サプライズ

 櫂はサプライズなどはあまり好まない。伊吹にされたら喜ぶだろうが、自分ではそういったことはあまりしなかった。
 ロマンチストなようでいて、あの男は存外リアリストである。
 プレゼントを贈る際にも、なにか欲しいものはあるかと聞いてくるのが常であったが、決まって伊吹は「ない」と答える。
 そこで初めて、櫂は伊吹へのプレゼントを自身のセンスで選び、それが自然と伊吹へのサプライズとなっていた。
 伊吹は、なにも遠慮してリクエストをしないわけではない。実際、櫂から貰えるものなら、おおよそ使い古したスリーブ一枚でも大事にとってしまうだろうという確信があった。
 櫂が自分のためになにかを選んでくれる──たったそれだけのことが、伊吹にとってはなにより嬉しいプレゼントでもあったのだ。だから、あえて櫂に選んでもらう。
 しかし、いざ。逆のことをされてみると、伊吹は非常に頭を抱えた。
 とあるヨーロッパのチャンピオンシップで櫂が優勝し、伊吹はそのお祝いとして「なにか贈りたい」と告げると、「近々帰国するから、そのとき俺が喜ぶだろうなってものをくれると嬉しい」と言われたのである。
 普段であれば、伊吹が困ることを知っているため「羽織れるものがいいな」などと櫂は明確にリクエストをしてくれるのだが──。
「……まずい」
 帰国当日。伊吹はなにも持たぬまま数日の有給を取り、愛車で櫂を空港まで迎えに来ていた。
 仕事の企画書となればスラスラと書けるというのに、櫂が喜びそうなものを散々考えるも、辿り着いたのはヴァンガードの最新弾をカートンで渡すといった色気のないものしか思いつかなかったのである。
 そもそも必要なら自身で購入しているであろうし、プロ契約を果たした彼がちまちまパックを剥いているかと問われれば疑問であった。かつてファイターのマネジメントなどを主に扱う部署にいた伊吹は、その辺りの事情は誰よりも分かっている。
 だが、あの変人のことだ。パックを剥くのも醍醐味だ、などと言って人の手も借りずに喜んでパックを剥いている可能性も大いにあり──なお、伊吹はこのとき知らなかったが、後にこの予想が当たっていることを知る。
 なにはともあれ、パックの案は無しとなった。代わりに調理器具を贈ったところで、パリでの生活は多忙であり、近頃は自炊もできないと聞いている。便利な電化製品であれ、電圧などの関係で手間を取らせるであろうし──そんなことを考えていると、あっという間に帰国当日となってしまった。
 そうして困り果てた伊吹が最終的に思いついたのは、櫂を助手席に乗せ、本人を直接買い物に連れていくという大胆な案である。
 もちろん、伊吹の奢りで。
 元気があるようならこのまま出かけようと、現金もしっかり下ろしてきた。いつものようにカードを切ってもいいが、櫂にプレゼントを贈ったという実感が欲しかったのである。
 変なものを送って気を遣われるより、やはり実用性が大事であろう──伊吹は腕を組みながら、我ながら失敗のない良い案を思いついたと満足げな笑みを浮かべた。
 伊吹が肩を落としながら「プレゼントが思いつかなくて……」と言えば、あの櫂のことだ。優しく「気にしなくていい」と笑って、伊吹が発案したショッピングについて来てくれるに違いないと、ここまで予測済みである。
 櫂は伊吹に甘いのであった。
 そうこうしていると、櫂が乗っているはずの便が到着し、そろそろゲートから出てくるだろうかという時間となる。
 伊吹は少しソワソワしながらその瞬間を待っていると、やがてサングラスをかけただけの、おおよそ目立ちすぎている長身の男が相変わらずの手荷物の少なさ──着替えなども全て伊吹の部屋においたままであるため──で、誰かを探すように辺りを見渡している。
 その立ち姿が、いつも凛々しい彼にしてはどこか可愛らしくて、伊吹は少し笑ってしまう。
 小走りで、本当は思い切り駆け寄りたいのを抑えながらその男の元に近づいた。
「おかえり」
 そう告げる前に、櫂は駆け寄ってきた伊吹の存在にすぐ気づいて、手を広げようとしてやめる。
「危ない。抱きしめそうになった」
「ばか」
 冗談を言い合って笑い合いながら、櫂がサングラスの向こうで微笑み、「ただいま」と告げた。
 その言葉と共に歩幅を合わせ、互いに近状を伝え合いながら駐車場へと向かう二人の背中。
「櫂、疲れてるか?」
「ん? いいや、もう慣れたな。飛行機の中でも寝てたし……どこでも寝れるって特技があってよかった」
「お前はどこでも寝過ぎだけどな」
 駐車場へたどり着く前に自販機の前に立つ伊吹。二人分の無糖のコーヒーを購入すると、一つを櫂に渡す。
「ありがとう。このあと予定組んでくれてるなら、俺のことは気にしなくていいが」
「んん……予定っていうほどのものでもないんだが」
 伊吹の曖昧な言葉にコーヒーを飲みつつ、櫂は首を傾げた。
 キーとして登録しているデバイスを操作し、車のロックを解除して運転席に乗り込む伊吹に続いて櫂が乗り込んだタイミングで、少しだけ重い口を開く。
「すまん。プレゼント、思いつかなかった」
 缶コーヒーを置いて、シートベルトをつけていた櫂がキョトンとして伊吹の方を見た。
「プレゼ……ああ、あれか。連絡くれたやつ」
「……悪い、色々考えたんだが」
「そんなのいいのに」
 もっと深刻な話をされるのかと、一瞬身構えた櫂は安堵して相好を崩す。
「だから、その。今からお前のほしいものを買いに行かないか? 櫂がゆっくりしたいならこのまま帰るが」
 エンジンをかけながら伊吹はナビのディスプレイを操作し、既にピックアップしておいたショッピングモールやアウトレットモールなどの一覧を出す。ETCカードも、しっかり挿入済みである。
 伊吹が出してくれた一覧を眺め、櫂は「そうだな……」と顎に手を当てて考える素振りをし、伊吹の顔を見た。
「なんでも?」
「ああ。だがマンションとかはやめてくれよ」
 伊吹の冗談に笑って、なにやら欲しいものが定まった櫂は頷く。
 思ったとおり、サプライズよりもこうして本人から直接聞いたほうが確実だ。伊吹は己の選択が誤っていなかったことに安堵し、櫂の言葉を待つ。
 そこそこの金額は下ろしてきている。遠慮せずに、なんでも言うといい──。
「伊吹か枕が欲しいかな。枕はオーダーメイドのやつ」
 暫しの間。
 伊吹は流れ込んできた違和感に少しフリーズする。
 眉間に皺を寄せながら櫂の顔を見ると、至って真面目な顔をしていた。
「……いや、普通に枕が欲しいでよくないか?」
「俺は枕より伊吹かな……」
「オレならいつでもやってんだろうが」
 この会話は果たしてなんなのだろう。
 あげるもなにも、伊吹だって今すぐにでも櫂に抱いてほしくてたまらないのだから、そんなものをプレゼントにしたって意味がない。
 妙な会話に少しずつ面白くなってきた二人からは耐えきれなくなった笑い声が漏れ始め、櫂は口元を抑えながらしばらく俯いて肩を揺らしていた。
「いやお前が言ったんだからな。時差ボケか? 帰るか? ん?」
「言ってみたかった……」
「言ってみたかったじゃねーんだわ、自分のボケで笑うなよ失格だぞ」
「すみません先生……」
 ついに我慢できなくなった伊吹と櫂は二人して笑って、
「いいから枕作れるとこ調べろ、今からそこ行くから」
 と車を発進させた伊吹が櫂に指示を出す。
 櫂は大人しく「はい」と敬語で相槌を打ちながら、取り出したスマートフォンを操作した。
「枕つくったらそのままラブホ行くぞ」
「いいのか……」
「プレゼントだからな」
「俺、夜景が綺麗なホテルが良いな……」
「櫂に選ばせてやるよ」
 検索結果で出てきた都内のオーダー枕専門店の住所を信号待ちの間にナビに入力し終えた櫂は、一息ついてから運転する綺麗な伊吹の横顔を見た。
「……俺、お前と付き合ってよかったなってこういう時に思うんだよな」
「もっとなんか特別なときにそれ感じてくれよ」
 伊吹のツッコミに、車内にはまたしても若い男二人の楽しげな笑い声が溢れた。