アルコールに浮かぶ

「遊星ちょっと飲みすぎじゃね?」
 知らぬ間に何杯目かのハイボールを追加していた遊星に目ざとく気がついたクロウが声をかけるも、遊星は手を止めることなくジョッキを掴み、無言のままそれを飲み干した。
 そんな遊星を見守るジャックとクロウの二人は、これは大学でなにかがあったか──と察する。
「飲んでない」
「いやいや、明らかペースはえーよ。すんませーん、ピッチャーください」
 気を利かせたクロウが店員に声をかけると、「はーいただいまー」という活気のある声が聞こえ、暫くすると冷えた水が届いた。
 クロウがそれを遊星のグラスに注ごうとするも、遊星はすかさず去り際の店員に声をかける。
「焼酎ハイボールください」
「はーいただいまー」
 注いでいた水をこぼしそうになるクロウ。
「おい! 水飲め水!」
「ハイボールは透明だからほぼ水だ」
「ド理系のくせに馬鹿言うな!」
 注文を受け、背を向ける店員と入れ替わりでクロウは向かいに座っている遊星の手元にあったメニューを取り上げた。
 顔色こそ変わらず、確かに人よりも酒に強い遊星ではあるが、さすがの彼にも限界というものはある。そんな彼が酔うと厄介なことになるのはジャックも知っているだろうに、彼ときたら何も言わずにひたすら無心で枝豆を食べており、クロウの表情筋がピクピクと痙攣した。
「おい、ジャック! お前も隣に座ってんだからなんとかしろよ!」
「家に帰れば全部吐くのだからほっとけばいい。どうせその世話をするのは貴様ではなく同居人の俺だ」
「吐きゃ体にワリーだろうが!」
 そうこうしてる内にハイボールが届くまでの間も、ジャックが飲みかけの日本酒を横から勝手に飲み始める遊星を放置している有り様にクロウは頭を抱える。
 遊星は決まって、ストレスが溜まった頃に外食をすると強引にアルコールで押し流そうとする悪癖があった。おまけに、先述したように下手にアルコールへの耐性がある分、酔おうと思えばその飲酒量は凄まじいことになる。
 結果、帰宅すればトイレに立て篭る事態となり、吐きそうで吐けない遊星の口に指を突っ込んで吐かせるのがジャックの務めとなっている始末。
 だからと言って、ジャックが遊星のヤケ酒を止めることはない。普段バカ真面目に生きているのだから、面倒を見てもらえる環境で、おまけに若い内くらいは好きにさせればいいとすら言っている。
「どうせまた例の教授との折り合いがつかんのだろう。最近はため息も多かったからな」
「そんなによく見てやってんなら普段からのケアお願いできますかネー」
「素面のときのコイツはしらばっくれるのがオチだ」
 剥いた枝豆をつまみ、遊星の口元に持っていくとなにも言わずに食べるのが面白いのか、ジャックは途中から自分で食べずに遊星に餌付けを始めた。やがて、もはやジャックの指を食ってるだけとなった遊星に「やめんか」と言っているジャック──妙に楽しそうですらある──をクロウは白い目で見る。
「お前らさぁ、ずーっと一緒に住んでっけど本当に雑だよな。遊星が体ぶっ壊しても知らねーぞ」
 幼なじみ故に、遊星が何事も抱えがちなことはクロウもよく知っており、もちろんジャックだって知っているはずだ。
 クロウは優しい男である。だからこそ、アルコールの力を借りるほどストレスを溜め込まれる前に、もっと遊星には発散してほしいと思うのだ。
 しかしながら、ジャックの言う通りである部分もある。
 素面の際の遊星は「大丈夫だ」と取り繕うばかりでなにも言わない。
 確かに愚痴くらいは同居人であるジャックに溢しているようではあるが、それでも感情的になるのは稀であった。
「これも、こいつなりの甘え方だ。お前に「飲みすぎだ」と心配されるのも嬉しいんじゃないか」
 遊星が甘噛みしてくる指を口から引っこ抜き、おしぼりで拭いなら隣の遊星の目を見て、ジャックは「なあ?」と問うた。
「枝豆」
 一方、問いには答えず枝豆を催促する遊星。
 言葉のコミュニケーションがもはや成り立っていない。
「たわけ。自分で食わんか」
「えだまめ……」 
 奇妙なやり取りをするジャックと遊星に、クロウは可笑しいんだか呆れたらいいんだか分からなくなり、自身も手元の生ビールを飲み干す。
 だが言われてみれば、クロウが心配するのに比例して遊星の飲酒量も増えている気がせんでもない。ジャックのように放っておけばいいのか、辛抱強く労るべきなのか。幼なじみとしてこうも長く一緒にいるのに、今も正解はわからなかった。
「おまたせしましたー」
 そうして、追加のハイボールが届く。
 しかし遊星は隣のジャックの肩に頭をグリグリ押し付けながら、ブツブツと「明日の朝はクリームパンがいいな」などと意味不明なことを言っており、ジャックは「まだ食パンが残ってるからダメだ」と厳し目の回答をしていた。クリームパンくらい食わせてやればいいだろうにとクロウはぼんやり考える。
「オレも今日お前らん家泊まろうか?」
 普段はあまりこうした申し出はしないものの、支離滅裂な言動を取る遊星になんだか心配になってしまう。
「遊星が寝ながら吐くからやめておけ」
「カツサンドってほぼカツだよな、ジャック……だってな、挟んでるパン……ソースでビショビショでぺたんこになるだろ? ふふ……あんなの、もう……カツだ。カツだろ、ジャック」
「そうかもな」
 飲まれることなく放置されてるハイボールをジャックは遊星の代わりに飲み、クロウが先ほど取り上げたメニューを捲りながら焼きおにぎりでも頼むかと店員を呼び止めた。
 あの不動遊星が、ひたすらカツサンドのパンがもはや意味を成していないことを話し続けている光景を、彼の同級生や教授たちに見せれば、もっと彼に対する接し方やかける負担を考え直すのではないかとすら思う。
 けれど、遊星は自分たちの前だからこそ、こうなるのだ。
 大学での飲み会では、下戸である振りをしてウーロン茶ばかりを飲んでいると本人から聞いた。だから、迷惑ではない。友であろうと、甘えて貰えるのは正直のところ嬉しかった。
「遊星、今度カラオケ行こうぜ」
「いいぞ。オジー自慢のオリオンビールを歌っていいか」
「場末のスナックの客かお前は」
 ジャックの太い腕にもたれ、クロウのツッコミにコロコロと笑いながら先ほど注いでもらった水を飲む遊星を眺めつつ、今日くらいは大目に見てやるかと考える。
 この前の飲み会でもこうして丸め込まれたような気がしたが、クロウは忘れることにして、店員に声をかけた。
「すんませーん、ビール追加でー」
「はーいただいまー」