伊吹は俺の先導者だろ?(笑)

 後江小学校、六年生。背の順で並んでも、出席番号で数えても、いつだって最初の方。
 それなのにクラスでは地味で目立たず、かれこれ十数年生きてきたが、友人らしい友人はできたことがない。
 背負っている、と言うより伸し掛られていると表現した方がふさわしい、これまた古風な真っ黒のランドセルを少年、伊吹コウジは背負いなおすと、放課後の教室をそそくさと後にした。
 今日は週末の、ヴァンガードの大会に向けてデッキの構築をせねばならない。小遣いの範囲で購入した限られたカードから、いかに財力の差が著しい大人相手を打ち負かすかと言うのが、近頃の伊吹の課題であった。
 多くはない物資を組み合わせ、不利な戦況をどう覆すか。伊吹が大会でジュニアの部に出ようとしないのは、そういった状況でも、一体己がどこまでやれるのかを試したかったからである。
 勝敗は、実はそこまで興味がない。否、勝つためだけを目的とした戦略を立てようと思えば、伊吹にとっては容易いことである。勝てれば嬉しい、その気持ちはもちろんあるが、伊吹の中ではそれだけがヴァンガードではなかった。
 トリガーの引きがいいから、デッキにお金をかけているから——これらも素晴らしい強さの一つなのは間違いはなく、決して否定しない。だが、伊吹が目指したい強さとは、また違っていた。
 不思議なことに、時折、ユニットの声が聞こえるような気がするのである。気のせいなのかも知れない。または、ヴァンガードに没頭するあまり、見ている夢のようなものなのかもしれない。
 近頃、より鮮明に聞こえるようになったその声は、伊吹に助言をするようなものではなく、まるで親しい友人のように、仲間のように言葉をかけてくるのであった。
 ただの気まぐれで始めたカードゲームのはずである。
 しかし、その声とともに、なにか大きな力に導かれるように、引き込まれるように伊吹はヴァンガードに惹きつけられていった。
 伊吹が求める、本当の強さ。
 勝敗とは別の——それを掴めばきっと、ユニットたちが自分に声を伝えようとした本当の理由が分かる、そんな気がした。
 だから、伊吹は挑むことをやめない。
 共に励む友達がいなくても、たとえ一人でも、ヴァンガードがあれば繋がれる世界があったからである。
 ——今までは。
「伊吹!」
 ビクッと数センチ、小さな伊吹の体は実際飛び上がったのではないだろうか。
 今もまだ、少女のような声である変声期前の伊吹とは違い、すっかり声変わりも果たした、よく通る少年の声に廊下で呼び掛けられる。
 伊吹は足を止め、ゆっくりと振り向いた。
「か……櫂くん?」
 伊吹を見るや否や、その「櫂くん」と呼ばれた緑の瞳を持つ美少年は、恵まれた体躯にはもはやコスプレのようにすら見えるランドセルを雑に抱え、伊吹を目掛けて一直線に走ってくる。
「だーかーらー、一人で帰んなって!」
「わぶっ」
 走ってきた勢いのまま、自分よりも小柄な伊吹に櫂は飛びついた。
 しかし、体格差のせいか抱きしめられているような形となり、伊吹の頬は燃えるように熱くなる。
 クラスの人気者、みんなの憧れ。そんな肩書きを持つ櫂トシキとは、伊吹にとって初めてできた友達の一人であった。
「ご、ごめ……か、櫂くんクラスのともだちと、お、お話……してたから……」
 ——話しかけたら邪魔かと、思った。
 伊吹が俯いて、言葉を続けると櫂はムッとして伊吹の丸くて白い頬を指でつつく。
「おまえも、俺の友達だろ?」
 櫂の真っ直ぐすぎる言葉と、近すぎる顔の距離。伊吹は櫂の単刀直入な物言いに、相変わらず慣れない。火照った顔で、僅かな間の後、やがては小さく頷いた。
 伊吹は自分が口下手であることくらい理解しており、妙なことを口走ってしまうくらいなら黙っていたほうがずっと良い。そんな、コミュニケーションすらロクに取ろうとしない自分と、櫂がなぜ自分と親しくしたがっているのか、あまり理解できないでいた。
 伊吹は櫂の親友である三和に頼まれて、彼にヴァンガードを教えてやっただけに過ぎないと言うのに。
 もっとも、櫂の遊び相手に相応しい者などそこら中にいる。なんたって、クラスの中心である櫂がヴァンガードを始めたことで、他にもヴァンガードを始めたクラスメイトはたくさんいたのだ。
 だから、今でもこうして、櫂が積極的に伊吹と交流しようとするたびに伊吹は不思議で仕方がない。
 彼を楽しませる話術も、器用さも、能力も、何も持っていなかった。
 櫂は俯いたままの、腕の中の伊吹をジっと見下ろす。視線の先の伊吹は相変わらず、なにかを深く考え込んでいるようだった。
 櫂は考えるよりもまず行動、をモットーとしている。
 そのため、伊吹がしょっちゅうこうして思案顔を浮かべるのが不思議であったが、一方で三和に言わせてみれば「櫂とは違って伊吹はセンサイなんだよ」とのことである。
 確かにこの頃の櫂には、まだ理解しきれない伊吹の一面であったかもしれない。
 だが、わからないからと言って、それを理解しないままにしておくのも櫂は嫌だった。
「……なあ、伊吹。あのさ、俺ん家来ねぇ?」
 これは伊吹との交流を始めてから、ずっと、考えていたことである。
「……へ?」
「今日、父さんも母さんも遅くなるってんで、夜まで一人なんだよ。ハウスキーパーはいるけど。明日休みだし、泊まってもいいしさ。お前とちゃんと二人で話してみたくて。ヴァンガードもしたいし」
 櫂からしてみれば、なんの変哲もない、友人としての誘いであっただろう。
 しかしまさかのお呼ばれに、伊吹は狼狽した。
 友達の家になど、人生の中でも一度も行ったことがない。おまけにその初めての相手が、櫂である。
 一瞬、止まりかける思考。
 だが伊吹はハッとすると勢いよく首を横に振って、珍しく考えるよりも先に「い、行かない」と拒絶の言葉が口を衝いて出た。
「なっ……なんでだよ!」
 当然、了承すると思っていた伊吹に、櫂が思わず大きな声を出すと、伊吹はギュッと目を瞑って小動物のように身を縮こませる。
 そんな、怯えた様子を見せた伊吹に櫂は慌てたように申し訳なさそうな、納得をしていないような、拗ねた子供のように口を尖らせて「わるい」と謝った。
「……だ……だって……ボクなんか……か、櫂くん……きっと、退屈しちゃうよ……」
 少女のような声で、顔のほとんどを覆う長い前髪の下で目の前の少年は眉をハの字に寄せる。
 伊吹がランドセルの肩ベルトを、強く握りしめた。
 いつも遊ぶときには三和がおり、場所もカードショップや公園といったところが大半で、なんとか櫂との会話も滞りなく成り立っているが、櫂の家で櫂と二人きりとなると話が変わってくるだろう。
 伊吹は櫂に退屈な奴だと思われてしまうことを恐れて、とてもではないが頷くことができない。
 それで、万が一にでも。もう退屈な奴とは遊ばないなどと飽き性な櫂に言われたら、伊吹はきっと言葉にできないほど悲しい気持ちになる。
 けれどこんな身勝手な理由で誘いを一考することなく拒んだことによって、当の櫂は怒ってはいないだろうかと恐る恐る、伊吹は櫂の方を一瞥した。
 そこに、いたのは──ムッと顔をしかめて大きな目を細めている、いかにも怒った様子の櫂である。
 伊吹は血の気が引くような思いで、または泣きそうになって、目を逸らした。
「ご、ご、ごめんなさい……な、生意気なこと言ったよね……」
 誰も、ボクの意見なんて求めていないのに——伊吹は櫂にもう一度謝ると、そのまま踵を返して、その場から脱兎の如く逃げ出そうとした。
「あ! おい待てって!」
 鈍臭そうであるのに、ああ見えてとんでもなく俊敏な伊吹は瞬く間に櫂から離れていく。櫂はその背中を必死で追いかけて、階段を駆け下り、そしてようやく追いついたのは、校門を出てからの最初の信号前だった。
 やっとの思いで伊吹のランドセルを掴み、櫂はゼエゼエと肩で息をしながら「話聞けって」と語りかける。
 肩越しに、伊吹は櫂を見た。
 伊吹の表情はどう見ても怯えており、小さな声で「ごめんなさい」とまた謝っている。
 最近仲良くなった伊吹コウジというクラスメイトは、今もまだ櫂に対して他人行儀であった。
 ——俺の先導者だってのに。
 櫂は、最初こそ名前すら覚えていなかった伊吹と、今となっては心から仲良くなりたいと思っている。
 ヴァンガードを教えてもらってから半月と少しが経ち、それでも伊吹は今も余所余所しい。まるで、自分だけが伊吹を好意的に思っているような、そんな寂しさが櫂にはあった。
 伊吹は、すぐに「ボクなんかが迷惑だから」「ボクといてもつまらないから」と言って、櫂から一歩距離を取ろうとする。
 伊吹は確かに、控えめで大人しい少年だったが、人の悪口を言うこともなければ、ビクビクしつつも相手を思いやれる優しい性格の持ち主であり、それを櫂は短い交流の中でも十分に理解していた。
 加えて、あんな無害そうな見た目に反し、ヴァンガードにおけるセンスは大人にも引けを取らない強さを誇る。
 対面している際、伊吹が纏う気迫に、思わず圧されそうになることもあるほどに。
 こいつは他とは違う。櫂には確信すらあった。
 だが、そんな圧倒的な強さを持っていながら、伊吹は櫂に対してヴァンガードに関するすべてを、なんでも惜しみなく親切に教えてくれるのである。櫂のことを褒めては、教え、そして認めてくれるのだ。
 自慢の先導者だった。
 なんでも出来て当たり前だった櫂にとって、初めて尊敬できる、そんな存在が伊吹であったのだ。
 それなのに、伊吹は執拗に櫂と距離を取ろうとする。
 そんな伊吹の態度は、正直なところ櫂にとっては不満でしかない。
 決して、生意気だから、むかつくから、そんなくだらない理由ではなく。
 多少の自惚れはあれど伊吹から好意があることには違いないのに、それを押し殺し、勝手に自分自身を蔑み、己から逃げようとする伊吹の全てが、櫂にとって気に食わないのだ。
 櫂は謝る伊吹をこちらに向かせ、強引に手を握る。
 すると、伊吹の顔が見る見るうちに赤くなって、困ったような、泣きそうな顔をした。
 ただ、手を握っただけなのに。
 櫂は、伊吹が自分を意識している様子を見れば見るほど、どこかたまらなくなるものがこみ上げた。可愛い子ほどいぢめたくなる、小学生男子特有の衝動。
「今日、なんか予定あんの?」
 櫂は、伊吹の手を離さない。
 それどころか、強く握り直して、小柄で軽い伊吹を自分の方に引っ張り込んだ。
「よ……よていは……ないけど」
 前髪に覆われた赤い目が揺れて、小さな口が戸惑いながら言葉を紡ぐ。
「じゃあ、いいじゃん。ウチ来いよ」
 断る理由などあるだろうか。やや——否、かなり強引な物言いで、伊吹に「決定な」と言い残すと櫂は手をとったまま歩き出す。
 媚を売られるよりも、こうして好意を抱いている相手に逃げられると、どうしようもなく無性に追いかけたくなるのだ。
 ただいるだけで人に囲まれるような人生を送ってきた櫂には新鮮で、今までにない経験とも言える。
「か、櫂くん……! わっ、わ、分かったよ、分かったから、手、離して!」
「また逃げられたら困る」
 自分とさほど変わらない、伊吹の思ったよりも大きな手を握って、櫂は我者顔で通学路を歩いた。手が大きいと言うことは、背が伸びると言うことだと母親に聞いたことがある。
 伊吹もいずれ、背が伸びるのかもしれない。
 櫂は呑気にそんなことを考えていたが、伊吹は気が気でなかった。なにせ放課後の通学路には、他の同級生たちもたくさんいる。
 道ゆく主婦の微笑ましそうな視線も、不思議そうにこちらを見る同じ小学校の生徒による視線も、伊吹にとっては、もはやどんなに鋭いナイフよりも刺さる。
 そして、自分の前を歩く櫂との距離が離れていれば離れているほど、繋いでいる手が目立ってしまうことに気付いた伊吹は、また泣きそうな顔をして、少しだけ櫂に近づいた。
 ぴとり。
 ほとんど、後ろにひっつくような形で、櫂について行く。
 無理やり、振り解こうとはしないらしい。
 櫂は少しだけドキドキした。
 すぐそばにいる伊吹の髪から、甘い匂いがしたからである。
 また手を強く握り返すと、伊吹が小さな声で
「逃げないよ」
 と呟いた。

「だァーッ! 負けた! 伊吹、何がダメだった!?」
 子供部屋というには広すぎる、櫂の部屋。その中心で、ハウスキーパーが淹れてくれた紅茶と、用意された菓子の傍で櫂は床に転がった。
 相変わらずのオーバーリアクションに、伊吹がクスクスと笑う。
「ええとね、最初のリアガードからのアタックは、通して良かったかもしれないね」
「ああ……なるほどな……トリガー狙って……ノーガードならドロー引けてたし? ヴァンガードにパワーふれてたしし……」
「そうそう」
 伊吹は飲み込みの早い櫂の言葉に頷いてデッキを片づけると、「いただきます」と良い香りのする紅茶を飲む。
 伊吹は正座のまま行儀良く両手でティーカップを握っており、もっと寛いだらいいのにと櫂は伊吹のかしこまった様子を寝そべりながら眺めた。
 悔しさから寝っ転がって悶えている櫂と伊吹の対比が凄まじい。
 櫂は紅茶を啜る伊吹を眺めた後、ゴロゴロと転がって伊吹のそばに近づいた。
「……伊吹ってさ」
「なあに?」
 伊吹はティーカップをトレイに置き、突然の問いに小首を傾げて、櫂を見下ろす。
 家に来るまでは一悶着あったが、やはり伊吹をすこし強引にでも連れてきて良かった。いつもはカードショップや公園で遊ぶことがほとんどだが、こんな風にゆっくりと話したことはあまりない。
 最初こそ緊張していた伊吹も、まだ堅さはあれど少しは落ち着いた様子で、櫂も安心する。
 柔らかな絨毯が敷かれた床に手をついて、櫂は体を起こすと伊吹のすぐそばであぐらをかいて座った。
「顔、出したりしねぇの?」
 伊吹の顔にかかった、長い髪を手で退かせる。突然のことに反応できなかった伊吹は、櫂の手によって開かれた視界にきょとんとした。
 優しい雰囲気とは異なり、伊吹の目つきは存外鋭い。
 小柄な体躯は幼いのに、どこか大人びた顔立ちで、その顔つきは愛らしいというよりも、綺麗と称した方がふさわしく感じた。
 そう。伊吹は、綺麗な顔をしている。
 真っ白な髪に、真っ赤な瞳。透明感のある、いっそ病的な白い肌も、薄く色づいた小さな唇も。絶妙なバランスで、小顔の中にきちんと配置されていた。
 この前髪に覆われた素顔を、いったいどれだけの人が知っているんだろう。
 どこか真剣な顔の櫂に、両目を見つめられ、伊吹は自身の胸がぎゅっと締め付けられる感覚を覚えた。
 その理由を──伊吹は薄々と、理解しつつある。
 この、櫂に抱く気持ちは、今まで他の誰に対しても抱いたことはない。
 ヴァンガードを通じて話すまでは、櫂トシキとは遠い世界に住む人だと思っていた。無論、櫂にとっても伊吹コウジとは、名前すら記憶に残らないほど地味で目立たない、ただの背景の一部だったに違いない。
 それが、ヴァンガードという繋がりが、こうして二人の関係を大きく変えた。
 少し強引なところも、なんだか偉そうなところも、櫂だから伊吹はすべて許してしまう。
 赤い瞳が、少し濡れて櫂を見つめた。
「ど、どうして……?」
 おずおずと伊吹が尋ねると、櫂は少し照れたような表情で、伊吹の言葉に答えた。
「……綺麗だから」
「……へ」
 今まで容姿を褒められたことなんて一度もない伊吹は、よりにもよって、女子にも群を抜いて人気の高い櫂に「綺麗」と言われ、目が点になる。
 髪に触れたままの櫂の手が、なぜこうも熱く感じるのだろう。
「……か、からかってるの……?」
 櫂の手を掴み、気恥ずかしさからやんわりと退かせようとした。
 ——綺麗なわけがない。
 伊吹の両親は、こんな真っ白な髪色も、真っ赤な目の色もしていなかった。この伊吹の持って生まれた先天的な特徴は、両親と自分を大きく隔てる壁のようにも見えたのである。
 勘違いされやすい目つきも、白い睫毛も、濃い赤い瞳も、なにもかもが目立ちたくない伊吹にとっては邪魔なものであり、それらを隠すために髪で顔を覆っていたのに。
 それを綺麗だと言われても、嬉しくなんか——
「からかってない」
 櫂は、自分の手を退かせようとする伊吹の手をとって、こともあろうか指を絡ませて強く握った。
 櫂の思わぬ行動に伊吹の思考が再び停止するも、そんなことを櫂は気にもとめずに、いつものように顔をズイと近づける。
「綺麗だ」
 当時の櫂とは、思ったことがすぐに口から出る少年であった。
 せっかちで、我慢が苦手で、やや我の強い少年である。
 しかし、そんな櫂は周囲から嫌厭されるどころか多くの人に囲まれ、好かれていた。
 ワガママというよりも意志が強く、謎の自信に満ち溢れ、凄まじい行動力が伴った様子はどこか眩しい太陽のようでもあったからだ。
 気づけば小学校という組織の中でも十分にカリスマ性を発揮し、櫂の周りには多くの人がいたのである。
 善人というには癖が強く、ヒーローというには不完全だが、悪の敵だった。
 そしてそんな櫂の眩しさに、伊吹も惹かれつつある。
 目と鼻の先で、櫂が思ったことを口にする——伊吹も本当は、分かっていた。決して人の容姿をバカになどしない櫂が、伊吹の見た目をからかうことなどしないと。
 それでも、伊吹は櫂の言葉を受け止められない。
「……ど、どうしたの?急に」
 妙な空気になっている。伊吹は櫂に握られたままの手をどうしたらいいのかも分からずに、「櫂くんも大会出るなら、もうすこし調整付き合うから」と強引に話を逸らす。そんな伊吹の様子に、櫂はまた子供らしくムッとした。
「……伊吹って、もしかして俺のこと嫌いか?」
「はぇ!?」
 不機嫌な様子の櫂に思いもよらぬことを疑われ、伊吹は大きな声が出る。
「なんか、教室では俺のこと避けるし? すーぐ困った顔するし。泣きそうになるし、迷惑かよ」
「ち、ち、ちち、ちが、ちがうよ」
 伊吹の手を握っていた櫂の手が、するりとほどける。恥ずかしいのに、どうしたらいいのか分からなくなるのに、櫂の手が離れるとどうしようもなく寂しく感じて、伊吹は「あ……」と顔を曇らせた。
 今度こそは、本当に櫂が怒っているかも知れない。
 伊吹は俯いて、泣きそうになるのをなんとか耐えようと息を止めた。
 昔から、泣き虫な自分が嫌いだった。だから必死に克服しようとしているのに、不安になったり、怖くなるとすぐに涙が滲む。
 せっかく家に呼ばれたのに、櫂が褒めてくれたのに——ぷい、とそっぽを向いた櫂の横顔を見つめ、伊吹はすぐに俯くと黙り込んだ。
 少しの間。
 一方。やってしまった、と櫂はそっぽを向きながら、繊細な伊吹の扱い方をまた誤ってしまったと内心で焦りつつあった。完全に黙り込んだ伊吹を前に、背中に変な汗が伝う。
 今まで、こう言ったタイプの友人は櫂には出来たことがない。
 それを言い訳にしたいわけではないのだが、どうしてか、優しくしたいのに、伊吹は笑ってる顔の方が似合っているのに、伊吹に壁を作られるとどうしても意地の悪いことを言ってしまう。
 伊吹は逃げるばかりで、自ら櫂に歩み寄ってくれない。
 それが、たまに櫂を傷つけるのだった。
 しかし、櫂は伊吹のそんな面倒な部分を理解した上で、真剣に彼と仲良くなりたいと考えている。
 これは嘘ではなかった。
 それなのに。
 最初にハッキリと拒んだ伊吹を無理やり家に連れ込んでおきながら、またもや思い通りの言葉が聞けなかったと言う理由で伊吹を自分勝手に振り回していることに気づいた櫂は、結局聞き出せなかった伊吹の気持ちを惜しみつつも「言いすぎた」と謝るため伊吹の方を見た。
 そして、ギョッと目を見開く。
 背中に伝う汗の量が増え、顔が強張った。
 今度こそ、本当にやってしまった。やってしまったどころではないが、やらかしてしまった。
「っう……ぅう……ッご、ごめんなさ……」
 ぐすぐす、と鼻を啜って袖に顔を押しつけて——おおよそ本気で泣いてるらしい伊吹を前に、あの櫂が、顔面蒼白となって取り乱す。
「な、泣くなよ! ごめん! ジョーダンだから!」
「ぅ……うぅ……」
 櫂に嫌われた。とりわけ、ネガティブな方面での思いこみが激しい伊吹はこの世の終わりのように涙が止まらない。
 せっかく友達になれたのに、ヴァンガードを楽しいと言ってくれたのに。嫌いだったこの顔を、初めて綺麗だと言ってくれたのに。
 櫂の言葉など伊吹には届いていない様子で、声を押し殺しながらさめざめと涙を流した。それを目の当たりにしながら、櫂はひどく動揺する。
 なにも人を泣かせてしまったことは、今まで一度もなかったわけではない。なのに、伊吹を泣かせてしまったことに対する罪悪感は、過去に一度も味わったことのない強烈さを持って櫂に襲いかかる。
 いつかはやらかしてしまうとは、思っていた。けれど、本当に自分の勝手で泣かせてしまうなど。
 櫂は狼狽え、伊吹になんとか声をかけようとオロオロしながら口を開けたり閉じたりした。
「——……だよ……」
「えっ!?」
 そんなとき、微かに伊吹の声が聞こえ、櫂は慌てて聞き返す。その櫂の声があまりに大きかったためか、また伊吹の肩がビクリと跳ね上がった。
「わ、わりー、違う、えっと、俺」
 どうしたら、伊吹が常に笑っていてくれるのかが分からない。
 ヴァンガードをやっているとき、時おり見せる伊吹の優しい笑顔を、もっと見せてほしいだけなのに。
 櫂を前にすると、伊吹は困ったような顔ばかりする。
 そして、結局は泣かせてしまっている始末だ。
 言葉よりも行動力。それをモットーとしてる櫂は困り果てた末、俯いたままの伊吹の両頬を手で包むと、上を向かせる。
 濡れている頬と、涙に溺れた赤い目が櫂に突き刺さった。
「……俺……あの、お前のこと泣かせたいわけじゃなくて……」
 笑ってほしい、など。
 とてもじゃないが、こっぱずかしくて言えない。
 可哀想に、袖で擦られて目元の薄い皮膚が赤くなっている伊吹の目尻を櫂は指で撫でて、結局最後まで言えずに「ごめん」と呟いた。
「……ぼく」
「……ん?」
 櫂の言葉がようやく耳に届いたらしい伊吹は、鼻声のまま、たどたどしく櫂に話す。
 このままだと、本当に伊吹に嫌われてしまってもおかしくない。けれど、嫌われるよりも怖いと恐れられる方が苦しい。
 せっかちであったはずの櫂は、伊吹の言葉をジッと待った。
 誰かの歩幅に合わせることなど、櫂からすると、これが初めてのことであったのだ。
「……櫂くんのこと……嫌いじゃないよ」
 なんとか、伊吹が言葉を振り絞る。
 自分の気持ちを言葉にすること、これも、伊吹にとっての初めてであった。
 今までも何度かあったが、櫂が伊吹の言葉を聞きたがる理由が分からなかった。うまく話せないのに、櫂は飽きもせず伊吹に話しかけ、ほかの友人たちよりも、伊吹の方を選んだりする。
 櫂が、分からない。
 ヴァンガードが櫂より少し上手いから、こうして目にかけてくれてるのだろうか。
 背が低いから、弱そうだから、声が小さいから、優しい櫂は自分を気にかけてくれているのか。
 分からないことばかりだった。
 けれど、どんな理由でも、櫂がこうして伊吹のそばにいてくれようとするのは、伊吹にとって嬉しいことには違いなかった。
 櫂の気持ちは分からない。でも、今なら、少しだけ自分の気持ちであれば分かる気がした。
「……すき、だから、……そんなこと言わないで……」
 ぽろぽろ、とまた勝手に涙の粒がこぼれる。
 伊吹は頬を包む櫂の手に己の手を重ね、赤い鼻を啜った。
 櫂は伊吹の言葉を反芻し、硬直する。
 嫌われてはいないことくらい、実際のところ分かり切っていた。
 好かれているだろう、ということも分かっていたはずである。
 なのに、本人にこうして言葉として伝えられるだけで、なぜこんなにも胸に来るのか。
 向かい合って、伊吹が泣いてる声を聞きながら、櫂は無意識のまま顔を近づけた。
 そしてそのまま、淡く色づいた小さな唇に、なぜだか衝動が抑えきれず、自分の唇を重ねてしまっていたのである。
 柔らかいものが重なった。
 櫂に、なにをされているのか。
 理解した伊吹の涙が一瞬にしてとまる。
 伊吹の唇は、薄いのに柔らかくて、やはり小さい。気持ちがいい、と櫂は自分がなにをしているのかすらあまり自覚のないまま、伊吹の唇に角度を変えて再びキスをしてみる。
 ちゅ、ちゅ、と繰り返されるそれ。そして——伊吹は耐えきれず、いったいその細腕のどこから力が出ているのか、櫂のことを火が出そうなほど赤い顔のまま、言葉の通り突き飛ばしたのであった。
 広い室内の壁際まで、櫂の体が優に吹っ飛ぶ。
「な、な、な、な、な、なにしてるの!?」
 伊吹は渾身の馬鹿力を発揮した一方で、子犬のように吠えた。櫂は壁際で、でんぐり返りが未遂に終わったようなポーズのまま転がっている。
「すまん」
「すまんじゃないよ! 櫂くんのバカ!」
 あ。怒った顔も可愛い。櫂は悪びれるどころか、むしろ開き直って伊吹のなかなか見ない表情を呑気に分析しながら、そんなことを考えつつ起きあがる。
 丈夫に生まれてよかった。
 顔を真っ赤にして泣きそうな表情のまま怒っているのに、伊吹はキスをされた唇を拭ったりもしない。驚いてそれどころではないだけなのかも知れないが、櫂はなにかを期待してしまう。
 先ほどの反省も忘れてすっかり元の櫂に戻ると、目を細めてニヤニヤと笑いながら立ち上がり、伊吹の前に腰を下ろした。
「……嫌だった?」
「な……なにが……」
「ちゅー」
 伊吹はプルプルとふるえて、口を開けたり閉じたりする。
 ここでハッキリと嫌だと言わないことが、どんな言葉よりも雄弁で、櫂は懲りもせず伊吹の頬にまた手を伸ばす。
 ここまで来たら、流石になにをされるのか察しても良いはずだ。される前に、先ほどのように突き飛ばせばいい。
 だが——伊吹は、恥ずかしそうに目をそらすだけで、櫂のことを突き飛ばすことはなかった。
「……伊吹、逃げねーの?」
 この衝動の元は分からない。
 ただ、少し空腹に似ている。
 櫂は確認のあと、なにも言わず大人しくされるがままの伊吹に改めて再び唇を重ねた。
 これが友達同士でやることではないのは、分かっている。細くて小さな伊吹の肩が跳ねた。静かな部屋の中心で、触れ合うだけのキスの音が僅かな呼吸と共に聞こえる。それが妙にいやらしくて、櫂は伊吹の体を抱き寄せて、目をギュッと瞑ったままの伊吹の表情を薄らと開いた瞳で見つめる。
 十二歳。性的なことにも関心があっても、おかしくない年頃であった。
 櫂は己の中心が熱くなるのを感じる。
 以前、兄弟がいる同級生の家で流されるがままに見たアダルトビデオという品物は、それなりに刺激はあったが櫂はどこか冷めた目で見ていたことを思い出していた。
 知らない女の裸よりも、うるさい喘ぎ声よりも。目の前の伊吹の赤い顔や、たまに漏れる吐息の方がずっと淫らに感じる。
 ふと、劇中に行われていたキスと、自分たちのキスが違うことを櫂は思い出した。
 確か男が、女の口に舌を入れていたような気がする。
 櫂はさすがに怒るかな、などと思いながら、呼吸のために少し隙間の開いた伊吹の唇に、たどたどしく舌を差し込んでみる。
「ん、……っ!?」
 ぬる、と入り込んだそれが櫂の舌であることを察した伊吹は櫂の服の裾を握ったが、抵抗らしいものはそれだけであった。
 櫂は嫌がられないことを確認すると、調子に乗った様子で勝手も分からないまま、伊吹の暖かな粘膜の中を舌でくすぐる。
 伊吹の奥に縮こまった舌を吸ってみると、無味であるはずなのに甘く感じて仕方がない。
 腕の中の伊吹が、口腔を貪る度に小さく鳴いた。力が抜け始めたのか、櫂の服の裾を握るだけでほとんど体重を櫂に預け、されるがままの姿にたまらなく、興奮する。
 櫂はたまらず、伊吹を絨毯の敷かれた床の上に徐々に寝かせて、その上に覆い被さった。
 捕食するように伊吹を押さえつけて、己が満足するまで伊吹の口内の熱を堪能する。終わる頃には伊吹の顔は完全に蕩け、目尻に涙を貯めながら、顎を唾液で濡らしてぼんやりと天井を見上げていた。
「……伊吹、えろい」
「ん、ぅ」
 少し汗ばんだ首筋に顔を埋め、伊吹の清潔そうな香りの濃い部分に誘われるように舌を這わせる。
 組み敷いた体を撫で、櫂は無意識の内に伊吹の太ももあたりに自分の腰を押しつけていた。
 伊吹はそこに、なにか固いものが当たっていて、まさかとは思いつつも、それがなんなのか皆目見当もつかないほど無知というわけでもなく、羞恥心と興奮から膝をすり合わせる。
 ぐ、ぐ、と押し当てられる度に、櫂のくぐもった小さな声が聞こえた。
 櫂が伊吹の体を使って自慰しているのだと、それが確信に変わると伊吹は櫂のペニスが擦れている太ももを意図的に、少し持ち上げて伊吹の方からも刺激を加えてみせる。
「っあ……」
 びくびく、と櫂の腰が跳ねる。
 伊吹は恥ずかしくてたまらないのに、櫂のいやらしいところがもっと見たくなって、押しつけられる腰の動きに合わせて自分の足を動かした。
 櫂は伊吹をエロいと言ったが、伊吹から言わせてみると櫂の方が何倍もいやらしく見える。
 伊吹とて自慰くらいはしたことがあるが、あれは快楽を求めるためと言うよりも、我慢していると起きたときに下着が汚れていることがあるため、半ば仕方なくしているに過ぎなかった。
 けれど、今。
 伊吹をけしかけるこの欲求は、それとは違う。
「伊吹……」
 また、櫂の唇が重なった。
 両手の自由を奪われ、櫂の体が密着する。伊吹は再び口腔に入り込んだ櫂の舌を、今度は伊吹も自ら招き入れると舌を重ねて互いに吸い付く。
 くちゅ、と聞こえるのが恥ずかしいのに、粘膜が溶け合うのが気持ちいい。いけないことをしている、その意識はある。大人のまねごとでしかない、不完全な戯れを二人は好奇心のまま続けた。
「……なぁ……」
「ん……?」
 櫂が伊吹の唇を舐め、しばらく見つめ合う。
 伊吹は櫂の端正な顔に見とれ、熱に浮かされつつも真剣な表情でこちらを見てくる翡翠の瞳に心臓が跳ねた。
 なにを言われるのだろう——櫂の言葉を待つ間、伊吹は目映いフィルター越しに櫂を見つめる。
 こんなことまでしたのだ。今更、なにを言われても、櫂になら。伊吹は脳内に花畑を咲かせ、目を細めた。
 そして、櫂に言われたのは——
「……ちんこ見せて」
「……はい?」
 しばしの沈黙。
 だが、櫂の顔は真剣であった。
「ち……ちん……え?」
「伊吹のちんこ見せて」
「いや聞いたよ」
 伊吹が冷静に答えると、櫂は少し考えた後にガシッと伊吹のズボンを掴んだ。櫂の突然の行動に、伊吹は目を白黒させる。
「なにしてるの!?」
「いや、パンツ脱がさねーと見えねーだろ」
 そう言うことじゃない——と伊吹は騒ぎながら、ずり落とされそうな下着とズボンを一心不乱に引き上げようとするも、上からのし掛かられている状態では普段の馬鹿力も出し切れない。
 櫂は伊吹が上手く抵抗出来ないことを察すると、ニヤリと悪い顔になる。そしてそのまま、勢いよく伊吹の下着を膝下までズボンと共におろした。
 ぎゃー、と伊吹が鳴く。
「な、なんでこんな……!」
 上着の裾を引っ張り、なんとか下半身を隠そうとしている伊吹の姿は正直、そそられるものがある。突然のことに怒ればいいのか泣けばいいのか、表情がなかなか定まらない伊吹を見下ろしながら、櫂は申し訳なさよりも愉しさが勝った。
 そして、自分のベルトにも手をかける。
「俺も脱ぐから」
「え」
 カチャ、と金具の音をさせ、櫂は伊吹を組み敷いたまま、目の前でベルトをはずしていく。
 櫂は恥ずかしがるどころか、どこか楽しそうに伊吹の反応を確認しながら下着ごと自らズボンを下ろしてみせた。
 そこは伊吹とは違い、頭髪と同じ色の恥毛が生え揃っており、その中心にある櫂のペニスがやや勃起しているのが見えると、伊吹は思わず固唾を飲んだ。勃起したペニスは、大人のと変わらない。その証拠に、亀頭の、やや色の濃い部分が先端から覗いている。
 一足先に、すっかり大人の身体になろうとしている櫂の身体。
 伊吹は櫂の晒された下半身から目を逸らせないでいた。
 見ては、いけないのに。ダメだと思いつつも、櫂の身体の一部だと思うと、なぜか臍の下辺りがキュウッと甘く痺れる。
「……伊吹のも見せて」
 あまりにジッと見つめられ、さすがの櫂もやや照れてしまう。櫂は服の裾を引っ張っている伊吹の手をとって、優しい手つきで退かせた。
「あ……だめ……」
 意味の無さない抵抗の後で晒されたそこは小柄な体躯の割にそこはまずまずの大きさで、幼い身体と絶妙な発育の良さが合わさったアンバランスな光景に、櫂は背筋がゾクゾクとするのを感じる。
 櫂がしばらく伊吹のペニスを見つめていると、視線を感じたのかピクンとふるえ、また少し頭を擡げてしまうのが抑えられない。
 そしてやがては見ているだけでは我慢が出来なくなると、櫂はゆっくりと、伊吹のペニスを指でなぞった。
「ひ……っぅ、あ、や、櫂く……っ」
「……伊吹のここ、可愛い」
 指先で摘まんで扱いてみると、敏感な場所を覆う皮が上下に動くのを感じる。やがて、トロリと皮の先から先走りがすでに垂れ始め、櫂の手を濡らしていった。
 摩擦を徐々に失い、代わりにクチュクチュと下品な音が聞こえると伊吹は足先をピンと張りつめさせる。女のような声で、幼い身体で、やや発育の良いペニスをしっかりと勃起させ、櫂の愛撫に悶えている姿。
 櫂は記憶にあるアダルトビデオに映っていた乱れる女優よりも、目の前の痴態に夢中になって手を動かした。
  伊吹も今まで何度か自慰はしてきたが、こんな風に溶けるように熱い経験はしたことがない。櫂に触れられていると言うだけで、腰が動く。
「だ、め……櫂、くん……っぼく、ぁ……」
「しゃせー、しそう?」
 すっかり腹に付きそうなほど勃起したペニスは櫂の手のひら全体に包まれ、少し乱暴なくらいに扱かれてしまうと声が我慢出来なくなっていく。
 櫂の言葉に、伊吹はなんとか小さく頷いた。
 すると、櫂は伊吹の声や仕草ですっかり反応してしまっている自身のペニスを、伊吹のものを扱いている手に添える。
 互いの性器が重なり、二人のカウパーで濡れた櫂の手で揉まれると、伊吹は視覚的な刺激にも煽られてぐずぐずに脳が溶けていくのが分かった。
「で、ちゃ……っ、ぅ、あ……っく」
「うん……見せて、伊吹がイくとこ」
 目を細め、伊吹の淫らな姿が見たくてたまらない様子で櫂は乾いた唇を舐める。
 ——伊吹は、俺の先導者は、どうやら強くて綺麗なだけでなく、いやらしくて可愛いらしい。
 伊吹は櫂の目から視線を逸らそうとしないまま、くぐもった喘ぎ声の中で「でちゃう」と告げた。
 櫂はそれを聞き届けると、唾液に濡れそぼった唇を自らの口づけで塞ぎ、指の腹で互いの敏感な亀頭をクリクリと擦る。
 すると伊吹は目を見開いて、腰から下をガクガクと痙攣させると、櫂もほとんど同じくして身体を強ばらせた。
 手と、伊吹の腹にかかる熱。また剥けきってない皮の隙間から、伊吹のペニスから漏れ出した精液がトロリと垂れる。一方で、既に剥けつつある櫂のペニスは余すことなく欲を吐き出し、伊吹のペニスにマーキングするかのように己の精液を擦り付けていた。
 吐息が、混ざる。
 櫂はまた伊吹にキスをすると、空いた方の手で伊吹を抱きしめた。余韻でとろけた表情の先導者の耳元に唇を寄せ、「……泊まっていけば?」と誘うと、腕の中で伊吹が少し悩んで、濡れた瞳で櫂のことを見つめながら小さく頷く。
 櫂は満足げに笑って、伊吹の丸く、白い頬にキスをした。

 ◇

 ——数日後。
 再び、放課後の教室。伊吹は、ランドセルを背負うと教室を見渡す。視線の先には、数人のクラスメイトと話す櫂の姿であった。
 取り込み中らしき櫂の姿に伊吹は一度、そのまま廊下へ出ようとしたが、ギュッと目を瞑ると恐る恐る、櫂の方へ近づく。
「か……櫂くん」
「おっ伊吹。帰るか」
 伊吹が名前を呼ぶや否や、櫂は微笑んで、「じゃな」と話していた同級生たちに手を振り、伊吹に凭れるように肩を組むと、早々に教室を出ていく。
 その二人の様子を見送った数人のクラスメイトたちは、顔を見合わせた。
「……アイツら、最近また一段と仲良くなったな」
「ヴァンガードだっけ? トシキ、最近ハマってるもんなぁ」
「いや……なんか、そういう感じじゃなくて」
 言葉には表し難い、距離感。目敏い同級生の一人はなんとなくそれを感じ取ってはいたが、幼さも相俟って結局言葉に出来ず「ま、いいけどさ」と流すと話題は別のものへと移っていく。
 廊下を並んで歩く、櫂と伊吹はそんなことを思われてるなど知らぬまま。
「あの新弾のさぁ、ロイパラかっこいいよなー。伊吹もかげろう組むだろ?」
「うん」
「そん時、またパック一緒に剥こうぜ」
 一見、小学生同士の無邪気な会話である。しかし、櫂が「俺の家で」と言葉を付け足すと、伊吹は顔を赤らめた。
 そんな反応に、猫のように櫂は意地悪く笑う。
「……伊吹、おまえ、結構スケベだよな」
「なっ……か、櫂くんだって!」
「まぁ、オトコノコなので」
 そんなことを言い合って、二人はじゃれ合いながらいつもの公園へと向かった。
 まだ互いの気持ちにすら自覚のない、その幼い感情の芽生えには、まだ名前はついていない。