とける前に

「櫂」
「ん?」
 少し暑くなり始めた頃。
 エアコンのきいた部屋、二人で選んだソファの上。硬い櫂の膝枕で寝転がりながら昼間のワイドショーを眺めていた伊吹は、頭上でデッキを組み直している櫂に声を描ける。
 透けるような翡翠の瞳が優しい笑みと共にこちらに向けられ、伊吹は少しだけ心が弾んだ。
「アイス食べたい」
 甘えるように櫂の腰に腕を回して腹に顔を埋めると、あやすように頭を撫でられる。
「確か買ってきてた気がするな」
「……まじで?」
「最近暑くなってきたし、伊吹が前にクーラーのきいた部屋で食うアイスが好きだって言ってたから」
 さも当然かのように言って、「バニラかチョコかどっちがいい?」と櫂は伊吹に尋ねる。
 櫂は、好きな相手には尽くすのが趣味の男であった。与えられたいよりも与えたい、愛されたいよりも愛したいを体現したような人で、伊吹はそのあまりの隙のなさに今も慣れない。
 好意が直球過ぎて、受け止めすぎると後ろに倒れそうになる。
 伊吹は櫂を見上げた。甘い笑顔で、首を傾げて問うてくる櫂を一瞥し、再び腹に顔を埋める。
「櫂が選んでくれ」
 それだけ告げると、一度キョトンとした櫂は楽しげに笑い、伊吹の髪のひと束を指に巻きつけた。
「じゃ、チョコレートで。俺も食べようかな」
 たまたま、なのだろう。
 チョコレートのアイスが食べたい気分だったことまで見透かされていたような気がして、伊吹は可笑しくなり、思わず笑みが漏れる。
 けれど、櫂の場合は完全な偶然だとも言い切れなかった。
 伊吹は櫂が、己のことをなんでも知り尽くしているかのような、そんな気がすることが今までも多々あったのである。
 呑気に頭を撫でられながら、櫂はやはりエスパーなのかもしれないと幼稚な空想に浸る伊吹。
 しかし実際は、複雑な思考回路を持つ伊吹のことを、いまもなお櫂が手探りで試行錯誤を繰り返しつつ愛でている実情など、伊吹本人が知ることは今までもこれからもない。
「伊吹さん、アイス取りに行くのでどいてくれますか」
「エスパーなんだから超能力でなんとかしろよ」
 突拍子もないことを言い出した伊吹に、なんの話だよと言う櫂の明るい笑い声。
 そんな恋人の笑い声を聞きながら伊吹は漠然と幸せだなと思うのと同時に、この気持ちも、櫂に伝わっているといいなと願うのだった。