僕らの星

 アカデミアが休みともなると、朝から遊びに来ている双子たちの笑い声などでガレージは賑わう。
 同じくして休日であるアキもᎠホイールについてブルーノに質問があったらしく、なにやら彼の熱弁に一生懸命耳を傾けていた。
 クロウは午前中だけ仕事、昨晩遅くに帰ってきていたらしいジャックはまだ部屋にいる。
 そして相変わらず作業に没頭する遊星だが、本人が物静かであるのに対し、彼はとりわけ仲間と呼べる人々の気配や話し声が好きであった。
 こんな日は、なんでもない、良い休日である。
 実質、休みなどあってないような生活を送っているが、遊星の心は安らいでいた。
 そうこうしていると、二階のドアが開く音。おおよそ、ジャックが起きてきたのだろう。
「ジャックおはよー……って、なにそれ?」
 などと龍亞と龍可の声が聞こえるが、遊星は特に気にすることもなく降りてきたらしいジャックの方も見ずに、液晶に映し出されたエネルギー出力の推定値とにらめっこをし続けてた。
 やはりこのままだとカーブの際にかかる重心によってバランスが──などと顎に手を当てて深く息を吐いていたところ、誰かが隣にやってきた気配がする。
「おはようジャック」
 視界の端に映った靴先を見て、それだけを告げると、目の前に何かがバサッと音を立てて現れた。
 ──花束である。
 遊星が、おおよそ蓮の花と葉などをあしらったらしい派手なブーケに驚いた顔をして、そしてそれを差し出すジャックの顔をようやく見上げた。
「早く受け取らんか」
 ジャックの行動に静まるガレージ。
 どう見ても、タンクトップ姿で手には軍手、顔もオイルで汚れた遊星は花束を貰うような準備など出来てはいない。
 しかし、ジャック・アトラスにとって、そんな遊星の都合はどうでもよいのであった。
 これは、昔からの彼の風習のようなものであったからだ。
「な……なぜ花」
「カレンダーは見たか」
 呆れたような声のあとに、まるで回答を告げるかのごとく、遊星がいつも作業中に流している適当なラジオ番組からは愉快な女性パーソナリティの声が聞こえた。
 『ハーイ、みなさんこんにちは! 今日はご存知の通り、七月七日の七夕だけど──』
 まで聞き、遊星は「あ」と呟く。
 やはり忘れていたらしい遊星にため息をついたジャック。
「ねーねー、一体なんなのそれ?」
 ようやく花束を受け取った遊星に龍亞が果敢に切り込むと、遊星はなんでもないように話した。
「ああ、今日はオレの誕生日なんだ」
 一瞬の静けさ。
 そして、その場にいるジャックと遊星以外の者たちによる「ええーっ」という驚きの声がガレージに響き渡り、目を丸くする遊星。
「な、なんで教えてくれなかったのよ!」
 駆け寄るアキ。
「そーだよ! 遊星のお祝い、オレもしたいのに!」
 やっていた宿題のドリルを放り出して身を乗り出す龍亞。
「たしかに、水臭いよ。ジャックだって教えてくれたらいいのに……」
 困った様子のブルーノ。
「でも、遊星も忘れてたんだし仕方ないんじゃないかな……」
 最年少にして一番落ち着いている龍可。
 そんな風に好き勝手言い合う仲間たちに対して「す、すまない」と取り敢えず謝る遊星と、何食わぬ顔で腕を組みながら、弁解も擁護もせず隣に立つだけのジャックである。
 遊星の誕生日発覚に騒然とするガレージ内であったが、続いて勢い良くドアが開き、なにやら大荷物を抱えたクロウが笑顔で現れた。
「おーっす! みんな揃ってっか!」
「ああ、クロウおかえり」
 唯一、場を丸く収めそうな幼馴染の登場に、遊星はどこか安堵した顔を見せる。
 揃いも揃って遊星を囲んでいる仲間たちにクロウは首を傾げて「なんの騒ぎだよ」と言いつつスロープを降りると、遊星が花束を抱えてることに気づいてニッと笑った。
「遊星おめでとさん。いやぁ、こうやって祝えんの、チーム組んでたとき以来だよなぁ。あの時は鬼柳が花火の代わりに手作りの爆竹を用意して小屋一つぶっとんじまってさあ」
 などと微笑ましげに物騒な思い出を語り始めたクロウに対し、龍亞が飛びつく。
「やっぱクロウも知ってたんだ!」
「え、なになに。なにが」
「遊星の誕生日だよ!」
 よっぽと、大好きな仲間の誕生日を事前に教えてもらえなかったことが不服らしい少年は、丸い頬をこれでもかと膨らませ、クロウの腹にグリグリと頭を押し付けて八つ当たりを始める。
 それを「やめなさいよ」と宥めるのは、いつも通り龍可であった。
「ああ、えっと。龍亞、これには事情が……」
「ジジョーって!」
 顔を上げ、背後から声をかけた遊星のほうを拗ねたように見つめる龍亞に、遊星はなにから話せばと少し考えてから口を開いた。
「なんというか、本当の誕生日ではないんだ」
「……どーゆーこと?」
 遊星の発言に、首を傾げる仲間たち。それを「やれやれ」と笑うクロウと、自分のこととなると相変わらず口下手になる遊星に遠い目になるジャック。
「……正確に言えば、こいつの出生日は別だ。今日は遊星がマーサに引き取られた日だな」
 助け舟をジャックが出すと、
「まあ、オレも当時は生まれてなかったから聞いた話でワリーんだが、事故のあとのサテライトは混乱状態が続いててさ。政府が正式な調査に乗り出すまでは誰が死んでんのか生きてんのかすらも分かんねー状態で、親がくたばって誕生日すらも分かってない孤児があふれかえってたんだ」
 と、クロウが話す。
 ──遊星は、ラボに設置されていたメールレールの役割を果たすゲートから、父の手によって地上へ逃され、なんとか一命をとりとめた。
 爆発に巻き込まれながらも行き着いた先はサテライトの小さな郵便局近くであり、子供の泣き声がすると、避難中であった局員が瓦礫の中から破損したカプセルの中で泣いている赤子を見つけた。
 当時はまともに物資も届かない中、当然粉ミルクなども手に入らない状況下であったにもかかわらず、偶然にも局員の妻が子供を出産したばかりの経産婦であったこと、我が子と共に知らない赤ん坊にまで母乳を分けて飲ませるような心優しき人であったこと──それらの奇跡が重なって生き延びた遊星は、局員の夫婦がシティへ帰る目処が立ったあとはボランティア団体に預けられることとなる。
 養子にしようかとも考えたが、この子の両親が探しているかも知れないから──そう言って、名残惜しそうに話したらしい夫婦のことを、遊星は後に聞かされた。
 だが、混乱状態が続いた当時のサテライトにおいて、あの夫婦が今はどこで何をしているのかすらも遊星にはわからないままであり、それは遠い国のおとぎ話のようで、遊星にとっては自分のことではないような気すらした。
 そして七月の、よく晴れた日の朝のこと。
 マーサの元に、まだ指を吸っているような年頃の遊星が預けられたのである。
「あの頃はとにかく孤児が多かった。乳幼児も中にはいて、遊星がそれにあたる。だから受け入れ可能な年頃になるまではボランティアで預り、その後それぞれの孤児院に振り分けられていたんだ」
 当時のサテライトは国からも、なにもかもから見放されたような場所であった。
 それでも多くの人が個人の意思で立ち上がり、残された子どもたちをなんとか生かそうと踏んばっていたように思う。
 マーサに引き取られたあとも、何人かの“家族”を見送ってきた。一歩間違えれば死と隣り合わせで、どこかの歯車が違えば、己はここにいなかったかもしれないと遊星は思うことがある。
「正確な出生日が分かるまでは、マーサの家に預けられた日がオレにとっての誕生日だったんだ。……いつ死んでもおかしくなかったが、かけがえのない家族に出会えた日だった」
 幼いジャックがそのへんに咲いていた花を適当にむしって、プレゼントと称して遊星に押し付けた、最初の七月七日。
 ジャックは離れていた二年間を除いて、出会ったあの年から遊星へ律儀に花を渡し続けている。
 この約束も覚えていたはずなのに、ジャックがシティへ行ってからはすっかり忘れてしまっていた。
「だから、正確な誕生日と言うのとはまた違っていてな。仲間内のお約束、みたいなもので。そんな祝ってもらえるような日でも──」
 ない──と、言い終える直後。
 無言のまま駆け寄った龍亞と龍可が、遊星に思い切り飛びついた。
 花を抱えた状態で咄嗟に受け止め、バランスを崩して後ろに転びそうになるのをジャックがすかさず支える。
「こら……突然危ないだろう。どうしたんだ?」
 腰に抱きつき、腹に顔を埋める幼い二人の頭を見下ろして優しく遊星が声をかけるも、二人は黙ったまま。
 困った様子の遊星が助けを求めるように視線を上げると、いつのまにか目の前にいたらしいアキが少し不服そうにこちらを見上げており、なにか怒らせるようなことでも言っただろうかと首を傾げる。
「……大事な日じゃない」
 双子のように抱きつくなどは到底できないが、アキの気持ちとしては、そうしたいのが山々であった。
「うん、大事な日だよ」
 その言葉に同調するブルーノに、お前まで、と遊星は何度か瞬きをする。
「……ま、大事なのはいつなのかってことじゃねぇのかもな」
 クロウとしては黙っていようというつもりはなかったものの、意図せずこんな形で仲間の大切な日のことを知らされた仲間たちの表情が切実なものであったため、どこか申し訳なさそうに呟く。
 遊星が、いつ生まれたのか、ではなく。
 遊星が今、生きていてくれることが、そして自分たちと出会ってくれたことが、仲間にとっては大切なことであったのだ。
「……ゆうせい」
「……おめでとう」
 双子の少し泣きそうな声が腹から聞こえ、それには堪えたらしい遊星は少し屈むと黙って二人の頭を抱きしめた。
 ──今日は、なんでもない日だ。
 仲間たちが揃って、楽しげで、ただそれだけの少し良い日であった。
 ただ、不動遊星という男が、生きているだけの七月七日だった。
 本当の出生日も、今はちゃんと分かっている。
 けれど、そんな記されただけの日付よりも、遊星はこの瞬間がとてつもなく特別なように感じて、ゆっくり目を閉じ、そして噛みしめる。
「……ありがとう」
 ぐすん、と双子が揃って鼻を啜るので、ジャックが無言で遊星から花束を預かると「よいせ」と言って遊星は軽々と双子を同時に抱き上げた。
 出会ったばかりの頃は細くてモヤシっ子同然だった子供が、いつの間にこんな筋力がついたのかと考えるジャック。
「んじゃま、取り敢えずお祝いっつーことで。ほら、ちびっ子二人もメソメソしなーい。今日は色々飯もジュースも貰ってきたからみんなで食おーぜ」
 クロウの重たげな荷物の中身は祝いの品であったらしい。
 ブルーノが「手伝うよ」と言って食事の準備を始める中、ジャックが遊星に抱きついている二人の頭を無造作に撫でてブルーノに続き、目を細めたアキが「食べるでしょう?」と小さな二つの頭に問えば、控えめにコクンと頷いたので、遊星とアキは目を合わせて笑った。
 なんでも、ない日だ。
 ただ、遊星は二人の子供を抱えながら、「重くなったな」と言うだけで下ろそうとはせず、アキと共に台所でなにやら準備を始めた仲間たちの元へ笑顔で向かった。