幻獣と呼ばれる悪夢のような存在との戦争は、今も終わりを迎えることはない。
──数多の学校がひしめくこの学園都市は、軍事拠点の外に作られた砦の役割を果たす小隊の集まりでもあった。
ここで生活を送る者の大多数は学徒兵であり、学生生活では銃の扱いを頭に叩き込まれながら、召集があれば例えそれが夜中であったとしても兵士として駆り出されている。
そして人々はいつしか、この学園都市をサテライトと呼ぶようになった。
不動遊星は、このサテライトの生まれである。
身寄りのない戦争孤児はこのサテライトへ送り込まれ、施設で育てられ、やがては学徒兵として人々の尊厳のために戦うことが定めであった。
遊星もその一人であり、生まれてこの方、サテライトからは一歩も出たことがない。
幻獣が過ぎ去ったあとに広がる緑と、錆の匂い、そして硝煙弾雨の中で育った。
それでも遊星が絶望せずに済んだのは、同じサテライトで育った仲間たちの存在。そして、物心がついたときから多目的結晶にインストールされていた、今は亡き両親の映像データと、光り輝くドラゴンの存在があったからだ。
遊星は目を閉じる。
多目的結晶へアクセスし、その膨大な情報量の中からパスワード付きのデータを開いた。
パスワードは、遊星の誕生日。
そのデータがいつからあるのかは知らない。誰がインストールしたのかも。
けれど、それがどうか両親であって欲しいと、遊星は願うのだった。
データを開くと網膜に映し出される両親の映像。赤ん坊を抱く小柄な女性に、夫と思しき白衣を着た男が微笑みかけている。
そして、優しい声で言うのだ。
「……遊星、愛しているよ」
その声にあわせて、遊星は言葉を自らの声でなぞった。
何度も何度も網膜に刷り込むように見返した映像記録は、遊星にとっての救いでもある。
「またそれを見ているのか」
その日は学生の誰もが少ない休日を満喫している中で、遊星だけが相変わらず薄暗いハンガーで士魂号の調整を行っており、他には誰もいないはずであった。
聞き慣れた声がして、顔を上げる。
遊星と同じく小隊服姿で、ふんぞり返っている男がいた。
「ジャック。どうしてここに」
「俺がどこにいようと俺の勝手だ」
遊星が立ち上がると、ジャック──遊星と同じくサテライトで育ち、そしていつしかキングという愛称で親しまれるエースパイロットにまで上り詰めた幼馴染が、相変わらず気難しそうな猫のような眼差しで遊星を見下ろす。
「……ブルーノはどうした。貴様らはいつも仲良しこよしだというのに」
スカウトのような体つきをしながら整備員という、ふざけた役職の同胞の名前を出しながらジャックは辺りを見渡して階段を降りると、ようやく遊星の元へやって来る。
「今日はバイトだ。欲しいプログラムがあるとかで」
「フン。貧乏人は暇なしか」
エースとしての活躍もあり、階級も格段に高いジャックの給料は遊星たちの何倍もあった。
しかしこのご時世、金をいくら持っていようと使い道は少ない。
シティと呼ばれる中央都市ならまだしも、サテライトの内部では娯楽品も限られている。
そんな中、サテライトの学徒兵の間で流行しているのが、多目的結晶のゲームプログラムを用いた対戦ゲーム──デュエルモンスターズであった。
「ジャックも既に、最新データをインストールしたんだろう?」
「当たり前だ。それくらいしか金の使い道がないからな」
「見せてくれ」
遊星は目を輝かせ、ジャックを隣に座らせる。
せっかく二人きりのハンガー内で、ジャックはもっと別のことを目的にやって来たのだが、遊星が見たいというのなら仕方がない。
遊星に言われたとおりその場に座り、そして隊服の袖を少しめくって左手首を出した。
「買う金がないなら出すが」
「いや、いい。自作のドラッグプログラムを売りさばいた金がある」
「貴様いつかパクられるぞ」
一応優等生のような振る舞いをしているくせに、さすがはサテライト育ちと言ったところだろうか。サラッと恐ろしいことを言いながら、良い格好をさせてくれない遊星にジャックは少し不満げにしつつも多目的結晶を露出させ、遊星にも開かせる。
多目的結晶──それは左手首に埋め込まれた、赤い宝石の総称。
サテライトに生まれたものは幼い頃からこの拡張手術を受けており、コンピューターへのアクセスから、果てには人形戦車の操縦ですらもこの多目的結晶と接続させて行う。
中枢神経系に直結しているため非常にデリケートな部分であり、それゆえ多目的結晶を誰かに見せるということは性器を見せることのように恥ずかしいとするのが一般的である。
また、重ね合わせることで互いの心を読み合うこともでき、快楽などを同調させることで疑似性交を行う役割も果たしていた。まさに、第二の性器とも呼べる。
それを、恥じらうこともなく互いに結晶を露出させ、手首を重ね合わせるジャックと遊星。
拡張現実が網膜を通して映し出され、視界の端にはこのシステムを開発した立方体を模した企業ロゴが見える。
「凄い。また映像が鮮明になっているな……新しいカードはもう手に入れたのか?」
「お前がアップデートするのを待っているんだこっちは」
「そうだったか」
先程まで埃っぽいハンガーの中にいたというのに、今、目の前に広がるのは拡張現実によって広がる街並み。休日ということもあって多くの学徒兵がログインしているのか、様々なアカウントたちのデュエル戦績が速報で流れていく。
そして足元にはジャックのモンスターたちが、実際そこにいるように寛いでいるのが見えた。遊星が右手を飛ばすと、触れられたダークリゾネーターがくすぐったそうにこちらを見て、首を傾げる。遊星は目を細めた。
「凄い、すごいな」
遊星は、サテライトの外を知らない。
外には本当にこんな都市が広がっているのかすらも。
戦争と銃声と、悲鳴の中で育ってきた。
だからこそ、遊星にとってデュエルモンスターズの世界は未来であり、夢でもある。
興奮している遊星が重ね合わせたままのジャックの手を無意識に強く握って、すぐ下にいるダークリゾネーターを撫で回している様子をジャックは盗み見た。
「……スターダスト・ドラゴンも呼んでやれ」
「え?」
「やつも窮屈だろう。貴様が、近頃はずっと機械いじりをしているのだからな」
ジャックが呆れたように言うと、遊星はキョトンとしてから、嬉しげに顔を綻ばせる。
「ありがとうジャック」
礼を告げ、自らの多目的結晶から白銀のドラゴン──スターダスト・ドラゴンを召喚すると、その大きな翼を広げて咆哮を上げた。
「ふ……お前の言うとおりだ。少し窮屈だったと」
「そうだろう」
結晶を通じて繋がっているデュエリストとモンスターは、心を通わせることができる。
遊星は青空を見上げ、伸び伸びと蒼穹を泳ぐドラゴンに手を伸ばした。
「いつか、見てみたいな。こんな青空を」
幻獣が現れると、空は忽ち陰る。
その光景が目に焼き付いて離れず、遊星が空を気にするときは、いつだって頭の中では召集のことを考えていた。
互いに手を繋ぎ、モンスターたちが好きに動き回っているのを見守りながら、ジャックは口を開く。
「……見れる。俺と、お前なら。そして、この世界にも夜明けを呼ぶことができるだろう」
幼いときから、ジャックは根拠もなく、自信たっぷりに断言する。
しかしそれは遊星にとっては安定剤ともなっており、ジャック・アトラスが言うのなら、そうかもしれないといつも思わせてくれるのだった。
「……ああ」
逞しい肩に体重を預け、そんなささやかな休暇を楽しんでいると──召集を知らせるサイレンが鳴り響き、遊星とジャックは一瞬のうちに兵士の顔つきとなって立ち上がった。そして、多目的結晶へ入ってくるコールに耳を傾ける。
「……こちら不動遊星、出撃可能です」
「ジャック・アトラス、出撃可能だ」
その二人の意思と連動しているかのように、ずっと前から準備をしていたのだとでも言うように、人形戦車の生体モーターの駆動音が響き渡る。
「起動準備」
二人の声が重なる。
それは、夜明けを告げる騒がしい足音のようだった。
「まったく、休日くらいゆっくりさせぬか」
「休日手当くらいはほしいものだな」
──逃げ遅れた近隣の民間人を確認。子供五名、大人二名。孤児院の職員と子どもたちと見られる。
かつてはバディとして肩を並べた二人が、自動開閉した別々のハッチへそれぞれ乗り込み、六点式シートベルトで体を固定させながら左手首を押し付け、すべての認証をほほ同時に済ませた。
遊星とジャックは、歯を食いしばる。
自分たちがこうしている内にも、消えゆくかもしれない命を思うと、心の底から湧き上がる怒りと、闘志と、決して揺らがぬ正義の心が、どんなプログラムよりも士魂号を突き動かした
「リモート管制手順、全省略」
「カウント省略、全感覚投入」
それは世界最後の砦であり、そして、二人の伝説が息づく場所でもあった。
その頃、召集を聞いて慌てて学園へ戻ってきていたブルーノは地響きを感じ、顔を上げる。
そこには、美しく、なによりも凛々しい巨人が並んでおり、口をポカンと開いた。瞬時に遊星とジャックであることを理解し、思わず落とした私物を拾うことすら忘れてしまう。
幻獣の訪れた空は、暗くて重い。
それなのに、その巨人越しに見た空は、徐々に雲が開けるような青空を覗かせていた。
巨人を追うように燕は飛び、猫が鳴き、そして、ブルーノの視界の端でウサギが飛んだ──ような気がしたのだった。