柔らかな

 仮眠用ベッドになりつつあるソファの上。
 今日も今日とて徹夜をしたのだろう、愚かな幼馴染がうつぶせ寝になって転がっているのを、ジャック・アトラスは発見した。
 二人で暮らしていた頃から変わらない、睡眠を忘れて作業に打ち込んでしまう彼女──遊星の悪癖に、盛大なため息をつく。
 一応、名前を呼びながら細い肩を叩くも、反応はない。穏やかな寝息と、上下する背中だけである。
 ジャックがサテライトを去るまでは、施設からずっと一緒に暮らしてきた仲だ。今さらオンナとして見るような間柄でもなければ、遊星に欲情などしない。
 実際、遊星の方もジャックにそういう目で見られるとは思ってもおらず、平気で下着姿のまま出てきたり──どちらかと言えば同性であるアキの前で着替えるほうが躊躇している──距離感も考えずに顔を近づけたりと、至って自由に振る舞っていた。
 そしてジャックとて、遊星がそういう風に接してくるのは自分への信頼だと捉えている。
 紳士的に、デリカシーの欠くようなこともせず、しかし遊星の振る舞いに順応するように。
 たとえ、現に彼女が下着もつけず、タンクトップ一枚とスパッツ姿で寝転がっていようと、それに関して深く考えないようにする精神力をジャック・アトラスは身に着けてきたのだ。
 深く、一度大きく深呼吸をする。
 目を閉じ、次に開いたときには悟りの境地に達していた。
「遊星、起きろ。またベッドまで運ばせるつもりか」
 そう言いながら、自分の上着を遊星にかけてやる。
「んん……」
 ジャックの呼びかけにようやく反応した遊星は、一度身じろぎ、薄く目を開いた。
「……はこんでくれ」
 眠たそうな目でこちらに両手を広げる彼女を前に、ジャックは内頬の粘膜を噛んで平然を装いながら「手のかかるやつだ」と小言を言って、その華奢な体を抱えた。
 上着を被せておいてよかったかも知れない。
 暑くなって脱いだのか、普段は作業着を履いている下半身も伸縮性に優れたスパッツのみで、手に触れている部分の生足の感触がなんとも妙であった。
 柔らかくてすべすべしており、否が応でも遊星の性が自分とは違うことを理解してしまう。
 そんな、真顔の仮面の下で悶々としているジャックに運ばれながら──一方で、目の前の胸板にどさくさに紛れて、遊星は顔を押し付けた。
 体を支えてくれる腕の太さも、今こうして押し付けている厚い胸も、少年と少女であった頃とは大きく違う。
 けれど二人きりのときに甘えてワガママを言ってみれば、結局は聞いてくれるところは昔と同じであった。
 巧みな狸寝入りの下で、遊星も悶々としながら足をすり合わせ、ジャックと同じことを考えるのである。
 ──どうやって今さら、自分を異性として見てくれない相手にアピールをすればいいのやら──
 似たようなことをお互いに考えていることなど気づかぬまま、かれこれ数年は経とうとしていた。
 ジャックは遊星の部屋にあっさりと辿り着くのが惜しく、ゆっくりと階段を登っていくも、遊星の方も暫くはこのままでいいな、などと考える。
 ──そしてその背後を、呆れた様子で音も立てずに眺める背中が一つ。
 あいつら進展しねぇなァ──と、相変わらずの光景に声をかけることもせず、ジャックがやたらとゆっくり階段を登り切るまでを、出勤前のクロウが見守っていると──
「あれっ、クロウなにしてるの?」
「ばっ、ブルーノ……!」
「あ、ジャックもおはよ……あ、遊星を部屋まで連れて行ってあげてたんだね! 薄着で寝てたから心配してたんだよ」
 そこに最悪のタイミングで現れたブルーノが大きな声で尋ね、振り向いたジャックのこめかみがピクピクと痙攣する。
 首を傾げるブルーノと、そそくさとᎠホイールを発進させて仕事に向かうクロウ。
 他の仲間たちに見られていたことを悟った遊星は耳まで赤くなり、近隣住民によると、その日も朝からガレージは賑やかであったという。