嗄れている。先刻、猫と会話を交わしていたそなたの声に違和感があったのでな」
「……あ、ああ……えっと」
 ボッと火がついたように速水の顔が一層茹で蛸のようになった。
 声が嗄れるまで何をしていたのかなど、まだ何かを咥えているような違和感が残る後孔が嫌という程教えてくれている。
 速水はやはり芝村が、好きだ。
 それは片想いというよりも、速水から言えば“好きでいさせて貰っている”という気持ちが強かったが。
 芝村に嘘はつきたくない。散々、数多くの嘘を積み重ねてきた速水はこれ以上芝村に嘘を重ねるのが嫌だった。なんと答えよう、風邪だと言って優しい彼女を心配させるのも嫌だった。大きな声を出していたから、と答えたら「なぜ」となるだろうし。嘘にはならないけれど、怪しまれない回答を考えている速水が少しだけ黙ると、それを不思議に思った芝村が訝し気に速水の顔を伺った。
 そこには白い頬を真っ赤に染め、目を潤ませた速水がいる。
 これは良くない。
 まさか昨晩の情事を遠回しに芝村に勘付かれた気がして頬を染めているなどとは思わない彼女は、スッと立ち上がると整備器具の整理をしていた速水のすぐ隣まで近づいた。
「な、なに」
「たわけ。熱があるのなら今日は休んだ方が良い」
「熱、なんて無」
 い、と言い切る前に芝村の手が速水の額に触れていた。
 一瞬止まる思考。胸の奥で破裂音がした気がする、否、した。
 暖かい手のひらに目眩、息切れ動悸。洗顔時にもっと念入りに額を洗えばよかっただとか、皮脂だとか汗が芝村の手に付着しているだとか、一瞬のうちに様々な後悔と羞恥と歓喜が湧き上がって頭の中はパニックである。
 殆ど同じ目線、距離の近いところにある芝村の顔に速水は思わず呼吸を止める。自分の吐息が彼女にかかることさえ恥ずかしかった。それに、もう緊張から心臓が口から出そうであったのだ。
 凛々しい瞳に宿る熱だとか、それを縁取る長い睫毛だとか、薄く仄かに桃色の唇だとかがすぐそこにあった。
「ふむ、熱いぞ。家に帰らせるのも心配だな、落ち着くまで学校で休むがいい。いつ召集があるか分からん、授業は休むことだ。しかし私がそなたを見て無理だと判断した場合は出撃を見送る。善行や本田には私から言っておこう。今はしばし体を休めよ」
「そ、そんなの! えっと、僕は大丈夫だよ!」
「私の判断が見誤っていると言いたいのか?」
「そうじゃないんだけど、そうって言うか……!」
「なんだ、はっきり言うがいい」
 近い距離にあった顔が、不機嫌そうにズイっと余計に近づけられた。本当に熱が上がって来たような気がする。
 瞬く間に無言となった速水を見て、額に触れていた手を芝村が下ろした。フニャフニャとなにか慌てた様子の速水を「熱があって意識が朦朧としているのだろう」と勝手に判断した末、早めに整備を終えようと手早く片付けを始める。
 これだからこやつは目が離せんのだ、と芝村は呆れながらも何処か満足げに口元を緩めた。彼の体の違和感に逸早く気づけたのが自分だというのが素直に嬉しかった。
 繊細で責任感の強い速水のことだ、きっと迷惑になっただろうと落ち込むに違いない。こういうとき、どうフォローをしてやったら良いのだろうかと、近頃意識し始めた“気遣い”について考える。
 一方、芝村の後ろでアワアワとしている速水は後に引けなくなり、結果的に彼女を騙してしまったのではと少し涙目になった。
 すると、噛み合わない二人しかいなかった早朝の整備テントの中で、雰囲気とそぐわない能天気な声が響く。
「あっちゃーん、いるかー?」
「……せとぐち、君?」
「……あやつめ、なにしにきた」
 思わず舌打ちをしそうな勢いで、芝村は眉間を寄せた。そもそも誰の許可を取って「あっちゃん」などと呼んでいるのか、あれは東原だから許していることだというのに。本当は武力を行使してでも止めさせたかったが、なぜそんなに自分が気に入らないのかがまだいまいち分からない芝村には踏ん切りがつかない。しかしその原因が分かった暁には、何発か銃弾を打ち込んでやろうとは思っていた。
 名前を呼ばれ、小首を傾げながら二階部分へ上がってきた瀬戸口を出迎える速水の背中にも苛立つ。
「ネクタイ、俺のと間違えてたろ?」
「え、うそ……あ。ほんとだ、ごめんね? 慌てて出て行ったから」
「ま、俺は構わないんだけどさ。速水が瀬戸口って裏地に刺繍されてるネクタイなんか持ってたら何かやらしーだろ」
「……そうなの?」
「そうそう」
 速水がネクタイを間違えてつけて行ったのは本当である。
 言うなれば、間違えてつけていくように仕組んだのは瀬戸口だ。
 何故そんなことをしたのか。別に放課後に声をかけてもよかったのを、どうしてわざわざ早朝のこの場で速水に声をかけに行ったのか。
 それには幼稚な理由があった。
 速水の中で、男が男の部屋に泊まっていたというだけで芝村が察するほど“そういったこと”に敏感な子ではないと思っていたのと、自分の家に誰が泊まっていようと芝村が気にするほどの関心など持たれていないと考えていた為、瀬戸口を自分の家に泊めていた有無を仄めかすような会話を気にせずに交わした。
 が、背後にいる芝村はこめかみをピクピクとさせて、握っていたドライバーを捻じ曲げそうなほど手に力を込めている。
 瀬戸口を家に泊めただと。
 ぽややんとしていて、少女のような愛らしい顔をした自分の相棒は中身や仕草まで愛らしい。それは芝村の目には子猫や子犬のように映る程である。そんな速水を甚く気に入っているのが、女たらしのオペレーター、瀬戸口隆之。
 最初こそ、瀬戸口が速水の体に触れているのを見ても何も思わなかったが、段々と苛立ちを覚えるようになったのはいつ頃からか。速水の方も「やめてください」と言ったり肘鉄砲を食らわせたりもしているが、近頃は気を許している雰囲気があるし、瀬戸口のボディータッチも徐々にスキンシップというには些か厭らしいもののように見えてきていた。
 そんな二人が一つ屋根の下。
 これはいけない。
「ほら、ネクタイ曲がってる」
「あ……ありがとう、まだネクタイ慣れてなくって」
「いいんだよ、俺が何度でも教えてやるからさ。あとで俺のネクタイで練習するか?」
「人のを結ぶって難しいじゃない」
 芝村の前ではネクタイを結んで、ちゃんと整えた格好──速水厚志らしくいたいと考えている速水は、健気にも自分を心配してくれている彼女のためにせっせとその場でネクタイを結ぶ。
 だが、その背中はまるで芝村にとって、自分でなく瀬戸口を選んでいるかのようにも見えた。
 思わず芝村が敵意むき出しの目で瀬戸口を睨む。
 芝村に背を向けてネクタイを結び直している速水は気付かない。
 そして睨まれている当の本人は、芝村に睨まれ怯むこともなく人好きのする笑顔でニッコリと目を細めた。
 そして、「べー」と憎たらしく舌を出した。
 宣戦布告である。
 背後でブチンと何かが破裂するような大きな音がして、速水はキョトンとして背後を振り向いた。
 そこにはどこから出したのか、拳銃を構えた芝村が仁王立ちで溢れ出る殺気を抑えずにいるではないか。
 一瞬の内に速水は顔を真っ青にする。瀬戸口は愉快そうに笑った。
「貴様は死にたいようだ」
「えっ、ちょっと! 瀬戸口くん、なにかしたの?!」
「さあ、知らん。怖いよバンビちゃん、俺を守ってくれ」
「速水から離れろ! 抱きつくな! 半径十メートル以上離れろ、このスケコマシ! さもなくば撃つ!」
「ちょ、ちょっと、二人とも突然なんなのさ!」
 大きな銃声のあと、整備テントの上で羽根を休めていたツバメや雀や鳩が一斉に飛びだった。
 速水を横抱きにして走り去る瀬戸口を鬼の形相で追いかける芝村が整備テントから出て行く。
 虚弱体質とは口ばかりの驚異的な運動力と俊敏性を持って芝村から逃げる瀬戸口は恋敵に対し、のんびりとする様ならいっそ横から堂々と頂こうと思っていたのであった。
 高笑いする瀬戸口、怒鳴る芝村、青い顔をして頭を抱える速水の三人が校庭を駆け回っているのを通学途中の女子高の生徒と、善行が見ていた。
「……なにやってるんですか、あの子達は」
 その足元で、大猫が一匹、あくびを漏らして顔を洗う。
──キッド、お前はいつまでたっても大人げないの。
 顔は、どこか呆れている風にも見えた。